続・「コアサポ」は幻想にすぎない | ひとり弾丸 2014

ひとり弾丸 2014

伝説の『ジョホールバルの歓喜』現地スタジアム一番乗りサポーター。2014年ブラジルワールドカップに向け、ゆるゆると。


先日のブログエントリー「コアサポは幻想にすぎない」は、あちこちで大きな反響をいただきました。ありがとうございました。



西中島南方のセレッソ狂乱観戦記」さん

PAINT IT PINK!」さん

桜色舞うころ....」さん

レノファ山口FCを応援してみる日記」さん

junchang & the MFFさん



いまだにちょろちょろつぶやかれるので興味のある方は「コアサポは幻想」でツイッター上で検索を。「サポーター論」に関しては、ピッチ外のことながら皆さん関心があるんだなあ、と。簡単に日頃の自分に置き換えられて、身近に捉えられるからね。味をしめたので続きを書いてみよう。人気コンテンツの続編はたいてい面白くないけどね。



「コアサポ」の定義はあいまい



何度もつぶやいているけど「人の顔や性格がみんな違うように、サポーターの嗜好もみんなそれぞれ。どれひとつとして同じものはない」のはずなのに、なぜか定型化、カテゴライズしたがるのはなぜ? 「コアサポ」「ニワカサポ」ってどこで線引きされるの? そもそも「コアサポ」の定義は何でしょうか? 「サポーター」と「ファン」の違いもよくわからない。


ゴール裏でのコールリーダーおよびその取り巻きの方々のこと? それとも、1シーズンほとんどのホーム&アウェーをメモ取りながら指定席で観戦してブログアップされている方々のこと?


定義があいまいな以上、安易に使いたくない(ここではお許しを)。とかく使われがちなのは「僕は、ニワカですので・・・」謙遜するのはいいけど、ツイッターでサッカーを話題にしたり、スタジアムに足を運んでいる時点で十分一般の方々と差別化されているし。


日本には「サポーター論」なる研究や学術的な論文とかないのかな。あっても少ないだろうし、目立たないよね。その点でまだまだ日本では「サッカーサポーター」やら「サッカーファン」の認知度というか社会的な位置付けが低すぎる気もする。なんでだろ? サポーターの行動様式は、イギリスのようにもっともっと研究されてもいいと思うのだが・・・。



違いを認める



話がそれた。いずれにせよ大切なのは以下のこと。


サポーター、ファン同士で考え方や意見を尊重しあうことが大前提。違うのは当たり前。違いを認識すること。自分と違うからといって言いくるめようとしないこと。感覚的には、サポ同士で意見をぶつけ合うことは、朝まで生テレビやサンデル教授の講義のようなもの。


「サポーターはかくあるべし」のような「サポーター論」に結論も答えもない。人の数だけ考え方がある。その考え方を披露しあって、お互い見識を深めることはとても楽しい。


観戦歴が浅い人は、「自分は~だから」と卑下することはない。それなりの考え方は必ずある。観戦歴が豊富な人は、決しておごり高ぶったり、自慢しすぎてはいけない。サッカーはそんなに甘くないし、浅くはない。


世界中のあらゆるサッカーシーンを網羅できるわけがないからね。モルドバリーグのマッチレポは書けないでしょ。朝鮮国内リーグの日程はご存知ですか? 国内しかり。ユース世代、高校サッカー、地域リーグ全て追えますか?


まとまりがなくなってきました。やはり続編は面白くない。だけど、こうしてつまらない考え方でも披露していくことは大切に思うので、この「サポーター論」のテーマで継続的に書いていこう。


他の皆さんの考え方も是非聞いてみたい。それって楽しいですよね。もし、語られている方がいらっしゃいましたらリンク貼らせて下さい。次回は、僭越ながら自分のことを書いてみようかな。 浦島太郎ファンのことを。





おわり

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