先日読んでいた本に、夫唱婦随というような夫婦のご主人が亡くなった妻を悲観から救おうという趣旨の会の人が、

「女性は、相手が自分と同じ境遇でないと受け入れない。違う立場からの慰めではかえって傷つきます

と話をしていたと書かれていたのを読んで、深くうなずいてしまいました。



タレントの清水由貴子さんの自殺にあたり、その理由や在宅介護の現状についていろんな番組で取り上げ、コメンテーターなどは 「もっと他人の手を借りれば良かったのに」とか「誰かに相談し頼ることも大切だ」などと、もっともらしい事を言っていましたが、どれだけ考えて相談して行動してもどうしようもない行き詰まりがあるし、それを、同じ立場ではない人に言われても、他人ごとの無責任な意見にしか聞こえないことがあります。


後でなら何とでも言えることで、もし私が知人だったとしても、何も出来なかったのじゃないかっていう虚しさとイラツキを感じてしまいます。


私も母親の入院の付き添いをしていた時、「大変だね。お母さんはきっと感謝して喜んでいるよ。体には気をつけて頑張ってね」と、いろんな人に言ってもらいましたが、ありがたいと思いはするけれど、あまり慰めにも励ましにもなりませんでした。


介護問題に限らず、話をしても相談をしても何の解決にもならないことがあります。

それどころか、安全に仕事して生活している人に、「誰かに相談すれば?」と軽く言われると余計にガッカリすることがあります。



私が母の付き添いをしていた間、仕事はできなくアパートにも帰れない。


でも、当然ながらアパートの家賃や光熱費は支払わなければいけないので、貯金を切り崩すしかなく、入院費の心配もしなければいけない。


母から離れることもできないので、自分が食事をすることもできない。


目の前に 日々弱っていく母がいるのに放っておくこともできず、かと言っても何もできない虚しさ。



身体に気をつけろと言うのであれば、食事の差し入れでも持ってきてくれるんでしょうか?食事や健診に行く時間、付き添いを代わってくれるというのでしょうか?


仕事をしなければ生活の維持はしていけないけれど、仕事をしていては満足な介護はできない。

じゃあ、代わりに稼いで援助してくれるのだろうか?


って、言いたくなりました。



それを、ひがみ根性とか、周りができる限りの支援しかできないのは当たり前。それを感謝しなさいと言われても、その時は感謝の押し売りとしか感じられない。



私の場合は、短い間で母の隣に座って見ているだけだけでしたが、それでも、そんな思いになるほど大変でした。



祖母が認知症になり、親戚は私に面倒を見て欲しいと言っていたようですが、ロウソクに火をつけるためにマッチを擦って、擦ったマッチを元の箱に戻す祖母を見た瞬間、「仕事を続けながらなんて無理!」と思い、専門施設にう入居させることを決めると、周りの人は口では「大変ねぇ」と言ってはいても「身内なのに…」という冷たい目。




。。。うまく書けないし、何を言いたいのか分からなくなりましたが、「相談したくてもできない」「相談しても同じ経験をした人でないと共感や適切なアドバイスがもらえない(仮にその道の専門家に相談したとしても)」そんなふうに、どんどんドンドン 自分の中だけで解決しようと固まってしまう人に周りで出来ることは何でしょう?



今までも何度か書いてきていますが、周りで出来ることは限られていて無力感を感じるだけだけれど、せめて「相談してくれれば良かったのに」や「知らなかった」とは言わないようにしたいです。