『演奏会とコース料理を食べること』
コース料理を食べに行って、何に満足感を得られるだろうか?
フレンチやら中華、和食といった店に入る時点で、ジャンルは既に限定されている。
ここでいうと、マンドリンというジャンルを聴きに来たということになる。
店に入ると、とてもファストフードの店やチェーン店とは違う雰囲気を感じられる。
さて、何を食べようかと思っても、そこには既にコースメニュー(プログラム)が決められている。
好きなものばかりあったら満足もするし、これが食べれて(聴けて)良かったなんてことも思う。
もちろんお腹いっぱい食べても満足する。
少なすぎたり、多すぎたりすると物足りなさや疲労感も感じてしまうこともあるが。
(短い曲を数多くやったほうが、長い曲をたくさんやるよりよかったりする)
プロの有名な料理人(演奏家)が作って(弾いて)たりすると、それを食べれる(聴ける)ことで満足することもある。
しかしこれらも、エスコートと何より味(曲)が最悪なら台無しになる。
つまりお客に労力をさせず、いい気分にさせることで満足の付加価値。
美味しい味は普通に食べれるという基準値からの付加価値である。
では、料理における技術はどういうところに見られるか。
魚をきれいに三枚に下ろすこと?
りんごの皮をうまく剥くこと?
凝った飴細工を添えること?
タコさんウインナーを作ること?
などなど。
しかしどれらも味には直接関わってはいないのではないか?
最近よく耳にする新技術の液体窒素の料理。
これは作り方の技術になる。
つまりは新しい弾き方という捉え方をしたい。
技術は美味しい味(良い曲)にはならない?
そもそもなにをもって良い曲だと思えるのか?
それはもうそれぞれの好みでしかない。
美味しさは素材と味付け、調理の仕方が大きくあると考える。
ここでいう『素材』とは曲のことである。
奏者・指揮者が曲を活かし、調理する。
それに加えて満足を得られる付加要素が加われば、よりお客に喜ばれる。
間違いをしない、お客に対しての気配りを持つことさえできれば、最低限の基準でマイナスはないはず。
技術を評価してくれるのは、それに気づいてる人しかいない。
まずは技術よりも、どういう演奏が喜ばれるかを考えていきたい
余談・・・
今回はこれでおしまい。
なぜ音楽を食事に例えて論じているか。
食べることは絵を描くこと、楽器を弾くことよりもはるかに前からあった文化。
なぜなら生きるために必要だから。
料理も種類が数多くあり、改良に改良を重ねられてきた。
次回に話すが、自分が作る立場でなく、食べる立場で店に行くときに感じるのは、
『作り手はお客のことを考えている』
ということ。
相手のことを考えているサービスの面では、とても参考になる。
では次回は第2弾を書きます
今回はお客目線での話。次回は奏者目線での話をまた近いうちにでも