歴史の授業で習えなかった同性愛 -11ページ目
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ストーンウォール・インの客たち

いつもならば歴史を彩る有名人たちを「このヒトもゲイ(ビアン)で~す」ぐらいにあげつらう本コーナーでありますが、今回は趣を変えて、まったく無名の人々がゲイ&レズビアンの歴史を大きく変えたエピソードをご紹介します(ご紹介っても、有名なんだけど)。

1969年のニューヨーク。度重なるゲイバー(当時は恋人や友達を作る場所はバーぐらいしかなかった)への嫌がらせのような取り締まりに、ゲイ&レズビアンの怒りが爆発。それまでクロゼットな生活を送っていた彼らが集まり、敢然と圧力に立ち向かったのでありました。この事件は、事件が起きた店の名前に因んで「ストーンウォール・イン事件」と呼ばれ、ゲイ・リベレーション的にはビッグバン級の大事件でございます。

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NYのゲイたちのほとんどがクロゼットだった時代


さて、ストーンウォール・イン事件が起きた1969年NYのゲイ&レズビアンの状況はというと。。。

1965年、ニューヨークでは「ソドミー法」と呼ばれる同性愛行為に対する刑事犯罪法が制定されました。その中には「異常な性交は軽犯罪である」「異常な性交とは結婚していない者同士がペニスとアヌス、口とペニス、あるいは口と外陰部とを接触させる性行為を意味する」という条文が(イギリスでは2年前の1967年、ドイツでは前年の1968年に、やっと違法ではなくなった)。


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1969年は、ジョンとヨーコが結婚した年でアリマス~


周囲の人々にゲイだということがバレたら、まさに致命的。仕事をクビにされるのもアタリマエ、アパートを追い出されるのもアタリマエ、法律はな~んにも守っちゃくれません。そもそも、同性愛が「精神異常(当時の呼び名)リスト」からはずされたのは70年代に入ってからのこと。ゲイやレズビアンは病気扱いだったんです。

こんな状況では、出会い・愛し合い・一緒に生きていく・・・なんてこと自体が、まさに綱渡りの連続であります。自由の国アメリカといえども、ゲイ&レズビアンに対する弾圧は、けっこう強かった。さまざまな人がゲイだということがバレただけで、社会的地位を失い、 人生を棒に振る時代だったのでアリマス(州によってはいまだに同性愛は違法)。

「ウェストサイド物語」を考えついたJ・ロビンズ&S・ソンドハイムもゲイ、50年代の「抱かれたい男No.1」ロック・ハドソンもゲイ、「ティファニーで朝食を」を書いたカポーティもゲイ、いろいろな分野でゲイたちは才能を開花させていましたが、生前はゲイであることはひた隠し(バレバレ君もいたらしいが)。


時代はちょっくら前になりますが、「マイフェアレディ」の監督として知られるジョージ・キューカー監督(ゲイだったそうです)。

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有名な大作「風と共に去りぬ」のメガホンをとっていたのは彼だったのだけれど、主演・クラーク・ゲーブルとのゲイフォビックなモメごと(クラークが喰われノンケだった時代を知っているジョージが疎まれた)が原因でゲイであることを告発(!)され、監督を降ろされちゃったんだって。ゲイ疑惑を払拭して監督に復帰するのが、そりゃもう大変だったみたいッス。20世紀前半のアメリカ・ゲイたちは、苦労してたんだねぇ。。






当時、NYのゲイバーはみんな違法営業

そんな時代のNYにも、グリニッジヴィレッジからクリストファー通り(現在でもゲイタウンです)にかけて、数多くのゲイバーがありました。ゲイやビアンが集まる店に酒類販売許可なんて下りるワケもなく、当時のゲイバーはみーんな違法営業。仲間同士で盛り上がっている最中や、恋を語らう間にも、容赦なく警察の手入れが入ります。運悪く逮捕(警察には権限があるワケだからイジワルで逮捕だってできちゃう)なんかされちゃった日にゃぁ、それで仕事はパー。社会的信用もパー。それでも、恋人も仲間もいない生活なんて耐えきれません。ゲイ&レズビアン達はリスクを覚悟で集まってきていたワケです。

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ストーンウォール・イン事件が起きた条件

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さてさて、そんなヒドイ目にあいながらもガマンしてきたゲイ&レズビアン達でありますが、1969年6月27日、グリニッジ・ヴィレッジ近くの「ストーンウォール・イン」という店での手入れの際、彼らは怒りを爆発させて圧力に立ち向かうことになります。
「いつもの警察の手入れ」が、なぜにゲイ&レズビアンの歴史を変える大事件となったのか。それは、それなりに、その条件を満たしていたのであります。その条件を検証してみましょう。



■市長の点数稼ぎ摘発への怒り

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当時のNY市長ジョン・リンゼイは、次期市長選のことでアタマがいっぱい。そんでもって、予備選でヤバイ結果だったもんだから、なんとかイメージの回復をはかろうと躍起になっていました。「あのキモ~いオカマたちを退治しちゃいまァす」とばかりに、ゲイバーへの取り締まりを強化。「ストーンウォール・イン事件」の起きた週には3度もゲイバー手入れがあったそうです。

「そんな、こっちは人生賭けてんのに、オメーの点数稼ぎのエサかっつーの!」NYのゲイ&レズビアンの怒りも、すげー理解できる気がします(でも、結局再選しちゃうんだけどね。。。)。



■警察は店から賄賂を巻き上げていると黒い噂

コトの真偽は定かではありませんが、「賄賂をケチッた店は手入れを食らう」という説がゲイ&レズビアンの間では定説になっておりました。そんなんで逮捕でもされて、人生を台無しにされてはたまらん。でも、ゲイやレズビアンとしての自分を語る相手は、ゲイバーでなくちゃ見つからないし。。。。やっぱ、生きて健康でいるからには出会いも欲しいし。。。

そんなこんなで、ゲイ&レズビアン達はパラドックスの中で悩み、苦しんだことでありましょう。警察に対して敵意を抱いたとしても、あるイミ仕方のないことだったのかもしれませんな。



■いろいろな解放運動が拡大する

60年代は、黒人解放運動や貧困層の叛乱など、さまざまな運動や事件が拡大していった年代でもありました。同じように抑圧に苦しんでいたゲイ&レズビアン達も、「自分たちの手で世の中を変えていけるかもしれない」という期待感が芽生えていたのです。



■女優ジュディ・ガーランドの死

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「オズの魔法使い」「スタア誕生」などで、あッという間にスターダムにのし上がり、激しい浮き沈み、数回の自殺未遂、酒とクスリ漬けの日々・・・・そんなキャンピーな女優、ジュディー・ガーランド。もちろん、ゲイたちに大人気。そんな彼女が、急死。事件が起こる12時間前にNYの教会で葬儀が行われました。

ゲイたちはジュディ・ガーランドの死を悼み、彼女について喋り倒そうと、夜にゲイバーへと足を運びます。その晩のストーンウォール・インも、そんな客達で普段よりもひときわ盛況でありました。

女優の話なんて、ノンケと喋ったって面白くもなんともない!特にゲイ達が大事に思ってきた女優の話なんだから、ゲイ同士で喋りまくらなくてはイミがない。そんな切なるひとときまでも、警察が土足で上がり込んできて自分たちを捕まえようとしたのです。ゲイ達がブチ切れたのも、なんとなくわかるような気がします。





そして、いよいよ勃発!

警察は、フツーに手入れを行うつもりで、捜査令状を手にストーンウォール・インに乗り込みました。お客は労働者階級のゲイ・レズビアン、少数民族、ドラァグクイーン、ストリートキッズなど、200人ほど。一人一人を並ばせ職務質問をして、気にくわない奴だけを残して解放する警官達。職務質問中に失礼なことを言われても、殴られても、グッと我慢をするしかありませなんだ。普段ならば、解放されると「ありがとうごぜぇました」とばかりに、脱兎のごとく逃げていくゲイ達。

ところが、この晩の彼らは、解放された後も逃げませんでした。店の前に立ちはだかり、警官達を睨みつけたのです。そして、逮捕された者が連行されて店から出てくると、警官に激しい罵声を浴びせかける彼ら。数分後、ついに暴動の口火を切ったオンナが登場。逮捕されたビアン(ブッチっぽかったらしい)が暴れだしたのでした。護送車に乗せられることに、わやくちゃに抵抗。

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続いて今度は、ドラァグクイーン達が大爆発。衣装がびりびりに破けるのをものともせず、警官相手に大暴れ。これに火がついたゲイ&ビアン一同も、パーキングメータを引っこ抜いて振り回したり、モノを投げつけたりの大ドンチャカとあいなったのでありました。

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翌日のグリニッジ・ヴィレッジは、プラカードや横断幕を持つゲイ&レズビアン2000人が大集結。「ゲイ&レズビアンに人権を!」と叫び、出動した400人の機動隊と対峙。歴史学者のジョン・デミリオは「史上初のゲイの叛乱」と呼び、同性愛者の組織マタシン協会の会報誌では「ヘアピンが落ちる音が世界を駆けめぐる」と見出しがつけられました。

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この事件が世界を変えた

この事件をきっかけに、アメリカ全土で、はたまた世界中でゲイ&レズビアンの人権を求める運動が雨後のタケノコのように起こり始めます。ニューヨーク州の同性愛に対する法規制は徐々に緩和され、ゲイ&レズビアンとしての顔を持つ人々も増えていったのでした(アメリカでの次なる大事件は、サンフランシスコで起こったハーヴェイ・ミルク事件でしょうな)。

エンターテイメントの世界でも、ゲイの存在に目を背けない作品「キャバレー」などが生み出され、新しい時代を作りだしていったのであります。

事件の翌年からNYでは、6月27日近くの週末にグリニッジ・ヴィレッジで「PRIDE MARCH」が開催されています。世界各地のパレードの、これがルーツ。ちなみに日本では、ストーンウォール・イン事件の翌年1970年に、三島由紀夫が自殺。その翌年の1971年に、日本で初めてのゲイ向け商業誌「薔薇族」創刊されます。

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