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2009-03-10 13:58:49

レオナルド・ダ・ヴィンチ

テーマ:ブログ
ども!

人類の長い長い歴史は、すなわち同性愛の長い長い歴史でもありまする(もちろん、メインは異性愛の歴史だけどよー) 。人在るところに、同性愛あり。そのくらい、同性愛は自然な事象なのです。「自然に反する」なんて言うヤツは、かならず未来の人たちに笑われますから、やめときなされ(なんて同性愛サイトで叫んでもしょうがないか)。

世界の歴史のあちらこちらに散在する同性愛関連のエピソードをひとつにまとめるようなコンテンツが作れたらいいなぁと、かねがね思っていたのですが、なにぶん真面目なことがニガテなワタクシ。あっちこっちに「原稿を書いてくれ」と頼んでまわったのですが、相手にされず、結局自分で書くことに。。。。なので、相も変わらぬオチャラケ・うたぐわ節で(しかも全開)でお送りさせていただきます。
ああ、歴史上の偉大な人たちを貶めることにならなきゃいいが。。。(なっちゃうよ、たぶん)

ま、セクシャルマイノリティの皆さんも、このサイトに遊びに来たノンケの皆さんも、一緒に楽しめる読み物として息の長い連載にしていきたいと思っております(超不評でないかぎりは)。更新は不定期ですが、つきあってやってくださいマシ☆


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歴史の授業で習えなかった同性愛-1


さてさて、第1回目はイタリア・ルネサンスが生んだ巨星・レオナルド・ダ・ヴィンチのエピソード。『モナ・リザ』や『最後の晩餐』など後世に遺る偉大な作品の数々であまりにも有名なダ・ヴィンチだけに、同性愛に関するハナシも、わりと有名。

歴史の授業で習えなかった同性愛-2

もちろん、このハナシの背景には、中世ヨーロッパのキリスト教社会による同性愛への禁忌がデーンと横たわっておりまする。大奥はオンナの牢獄。。。。じゃなかった、中世キリスト教社会は、ゲイの牢獄なのでございました。

カソリック教会では、九世紀から十二世紀にかけては同性愛に対して比較的寛容であったものの、1179年のラテラノ会議を契機に方針が一変。同性愛への禁忌を盛り込んだ、聖書の中の「あれしちゃダメ、これしちゃダメダメ」帳・レビ記が大いにクローズアップされました。ダ・ヴィンチが生まれた15世紀ヨーロッパは社会にゲイ・フォビアが浸透していて、ゲイにとっては、まさに暗黒時代だったのでございます。。

しかし、戒律で縛られたって「じゃあ、オンナにしとくか」というワケにはいかないのが、性的指向(嗜好じゃないよ、指向だよ)すなわち、セクシャリティであります。かの天才、若きダ・ヴィンチも、やはり人間。人目を忍んでの火遊びから、25歳の誕生日を間近に控えた1476年4月に逮捕・拘禁されるに至ってしまったのでありました。



■ダ・ヴィンチのお相手は誰?

1452年4月15日、フィレンツェ共和国領内の小村ヴィンチ村で公証人セル・ピエロ・ダ・ビンチの庶子として生まれた、レオナルド・ダ・ヴィンチ。1466年フィレンツェのヴェロッキオの工房に入門して、絵の修行に勤しむのでありました。

修行10年目の1476年4月、ダ・ヴィンチは17歳の金細工職人ヤコポ・サルタレッリ(ヒカリモノ関係ってとこがステキ☆)とのアバンチュールを密告され、「神をも恐れぬおぞましい行為」をしたとして逮捕されます。このときに逮捕されたのはダ・ヴィンチだけではなく、ほかにもヤコポ君と関係した3人ものオトコがイモヅルで逮捕されたっていうから、このヤコポ君、若輩にしてなかなかのヤリ手だったようですな。



■逮捕されたダ・ヴィンチ

逮捕されて大目玉をくらったダ・ヴィンチですが、証拠不十分で釈放されました。フツーならば「ああ、アブナかったー。当分、ちょっと控えめにしとこうかな」と思うところでありますが、そこが天才と凡人の違うところか、なんと彼はこの2ヶ月後に同種の告発を受けて、またまた逮捕されてしまいます。なんて懲りないヒト。。。

ってか、才能ゆえなのかどうかはわからないけれど、誰かに妬まれて密告された可能性もありまする。だとしたら、同性愛者だという弱みにつけ込まれたわけだから、ちょっと可哀相かも。まぁ、この2度目の逮捕でも政府にキョーリョクなコネを持つ辣腕公証人の父親・ピエロのチカラで、釈放となったダ・ヴィンチなのでありました。イイトコのお坊ちゃんで、よかったねー。

父ちゃんには、こっぴどく怒られたのでしょうか。。。
この父・ピエロ氏は次々と妻をとっかえひっかえして50歳から78歳までに12人の子供をもうけた絶倫オトコ。ダ・ヴィンチもホトンド継母と叔父(この人は相当な自由人)に育てられたそうだから、まぁ、そう強くは怒れなかったんじゃないかと歌川は推測いたしまする。


歴史の授業で習えなかった同性愛-3
フロイトが「ダ・ヴィンチの同性愛的傾向が色濃く出ている」と分析する2枚の絵画、『洗礼者ヨハネ(左)』と『聖アンナと聖母子』。どこに色濃くみられるのか、歌川には、わかりまへん。



アート工房は独身者と同性愛者の小共同体

さて、ここでクエスチョンです!
(って、「ふしぎ発見」かよ)
ゲイ・フォビア社会であった中世ヨーロッパの中心地フィレンツェで画家修業中だったダ・ヴィンチ。このような不祥事を起こして、その後も工房で画家修業を続けることができたのでありましょうか。


ダイジョウブでやんした。

ダ・ヴィンチの入門したヴェロッキオ工房は(同門にはペルジーニ、ボッティチー二、クレディといったそうそうたる顔ぶれ)、師匠をはじめとして、独身者と同性愛者の小共同体(現代で言うゲイ・コミュニティ?)であったいとわれていて、クビになったりはしなかったみたいであります。
しかし、ゲイ・コミュニティ(に近いもの?)だったとわかると、ダ・ヴィンチの2度の逮捕に皆がどんな反応を示したのか、別のキョーミがわいてしまいますな。

「あんた、バッカじゃないのッ。」
「うるさいわね、ブス!」

みたいな世界だったとしたら、笑えーるー。

歴史の授業で習えなかった同性愛-5



現代のゲイ達に光を与えてくれる巨星

宮廷画家となり、アート界の巨匠となってからも、身の回りに若き美貌の弟子たちをはべらせたり、超タイプの弟子の泥棒癖に頭を悩ませたり、後継者をタイプの弟子にするか実力のある弟子にするかで悩んだり、レオナルド・ダ・ヴィンチの生涯は、まごうことなきゲイ・ライフでありました。

歴史の授業で習えなかった同性愛-4

彼の作品にはモナ・リザを含めて未完のものが多く、他人から「天が与えた才能をムダにしている」と言われ、本人もそれを後悔しながら息を引き取ったといわれているけれども、まるでアートに造詣のない歌川にも、その作品のすごさがびんびん伝わってくるところが、やはり後世に語り継がれるべき鬼才なのでありましょう。芸術だけではなく科学や工学の世界でも才能を発揮した、マルチ・エキスパート。彼の存在は現代のゲイ達に光を与えてくれる、まさに巨星なのであります。



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