無邪気って、美しい。

 

今日は、雨になったり、晴れたり、ころころ空が変わります。

 

先週、大好きな伯母が旅立ちました。

小さい頃に、母と一緒に、伯母の家へ泊りに行ったことを、今でも覚えています。

大人になってから、葬儀の場などで、伯母に会い、いつしか大好きになっていました。

伯母は、70代後半になっても、会社勤めをしていました。そんな伯母を見ていて、必要とされる人、たよりにされる人、いくつになっても、勤めることができるのだあと、それまでの概念がなくなっていきました。

 

私は、20代、男女や年齢に関わらず、いろいろなことに挑戦させてもらえる環境で、はたらいていたので、やりがいを感じながら、貴重な経験満載の日々を過ごしていました。

そんな中、興味ある分野ができ、30代へ入る頃に、通訳がいなくても、学びたいことを学べるようにと、ブリスベンへ1年ほど、語学留学をし、以来、学びたいこと、触れたいことのため、ロンドンへ行ったりと、あちこち動いていました。

そんな私の生き方を、いつも伯母は応援してくれ、いくつになっても現役の伯母のひと声は、私に元気や勇気をくれていました。

 

30代半ば、自分で仕事をはじめる前に、一つ学んでおきたいと思っていたものが、京都で学べることになり、伯母の家でお世話になりたいと思いたち、伯母の家(大阪)から、京都へ通うことにしました。

快く受け入れてくれた伯母の家で、早朝、伯父(とても素敵な人)がつくる小松菜とバナナのスムージーをいただき、伯母の手作り朝ごはんを食べながら、なんだかほっこり温かい朝の時間を過ごし、出かける時は、玄関前で、伯母が、『おはようお帰り~』と見送ってくれました。

伯母から伝わるやさしい温もりに、どこかの時代で、本当のお母さんだったかも?と思ったものです。

夜、帰ると、いとこのお姉ちゃんが、毎日のように来てくれ、一緒に夕飯。

今、思いだしても、かけがえのない大切な時間です。

 

伯母がなくなったと一報が入り、信じられなく、しばし呆然としましたが、伯母が、安らかに、幸の中にありつづけるよう祈っていたら、伯母が、4、5歳くらいの女の子の姿で、お母さんの足に、しっかりと抱きつき、お母さんにやさしく背中を抱いてもらっている光景が見えてきて、二人から伝わる温もりに、私の中で、安心、安堵が広がっていきました。

 

今週のある夜、伯父や伯母をおもうと、いつものやさしい笑顔の伯母が、あらわれました。

そのやさしい笑顔の表情に、無邪気さがくわわり、その美しい笑顔に、つい私も幸せな気分になり、笑顔に。涙は流れるけれど、これは、幸せの涙のようです。

 

無邪気。

子供の無邪気も、美しい。動物や生命の無邪気さも、すばらしい。

そして、いくつになっても、私たちは、無邪気を、ここにあらわすことができ、それは、とても美しいことなのだと、実感する今日このごろです。

 

生命の旅立ち。

何度経験しても、慣れることはありませんが、この光景を前にする時、感じみること、味わうこと、知ることを、大切に生きたいと思う日々です。

 

みなさんの今日が、生命の輝きあらわるものになりますように。

 

晴れ 晴れ 晴れ キラキラ