こんにちは。

今朝は、雨が降ったり、ダブルレインボーが姿を現わしたり。そんな朝でした。

そこから、再び猛暑へ。 そうだった。そうだったと、カーテンを閉めたり、散歩に向けて、水の準備を今からはじめたり、猛暑の過ごし方を思い出しています。

外にいる方、室内にいる方、みなさま、お体どうぞご自愛ください。

高校野球や水泳など、日本中に感動や元気がめぐっていますね。選手のみなさん、ご家族、競技に関わるすべてのみなさんに、ありがとうです。

 

 

星 くろちゃん、ありがとう。突然の旅立ち。 

 

実家にいる猫ちびは、11年前、母親とはぐれたようで、(手の平サイズだった頃)、実家の敷地内に取り残され、やがて、家族になりました。

当時、実家には、庭に、ディノ(中型犬)、家に、タロウとさくら(二匹の猫)がいました。

タロウが旅立ち、ディノが旅立ち、昨年暮れに、さくらが旅立ちました。

残ったちびは、普段と少し様子がちがい、いろんな感情を持っていたと思います。

そんなちびは、今年に入り、友達を連れてくるようになりました。

まんまるなお目目の可愛い猫。 両親は、くろちゃんと呼んで、二人の仲の良さを前に、世話をするようになっていき、くろちゃんもまた、実家の庭で過ごす時間が増え、お庭が拠点になっていったようです。

雄と思えぬ、かわいい声のくろちゃん。

さくらが旅立ち、ぽっかりとした実家に、くろちゃんは、くろちゃん色に、元気をくれたように見えました。

生きるものの姿は、すばらしい。

 

くろちゃん用の、ごはんと水が、庭にある時、よその猫が、庭にやってくると、ちびは、一目散にとんでいき、追い払い、くろちゃんのごはんに触れてはだめ!と、はっきり意志表示をしているようでした。

 

くろちゃんが敷地内にいる間は、しっぽをゆらゆらさせながら、くつろいで、当然のこととし、よその猫が敷地内に侵入すると、追い払います。

 

二人の仲の良さは、私も見ていて、幸せな気分になったものです。

 

一昨日の夜、散歩から帰ってくると、母からの電話。母の声は、痛みをこらえているような声でした。

聞くと、甥っ子が、塾の帰りに、くろちゃんが、車にひかれているのを見つけ、見にいったところ、頭を強く打っていて、亡くなっていたとのこと。

道路の真ん中に、たくさんの血を流し倒れているくろちゃんを、さらにひかれないように、母が抱きかかえて帰ってくるとき、甥っ子が、行き交う車の対応をしてくれていたそうです。

(甥っ子が見つけたことは、偶然ではなかったように、今、思います。)

 

私は、信じられない気持ちで、しばし呆然としながら、愛する花の命や、ここにあらわるみんなに、くろちゃんを導いてくれるように、そして、ちびや両親のことをお願いして、ひと時を過ごしました。

 

それから少しの後、愛する花の命が、『このこは、亡くなったことに、気づいていないよ。今、いつものように庭にいる。』と教えてくれ、導き手も送ってくれたとのこと。

 

もしかしたら、鳴いてもえさが出てこない。と思っているかも?と思い、母にそのことを伝え、その夜は、いつものように、ごはんと水を、くろちゃんに用意してあげたようです。

 

この夜、愛する花の命と、いろんな話をしました。

ちびは、大丈夫かしら?

愛する花の命は、『大丈夫。あのこは、分かっている。世の中のしくみ。この世。天の国。くろちゃんが旅立ち、再び、寂しいおもいもするが、ちびのまわりに、みんなの愛(タロウやさくら、くろちゃん)があること、よく知っている。』

 

くろちゃんは、寿命だった?という私の問いに、『あと5年、生きられた。』

寿命があと5年あったのに、亡くなったの?

 『あるんだ。代わりに、彼に与えられた時間がある。

彼は、あと5年分、近いところにいて、別の経験ができる。

肉体は失ったが、彼の魂は生きている。力強く。生きている時と、変わらない。

ここから、彼の魂は、生きる者の役に立てるよう、自由な愛の響きある中で過ごし、自由な流れと共にあり、人を助け、動物たちに愛をおくる。

彼は、幸せだったし、今なお幸せを感じている。

人の愛を愛び、人を愛することを知り、同志との戯れ、愛に生き、活躍、自らの生きた姿に、深く納得している。』

 

亡くならない道はなかったの?

愛する花の命は、『あったよ。選択制。何をするか?何を体験するか?自由なんだ。彼の魂は、選択したんだよ。この道を。そして、迎えた今日だった。』

 

続けて、人の場合、動物の場合についての旅立ちにおける選択について、話がつづきました。

 

翌朝(きのうの朝)、朝早くから、店を開けてくださるお花屋さんへ行き、くろちゃんに花を買い、実家へ向かいました。

実家に着くと、父もまた、花を買いに出かけていました。

花をいっぱい敷き詰め、両親が火葬場へ(きれいな場所です。)送っていきました。

 

その間、私は、ひと晩で、げっそりしたちびと、ゆっくり過ごしました。

ちびを見ていると、涙が流れました。

ちびの横で、床にごろんと仰向けで、寝転がっていると、ちびは、私の胸の上にあがってきて、私の顔をじっと見ています。

ちびと話していると、さっきは、『大丈夫。くろちゃんここにいる』と言っていたちびは、『ここにいない。』と言い出し、辛そうな顔をして、じっと、私を見つづけます。

「さびしい?」と、ちびに聞くと、ちびは、『さびしいと言うよりも、喪失感。』と言いました。

同時に、私ののどや胸、体に、深い感覚が表れ、私の目から、涙が流れつづけました。

そうしながら、これも循環に見えました。ちびの感情を通し、私の体や目から溢れ出る。

 

私は、ユニコーンやみんなを呼んで、ゆっくりゆっくり、ちびをあたためながら、ゆっくり一緒に過ごしました。

こういう時、そこにある感情をすぐ癒してしまうのは、乱暴に見え、ゆっくり寄り添い、くろちゃんとの日々をおもったり、素直な感情と一緒にいることがやさしく見えました。

しばらくすると、ちびのしっぽは、ちょっと、調子にのってきた様子がうかがえてきました。

 

ちびの好きなお刺身を買いに行き、両親とちびにお昼の差し入れをし、庭を見ると、ある場所に、くろちゃんは愛らしい装いままに、いるようでした。

 

くろちゃん、ありがとう

くろちゃんの存在がうれしく、感謝です。

 

くろちゃんは、昨日たびたび、声をかけると、『(亡くなったことに) ピンとこない。』と、話していました。

今朝、起きたとき、くろちゃんをおもうと、庭にいるくろちゃんが見えてきて、『まだ、ピンとこない。』とのこと。

 

突然のことだったため、くろちゃんは、痛みや衝撃を覚える間もなく、実感がない様子。

痛みがなかったこと、苦痛がなかったことは、なんだか、私に、ほっとした安堵をくれました。

 

そんなくろちゃん、今日のお昼すぎあたりから、少しずつ、状況を理解しはじめているようです。

 

くろちゃんが、5年分の寿命をつかってしようとしていることを、私は応援し、時に、話しができたら嬉しいなあと思います。

 

ちびは、昨日のお昼、刺身を元気に食べ、茶目っ気を取り戻しつつあるようです。

 

生きる者の姿、生命、生きた光たち、みんな愛しい。すばらしい存在です。

 

晴れ 晴れ 晴れ