こんばんは。
今日の夕方から、この辺りも、雪が降り始めました。
この冬はじめて見る雪に、ケンタロウは、はね跳びながら、ウキウキして歩いていました。
昨夕、散歩を満喫して、家の近くへ戻ってくると、もうすぐ17歳になるお友達のわんちゃん(Sくん)に会いました。
久しぶりに会えたので、Sくんのお家のおばさんと、Sくん、ケンタロウで、ゆっくりお話しながら過ごしていると、『昨年、お父さんが亡くなってね…』と、おばさんが、おっしゃいました。
私は、えっ?と、状況が、すぐにのみこめず、お父さんって…っと、何度か、聞きなおしました。
いつも、夕方の散歩は、Sくんのお家のお父さんで、ケンタロウも、ずいぶん可愛がってもらい、よく、お話して、一緒に過ごしました。
昨年、たけのこが採れる時期には、『たけのこ、好き?』と、たずねてくださり、『今年は、在所で、よく採れてね』と、その週末に、ご夫婦一緒に、車で、うちに来てくださり、採れたてのたけのこを、分けてくださいました。
いつも、笑顔のおじさんは、私には、お元気そうに見えましたが、昨日はじめて、ずいぶん長い間、闘病生活だったことを聞きました。
「笑顔のおじさんの姿しか、思い浮かばないね。」と、私とケンタロウが話していると、おばさんは、『確かに、去年は、元気に過ごしていたわ。』と、うっすら涙を浮かべていらっしゃいました。
おじさんの話をして過ごしていたら、背中が、暖かくなってなってきて、いつもの笑顔のおじさんが、すぐそこにいらっしゃるようでした。
家についてから、ケンタロウに、おじさんのこと知ってた?と聞くと、ケンタロウは、“知ってた。”とのこと。いつ?と、たずねると、“そのとき。”と。おじさんが肉体から離れた日、ケンタロウは、おじさんの家の前を通り、知ったそうです。つづけて、悲しくないとも、ケンタロウは、話していました。
“人は、悲しみのストーリーを、作り上げる”と。
ふと、肉体=人と見ているから、このさびしさ、悲しさが、大きいようにも思え、一人の魂のプロセス、その後も大切な道が、つづいていること、地上を卒業して、次の世界へはばたいていく。次の世界のはじまり。
こんなに、祝福に値することはないとも、思いました。
そう思ったとき、イエスが、穏やかに『そうだよ。』と、おっしゃいました。
夜、イエスやみなに、おじさんのこと、おばさんやご家族みなさんのことをお祈りし、お話していたら、こんなお話をしてくれました。
肉体から離れるプロセスもっと軽やかになっていく。