1ドル80円を切る気運が日々強くなっている。ドルの価値が下がるということは、基軸通貨としての通用力にも影響を与えかねず、今後の国際情勢及び国家戦略を考えるにあたり、重要なポイントになっている。


 為替の動向は、為替を通して取引する企業(斯く言う私もそうした企業にアルバイトで勤めている)にとっては重要な問題であるし、外国債購入など資産運用をする人(そして斯く言う我が家も豪州ドルであるが、資産運用をしているようである…)にとっても見逃せない問題であろう。あと、海外から本を購入する方にも見逃せない問題である。



 ところで、記録としてかつての最高円を更新したとしても、それが具体的にどのような意味を持つのかよくよく考えてみると分からないところがある。

 1ドル=100円から95円になったのと、80円から78円になったのではどちらが金銭的に影響を与えるかと考えると、そこまで両者は変わらないようにみえる。それに、もし78円まで下がったとしても85円まで反発すれば、結果的には円高という影響はこの限りでは無いといえよう。とすれば、大事なのは一瞬でも最高値を更新するかどうかに着目するのではなく、中長期的な動向にも着目するべきであり、最高円の更新はその意味では絶対的な重みを持ったものではないといえる。



 しかし、それにしても80円を切るかどうか、そして最高円を更新するかどうかはかなり着目されていると言えるのではないだろうか。とすれば、その根拠はどこにあるか。それは最高円を更新すること自体が我々に心理的に大きい影響を与えるという点にあるといえるのではないだろうか。例えば、998円という価格は1000円とたった2円しか変わらないのに(ちなみに私は2円を笑う者ではない)何か安い感じがする。我々は価格について物理的に、心理的にも影響を受けているといえる。

 そしてそれが集団となると、影響は計り知れないほどに大きくなる。それが為替取引や株式等、金融市場であるといえる。あがり続けた株価が一度下がり始めると、何人かの人間が「そろそろ売るべきときじゃないか」と思う。もし売る量が買う量よりも多ければ、株価がまた下がる。そうすると、もっとたくさんの人間が売ろうと思う。そして結果として株価は下がり続ける。そして、株に投資していたものは損をし、追証をつけてまで投資していたものがあれば、さらに資産を失っていくことになる。こうして株価の下落は経済に広く影響を与える。これが1929年の大暴落の大まかな進展であることについては、ジョン・K・ガルブレイス『大暴落1929』(日経BPクラシックス)に良く書かれていると思う。



 すなわち、最高円を更新したという事実が先に述べた「もう株を売らなきゃヤバい」と思わせるような心理的影響を我々に与え、それが現実の金融を動かし、経済活動に影響を与えるということなのである。「あぁもう輸出はヤバイ」「今こそ輸入だ」などなど。

 その意味ではある意味政治よりも世論に敏感なエリアなのかもしれない。近代に入り、一般人も遊休資本などを用いることによって金融戦線に参戦出来ることになった。実際戦場に立つのは代理人たるファンド等だったとしても、一般人も参戦していることには変わりが無い。それ故、どんなに冷静な経済専門家が居たとしても、為替の上下に一喜一憂する流れには少なからず影響を受ける。むしろ、そうした影響を利用するのが金融政策と言えなくも無い。金融とはその限りで血の通ったものなのである。

 

 もちろん、各国の景気事情、産業力、金融政策等が為替に影響をあたることは言うまでも無い。であるから、心理的影響のみによって動向が考察できるわけではない。

 それと金融関係者は様々な工夫を凝らすことで先に述べた心理的影響等によるリスクを回避するように努めてきた。分散投資をしたり、複数の銘柄を組み合わせた商品を開発したり、法的整備を進めたり等等。この辺りは私の詳しい所ではないので、この辺で遠慮しておく。

 さらには、近年は金融工学が発達し(そしてこの前一度崩壊したわけだが)、コンピューターの計算力もあり、取引の速度は爆発的に進んでいる。誤発注も一度出してしまうと、すぐに取り消しても売れてしまう。みずほ証券の事件は我々にとっても記憶に新しいはずだ。とすれば、影響力も半端無く上昇しているということになるし、人間の及ぶ所ではなくなっているのも事実だ。一概に人間心理だけ研究していれば言いわけではない。

 だが、それでもなお金融は心理的影響を受けやすいものといえよう。何故なら、金融が影響を与える経済にいるのは紛れも無い我々人間だからだ。景気の動向を図るときに、企業に景気が良くなったかどうかをヒアリングして短観として発表する調査方法もあるくらいだ。経済とは意外と人間くさいものだと思っている。それはあたかもボードゲームをしているようだ。もっとも、あまりにも膨大かつ道具が高度化しすぎてはいるが。

 
 私の理解はさしあたり以上のようなものである。こうした考察が私の様々な社会的問題についての意見に反映されることは言うまでも無く、皆さんのご意見をお待ちしております。