いろいろなタイミングが重なって、「次の試合で負けたら引退」って状況と、「みぎわさんとの結婚」のタイミングが重なり・・・

5月にみぎわさんとの結婚式(式場で空いている日程があり、ちょっとだけ割安で行えることになったので)

7月に「負けたら引退」の杉崎選手との試合でした。

で、7月の試合が決まった上での結婚式ですが、これについても何度も記事にしている「余興を頼める友達がいない(来てもらうだけで申し訳ないので、頼めない)」ってことから「何か時間稼ぎをしないとな」

⇒しょうがない、新郎が感謝の手紙を読もう

⇒母親(由美子)とみぎわさんを泣かそう

としてみぎわさんには明かさずに、自分のこれまでを振り返りながら参列してくれた方への感謝をつづった結構長めの文章を書き・・・

自身の添削でメモ書きして・・・
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式場の司会の人には「奥さんには内緒で」として当日読みました。

由美子についてはそらもう簡単に泣かすことに成功しましたが、急にそんなサプライズを受けたみぎわさんは、原稿を軽く見ながら講釈を垂れる旦那の横で

「立ちっぱなし疲れる・・・ってか話なげ~わ・・・」

という感じで死んだ目・顔をしていました。

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これではまったくに伝わらないと思うんですが、まさに「死んだ目・顔」なんですよね。

参列してくれていたみぎわさんの友達も

「○○ちゃん結婚式でヤバイ顔してたよぷぷ

と指摘したみたいですからねフッ


まぁそれはさておいて、そんな出たががりな旦那でしたが、結婚式は「やってよかった」と思えるものでした。

で、結婚式のあとは「負けたら引退」の杉崎選手との試合でした。

相当の緊張感で試合に臨むことができ、状態も良かったんですが・・・

2ラウンドに力まずに打ったパンチでダウンを奪うも、それにより気持ちに若干の緩みが生じてしまったのか、そのラウンド後半にスリッピングアウェーっぽく首をひねったタイミングで耳の後ろにパンチをもらい痛烈にダウン

あれは相当効いてましたが、レフリーが「つっつん」(に似ている)こと「福地勇治さん」だったために、続行してくれました。


ストップの早い遅いについては賛否あるかと思いますが、「ある程度・・・というか僕の場合、ある時期は『死んでも勝ちたい』ぐらいに考えてリングに上がっていた」なので、本当にありがたかったです。


で、続行してもらえれば「無駄に打ち合わずに自身のダメージを計って冷静に回復する」ことができるため、クリンチ&逃げて回復

打たれ弱い面があるものの、その分回復も早いので、次のラウンドからは集中力を高めて被弾を回避して・・・

コツコツとポイントを取ることができて、2-0でなんとか判定勝ちすることができました。

あの勝利は本当に嬉しかったですね。

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当時も記事にしましたが、この写真がすべてであり・・・涙が出ますね。


ボクサーとしての松崎博保は、萩原先生に生かしてもらいました。


感謝です。


本当にありがとうございましたm(__)m
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「最強後楽園で金子選手にTKO負けした」

⇒その時には「ストップ早いよ」と思ったけれど、その後の金子選手の活躍を見ると

「ダメージ溜まる前にストップされて良かったな」

と自分を慰めてみたりもしています・・・


それはさておいて、その後の年末に岩井大選手にパッとしない&つまらない試合をして2-0?の判定負け

まさにあの試合も「良いところもなく引退するには十分な敗戦」ではあったものの、自尊心やらプライドもほとんどなくなっているような精神的に病んでいた状態?だったので、悔しくもなく・・・

「次の試合に負けたら引退しよう」

と自身への最後のチャンスをあげました。

で、「できればランカーとやりたい」とお願いして練習していました。

ちょうどその試合の決まらなかった期間に、「阿久津兄弟」と出会ったというか一緒に練習するようになったんですよね。

僕の練習が終わる20時過ぎぐらいから協栄ジムに来ていて、「やんちゃ」というか普通では接点持たない人種でしたが・・・

阿久津兄の方はパンチや体の使い方やら最初から相応のレベルで、阿久津弟(ヒカル君)については、良いところもなく「まさに平凡」って感じでした。

ただ、「昼間ガテン系でガッツリ仕事をしてきたあとでも、ほぼ毎日ジムに来て一生懸命練習する阿久津兄弟の姿」に、僕自身の学生時代にひたすら練習していた姿を重ねて

「一生懸命やってるし、『人に教える』ことで今の自身のモヤモヤした感じも変わるかな」

って気まぐれで、自分の練習が終わったあとに一緒に向かいあったりするようになりました。

まぁ「一緒に練習」と言っても、基本的にマスボクシングをやるだけなんですが、「実戦の中で学ぶべきことは多い」ですし、マスボクシングをやることで僕自身のボクシングを見つめなおすきっかけにしていた面もあります。

よく阿久津兄弟からは「自分の練習終わった後に付き合ってくれて本当にありがとうございます。」とお礼を言われましたが、「自分自身のボクシングの感覚を取り戻すため」であり、「背の高い阿久津兄弟が強くなれば、一緒にマスをやる僕にも大きくプラスになる⇒結局は自分のため」ってスタンスでしたよね。

あとは「僕がアドバイスをしたりして強くなった」ということがあれば、「小心者で社交性の低い僕でも、気軽にマスを頼める」というこれまた自分自身のためのものでしたね。

当時は阿久津兄弟&坂口君、そして僕って4人でよくやってましたね。

そういう風に「人に教える(アドバイスする)」環境で、ちょっとずつボクシングの感覚だったり、「楽しいと思う気持ち」だったりが思い出せてきたって部分もあったと思います。


で、話はあっちこっちに行きますが、そんな状況でみぎわさんと付き合ってだいぶ長くなっていて・・・

結婚していない状況に互いの両親から「そろそろ・・・」となり、その圧力を交わしきれない状況になり・・・

これまた自身の「ボクシングへのやる気がわからなくなっていた状況」が、「結婚によって何か変わるキッカケになれば」ってことで結婚することにしました。

「結婚すらも現状から抜け出すためのキッカケとして利用しようとしていた」ってことからも、葛藤&試行錯誤の日々だったんですよね。
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「熱中症の後遺症?でボクシングへの情熱がわからなくなってしまった」

⇒「ハワイキャンプで両膝・腰がボロボロになり、まともに走ることもできなくなった」

⇒試合でも1分・1敗

そんなうまくいかない状況ではありましたが、「就職したあともボクシングに挑戦させてもらったこの機会を活かしたい」「応援してもらっていることに応えたい」ってことで、やる気は湧いてこないものの、自分ルールで縛って決めた分をトレーニング

ジムワークを20時30分ぐらいに上がって、その足で新宿スポーツセンターに筋トレ行って・・・

筋トレ行かない日は夜に公園でダッシュやったりと、まぁよくやっていました。

その甲斐もあってか岡田選手に負けた6月?から半年ぐらい経った11月?12月?には勝利することができました。

で、その後も相当の練習をこなし・・・

さらにこの頃ぐらいから「塩分」&「カリウム」について、己の体を使った実験でだいぶ学んで

⇒うまく摂取をコントロールすれば「体重が増えない」効果に驚かされ

⇒計量後に体重が増えすぎてしまう自分の方法に取り入れるようになりました。

要は計量後の食事で塩分を取り過ぎないようにする&カリウムをしっかりとる、でしたが、その効果は絶大でした。

料をそんなに気にせずに好きに飲み食いしても、当日計量でも3キロぐらいしか増えずにすむって感動しました。


が、「ミスター極端なバカ男」こと私は塩分を控えまくり(トン汁の汁も飲まないなど)・・・あんこを吸ってカリウムをガッツリ取りってことをやっていて・・・


そうしたら試合の最終ラウンドにパンチをもらってないのに脱水症状を起こしてフッラフラになって・・・


結果その試合も引き分け・・・


脱水症状に限らず、試合のでき自体も悲惨なものだったので、「要はボクシングスタイルも路頭に迷っていた」って感じだったんですけどね。


で、それを受けて筋トレをやめていろいろ試行錯誤を続けるもなんとも芳しくなく・・・


何ヵ月後かの最強後楽園で金子選手にTKO負け


あのダウンはダメージがなく、レフリーストップによる負けでしたが、その後の金子選手がチャンピオンになりその活躍を見ると

「ダメージなく終われたのは良かったな。チャンピオンになった金子選手の強さを見ると、続けてたら相当やられてた可能性高いもんな」

と思えましたね。


それはさておいて、当時の状況を考えて今思うことは、大事なのはやはり「気持ち」だったんだろうなぁって感じですね。


練習量で言えば結構なものだったと思いますし、手を抜いてやっているわけではなくて全力でやってはいましたが、「こなしていた」って感じになってしまっていたんだと思います。
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