くも膜下出血疑い | ブルベ入門 (再入門編)

ブルベ入門 (再入門編)

自転車で走る200キロ、300キロ、400キロ、600キロ、1000キロ、そして1200キロ。 
スポーツであり、アドベンチャーであり、そして旅でもある「ブルベ」(オダックス)についてのブログです。 
膝故障による4年のブランクを経て、2014年5月に自転車再開しました。

2010年、脳梗塞で寝たきりだった父が他界した年に、私は膝を傷めました。

2011年の震災後、未亡人になった母の膝が悪くなり、人工関節化の手術をしました。

2012年、自分の膝が治って再び自転車に乗れる日が来ることを、諦めかけていました。


2013年4月。

半ば諦めかけていた膝を、絶対に絶対に治して、再びブルベを絶対に絶対に走ると決めました。
治ると決めた。という、断固とした気持ちでした。

10月5日に乗る。
日付をそう決めて、公言して、皆さんから暖かい励ましの声をいただきました。
毎日朝晩リハビリ、ジムに行って膝のトレーニング、胡散臭い整体院にも通いました。

このブログを、また書き始めたり。
オダックス群馬の運営に参加させてもらったり。


そんなふうに、自転車に向けて気持ちが高まっていた2013年の9月に、怒涛の半年が始まりました。

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私は名古屋に転勤になって、単身赴任しました。
本社部門から、ちょうど4年ぶりの現場復帰でした。

名古屋では、社員だけで100人以上、パートナー会社の人含めると200人を超える大きな部門を預かりました。
栄という、東京だと銀座にあたる場所にある会社と、会社から700mの所に借りたマンションを往復する生活。

ほぼ会社に居ました。
膝を治すとか、自転車に乗りたいとか、そういう事が意識に上るいとまも無い。
時間的にも精神的にも、仕事に集中し切っていました。

復帰予定日だった10月5日も仕事で過ぎました。

11月。1日だけ休みを作って通勤用の小径車でポタリングに行きました。
一進一退の膝に、「治して乗る」は諦めつつ「乗って治す」を再び心に誓い。
オダックス群馬の名古屋往復ブルベ開催も心に誓い。

でも翌日からはまた仕事三昧で、そんな誓いはすっかり忘れ。
仕事に満ち溢れる3か月が経った12月下旬。

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ある朝会議中、強い頭痛と目の違和感に耐えきれなくなり、会社の医務室のベッドでしばらく休みました。
そこに居合わせた産業医の勧めで病院に行き、その病院の指示で別の病院に行き、またその病院から大きな病院に回され、、、


くも膜下出血疑い、でした。


くも膜下出血というのは、脳の動脈が出血する病気です。
3~4割が死亡。4割が後遺症。2~3割が社会復帰。という、まぁ、なったらアカンやつです。


この日を境に、私の日常が激変しました。