weeklyTC


それは、パクリタキセルとカルボプラチンという抗がん剤を、1週間に1回、3週連続で投与して1週休薬。これを1クールとして繰り返す治療。


…weeklyと言いながら、私にとって、週1回ずつのペースで予定通り3週続けて化学療法が行えたのは、4クール目となる今回が初めてだった。


副作用も、それなりに出現した。


【軽微な消化器症状】


まず、軽度の便秘。これは、途中からマグミット 330mgを1回2錠~3錠、1日2~3回適当に服用した。


それでも、何となく腸の中が"渋滞"しているようで、腹部膨満感があったので、化学療法後2日目にはレシカルボン®坐薬を使用した。


腹部膨満感と関連して、何となく胃部不快もあったので、プリンペラン®錠を1回1錠、1日2回程度服用した。


食欲は今一つだったが、痩せるほどでも無かった。


【末梢神経障害】


TC療法によくある、足の痺れについては、最初に自覚したのは3クール目の途中だった。


左足のふくらはぎから先が、ある朝突然痺れ始めた。


それは、正座のあと痺れが切れたような感じと似ていた。


歩行に困るほどではなかったが、その時は不愉快だった。


その時から、メチコバール® 500μg 1回1錠、1日3回服用し始め、数日で痺れが消失したので服用を中止した。


その後、化学療法の後、軽い痺れを自覚するとメチコバール®を1日3回服用し始め、痺れが消失すると服用を終了している。


しかし、抗がん剤(パクリタキセル)の総投与量が多くなるほど、末梢神経障害という副作用は頻度が高くなることは既に分かっている。


よって、今後も早めの対策が重要であると思われる。


【倦怠感】


倦怠感の強さは、今回の化学療法において最も強かった。


火曜日に抗がん剤を投与、水曜日はそれほど倦怠感が強い訳でもなかったが、食事と軽い家事労働以外は終日臥床して過ごした。


木曜日には倦怠感が強くなり、やはり終日臥床して過ごした。


この頃から、枕に接している後頭部にほてりを感じ、睡眠中にもそのために覚醒することがあった。


金曜日も同様に倦怠感が強く、家事が出来なくなり両親が食事の支度をしてくれた。


頭のほてりにアイスノンソフトを使用すると少し快適に過ごせた。


それでも、自動車の任意保険の更新の締め切りが近かったので、午後から自動車を運転して農協に行ったところ、待ち時間を含めて1時間ほどかかった。


ようやく呼ばれてもカウンターに立って話を聞いたり書類にサインをすることが難しかった。


「座れるところ、ありますか。」と尋ねるまでに、少し時間がかかった。


手続きのあと農協の駐車場で、車の中で仮眠を取って、帰りのコンビニでまた休憩を取って、まっすぐ帰れば20分のところを休み休み帰り、そのまま自分の部屋に入って寝た。


それでも、自分のベッドで寝始めて2時間もすると目が覚め、度々寝返りを繰り返しても身の置き所が無く、横になってもいられずベッドに座り、トイレに行っては立ちくらみに似た何とも言えない不快な状態になり寝る。


このようなことを5~6時間ほど繰り返した結果、ぼんやりした頭で"メイラックス®飲もう"と思うに至った。


倦怠感は時間が過ぎなければ改善しない。


それならば、薬を使ってでも寝てやり過ごそう、という作戦だ。


メイラックス®は、最初の化学療法の時、もっと強い倦怠感のときに使用していた安定剤だ。


半減期が長いので、効き方もマイルドで「ハイ、落ちた!」という不快感も無いし、薬効の切れ方もマイルドだがら、「ハイ、切れた!」という感じが無いところが良いと思う。


服用後、1時間すると薬効が現れ入眠し、5時間後には自然に気分良く目覚めた。

久々にお腹が空いた。


土曜日も、倦怠感はあったので、朝食の後はやはりほとんど臥床して過ごしていたが、気分はずいぶん楽だった。


何より、「昨日よりも体調が良い」と感じられ、それは即ち「ピークは越えた」ということであり、明日はもっと良くなるはずだ、と思えた。


日曜日も倦怠感が残っており、半日は臥床して過ごしたものの、少し活動出来た。


きっと、明日はもう少し動けるはずだ。


あとは、そろそろ昼夜逆転の睡眠パターンを直そうかと思う。


そう言えば、放射線肺炎の咳は最近全く出なくなっている。


今週は休薬の週であるから、この1週間は何か両親の役に立つことをしたいと思う。


思えば、今週の化学療法の後は、ほぼ臥床して過ごした。


初めて人並みに3週連続で治療したら、結構堪えたらしい。


しかし、対処法もある。

だから、きっと次の治療も乗り切れる。


後で振り返ってみると、本当に助けが必要な時には、「助けて」と言うことすら困難だった。

前にも、抗がん剤の治療中に同じような経験をしたことがある、と思い出しながら、助けが必要かもしれない人には、こちらから声を掛けることを躊躇しないよう心掛けたい、と改めて思った。