「永遠の0」
(百田尚樹作)を読みました。
この本は、宮部久蔵という、特攻戦死した凄腕の戦闘機パイロットの人物像を、その孫たちが、久蔵のかつての戦友や、関係者を訪ねながら探ってゆくという設定で、元特攻隊員や、その関係者の視点からあの戦争を描写して行く趣向の物語で、一応フィクションなのですが、久蔵やその関係者らが遭遇した実際の戦闘の詳細が描かれており、一種のドキュメンタリーのような構成になっております。
司法試験浪人の佐伯健太郎は、祖母の死をきっかけに、祖父から、本当の祖父は祖母の前夫で、特攻で戦死した宮部久蔵という人物だと告げられ、駆け出しのジャーナリストである姉の慶子と共に、宮部久蔵の人物像を探る調査を開始します。
戦友会の紹介で最初に会った旧海軍の戦闘機搭乗員で、隻腕の老人長谷川は、開口一番、
宮部は軍人の風上にも置けない卑怯者だった
と言い放ち、宮部が常日頃から軍人にあるまじき「生きて帰りたい」という女々しい発言をしていたこと、戦闘では要領よく逃げ回っていた節があること、極めつけは、空戦の最中に落下傘降下中の敵の搭乗員を銃撃したこと、などを挙げ連ねます。
ショックを受けた健太郎は、そんな実の祖父宮部久蔵と、司法浪人と言えば聞こえが良いが、実態はニートのような自分を重ね合わせて落ち込みますが、調査を続けて行きます。
すると、色々な関係者の証言で、長谷川が臆病で卑怯者と罵った宮部は、実は凄腕の戦闘機パイロットで、生への執着心から積極的に敵と渡り合う勇猛さは無かったものの、教養、人徳にも優れ、部下や同僚、そして何よりも家族愛に満ちた人物という一面もあったことが判明してきます。
こうした関係者の証言の形を取って、当時の軍隊の不条理、高級指揮官達の作戦指導の稚拙さや、前途有為な若者達を特攻に駆り立てていった非道さ、無責任さが告発されていきますが、本書は決して底の浅い反戦ものではありません。
物語の中で、
特攻隊員は、狂信的愛国者で、イスラム過激派の自爆テロリストとも通じるところがある
と信じる新聞記者が登場し、元特攻隊員に一喝される場面がありますが、私も、以前酒の席で、一緒に仕事をした役所のお役人に、全く同じようなことを言われたことがあります。役所のキャリア官僚ですから、相当高学歴なはずなのに、無知を通り越して、とんでもないことを言う奴だ。と憤ったことを覚えております。
その人が特別だと思ったのですが、2001年の9.11テロ以降、そう考える人が意外に多いのには驚きました。
特攻隊は、戦時中の戦闘行為として、日の丸を付けた軍用機で、敵の戦闘機や無数の対空兵器が待ち構える軍事目標に突っ込んで行ったのです。それに対して、9.11のテロリストは、平時に、民間人が乗った民間機を乗っ取り、一発の反撃もできない民間施設と民間人の殺戮を目的としたのです。
9.11テロの後、多くのアラブ人たちが、
我々もカミカゼをやった!
と、誇らしげに叫ぶ姿をテレビで見た時は、悲しさと同時に言いようのない憤りを感じたものです。
本書によれば、戦後、特攻隊員を含む元航空兵達は世間の冷たい仕打ちに晒されたようですね。あの特攻第一号として全軍布告された敷島隊の関行男大尉の母親は、戦後、戦犯の親と後ろ指を指され、大尉の墓すら立てることができず貧困の中で亡くなったそうです。
そういう世相の中で、多くの元兵士達は発言を封じられてきたのでしょう。物語冒頭で宮部を「卑怯者」と罵った長谷川老人も、国のため尽くした傷痍軍人であるにもかかわらず、軽薄な反戦平和主義に落ちた世間によって白眼視され、苦難を強いられたのでしょう。
それにしても、あの関大尉に墓すらなかったとは...。
さて、真珠湾攻撃から、ミッドウェイ海戦、ソロモン航空戦などを生き抜いた宮部も、終戦の数日前に沖縄への特攻出撃を命じられ戦死するのですが、出撃の直前、一緒に出撃する学徒の予備士官に乗機を代るように要求します。しかし、その予備士官の乗機は旧式の21型と言われる零戦で、宮部の機は52型という新型の機体でしたから、予備士官は、新型機には熟練搭乗員である宮部が乗るべきであると言って断るのを、半ば無理やり交換します。
そして、その52型の零戦は出撃後、エンジントラブルを起こして途中の島に不時着し、予備士官は生き残ります。
宮部は、最期に運命の女神に見放されたのか?
真相は、宮部が生き残りのくじを引いたこと(自分の乗機のエンジンに異常があり、途中でトラブルを起こす可能性が高いこと)を知りながら、その幸運を予備士官に譲ったのです。同時に、自分の家族(妻と娘)の先行きを彼に託したのでした。
その予備士官は、宮部の教え子で、訓練中、宮部の油断から敵機の奇襲攻撃を受けた際、身を挺して宮部を救ったことがありました。そして、この予備士官こそ、終戦後、健太郎たちの祖母(宮部の妻)と結婚した祖父だったことが最後に判明します。
卑怯者の汚名を着ても、生きて還ることに執着した宮部。その彼が、最後に生き残りのくじを放棄してしまったのは何故なのか?
私は、宮部を卑怯者と断じた長谷川老人の見立ては、ある意味、当たっていたと思います。
宮部は、凄腕のパイロットでありながら、変な話、まじめに戦争をしていなかったのではないかと思うのです。パラシュート降下中の敵を撃ったのも、敵の搭乗員の技術を認めたが故に、彼を生かして還して再び自分の前に立ちはだかるのを恐れたからだと告白したように、端から武士道とか騎士道などとは無縁なリアリストだったのだろうと思うのです。
この頃の宮部だったら、生き残れる幸運を他人に譲るようなマネはしなかったと思います。素直に自分の幸運を受け入れたでしょう。
しかし、戦争を生き抜く過程で、宮部はあまりにも多くの死を見てしまった。戦友が、部下が、そして教官時代の教え子たちが散って行きました。そして、自分も死んでいたはずなのに、教え子が身を捨てて助けてくれた。
その後、特攻機の直援任務に就いていた宮部は、ある日、彼の目前で空しく撃墜されてゆく特攻機を守ってやれなかったことから、一人酒におぼれます。普段の宮部からは想像できないような醜態です。以前の宮部は、自分が護衛についた爆撃機を、他の戦闘機搭乗員であれば当然であった、自らを犠牲にしてでも守ろうという意識はなく、その爆撃機が撃墜されても、どこか冷めていた...。そんな宮部が変わらざるを得なかった。
もう、いかなる死も見たくない。
その宮部の最期は、宮部が突入した米空母の乗組員の回想という形で明らかにされます。宮部は、その卓越した操縦技術で敵の護衛戦闘機を振り切り、さらに敵艦隊の凄まじい対空砲火をもかいくぐって奇跡的に敵空母への突入に成功するのですが、彼の機が抱えた爆弾は不発で、敵空母に損傷を与えることはできませんでした。
最後に不発は無いだろう。
と思いましたが、きっと、
もう誰も死んで欲しくない
という宮部の一念が、爆弾を不発にしたのでしょう。
戦死した宮部の遺体は、敵空母の艦長の命令で手厚く水葬されます。この場面は、終戦直前、戦艦ミズーリ号に突入した特攻隊員の遺体(彼の場合も爆弾が不発だった)の水葬を命じた艦長の逸話をモチーフにしたものだと思いますが、感動的でありました。
本書は、映画化が決定されており、来春公開だそうです。必ず観たいと思います。