17、メジャーへ(4)
茜の出産予定日は、12月末ぐらいまで前倒しされていた。
妊娠7ヶ月で、お腹もかなり大きい。
コロンブスの事務所で、茜は店長にずっと頭を下げていた。
「お願い、もう一ヶ月だけ働かせて」
「そんなあ・・・9月一杯で産休に入るっていう約束だっだじゃん」コロンブスの店長は困惑してしまった。
「お願い!」茜は思いっきり頭を下げた。
そんな茜の姿に店長は驚いて「茜ちゃん!そんなに体曲げるな!流産したらどうする?」と言った。
そして「茜ちゃん・・・ウチは客商売で体も使うんだよ?銀行とかじゃないんだよ?」とあくまで茜の体を気遣った。
「お願いします」
「はあ・・・わかったよ。但しホールには出るな。何かあったら困る。俺に代わってこの事務所の管理をしてくれ。茜ちゃんならできると思う。俺がホールに出るよ」
「店長有難う!本当に有難う!」
茜も必死だった。
真の好きな野球をやらせたい。
そして子供もキチンと生んで育てたい。
茜は本当に強い女性だった。
そして次の日、恵と茜はバイト先で合流した。
事務室では、夜遅くまで明日の材料の発注をしなければならないのだ。
茜は妊婦の体にムチを打って、パソコンをパチパチと叩きながら、発注や売上の管理をしていた。
だが、そんなお腹の大きな茜は、疲れすら見せずにイキイキと働いていた。
そして、茜と恵は仕事を終えると汐入駅前の喫茶店に入って話し込んだ。
「えっ?阪神?」
「そうなの。指名されるかどうかわからないんだけどね」
「よかったじゃん」
「まだわかんないよ。とにかく私は真がやりたい事をやらせてあげたい」
「私、お祈りしとく。遠山君が指名されますようにって」
「ありがとう。ちなみに恵はどうするの?」
「私?陽一についてくよ。それで新しい街で料理の仕事探すんだ」
「もう永久就職しちゃいなよ。玉の輿だよ」
「陽一だってプロに行ったとしても、怪我しちゃう事だって考えられるし。それに私、どうしても料理の仕事がしたいんだ」
「恵って頼りなさそうなんだけど、そういうとこは本当にしっかりしてるね」
「そ・・・そうかなあ」
「うん。普通の女の子だったら、うわついてしまうよ。私、プロ野球選手の奥様だあって」
「プロって・・・私は宇宙人陽一の彼女だよ」
恵はそう言うと、笑い出した。
そして二人は別れると、恵はそのまま汐入駅で陽一がくるのを待った。
恵と陽一の二人は、手を繋いで街灯の明かりの綺麗なヴェルニー公園を歩いた。
しかし陽一は、なんとなく元気がなかった。
「どうしたの?」
「なんでもない」
「なんかあったんでしょ?」
「ないよ」
「あるよ。私、陽一の顔見たらわかる」
陽一は黙っていた。
「陽一、お願いだから話して」
すると陽一は「恵、そこに座ってくれ」と言ってベンチを指差した。
「う、うん」恵は陽一に言われた通りに、ヴェルニー公園のベンチに腰掛けた。
陽一は、しばらく夜の横須賀軍港を見つめていた。
「どうしたの?この間からなんか変だよ・・・」
「恵・・・」
「何?」
「俺、メジャーに行きたい」
「メジャー?」
「アメリカのロサンゼルスに、ドジャースと言うチームがあるんだ。俺、そこに行きたい」
「アメリカ・・・」
「日本の球界より、メジャーリーグでやりたいんだ」
「ちょ・・・ちょっとまって・・・私・・・今までいろんな事を考えて・・・それで・・・」
「悪いとは思っている。俺の事を物凄く考えてくれたと思っている。だけど、どうしてもメジャーに行きたいんだ」
「陽一・・・私、どうしたらいいの・・・」
「ロサンゼルスに一緒に来てくれないか?」
「ロサンゼルスに?」恵は大きく目を見開いた。
「うん、アメリカの西海岸にある街だよ」
恵はしばらく黙っていた。
そして「・・・ちょっと考えさせてくれる・・・」と言った。
恵にとっては全くの想定外だった。
今まで、陽一が日ハムに行ったら、もしくはソフトバンクに行ったらと言うように、一番遠い所に行った時の事を考えていた。
しかし陽一の出した結論は、さらに遠く離れたアメリカのロサンゼルス。
恵にとっては全くの想像のつかない世界である。