スペイン南部グラナダ到着!猿でもわかるイベリア半島アンダルシア地方の歴史授業!長っ!w
というわけで、スペインバックパック中!
長距離夜行バスにて、
バルセロナから南部の町グラナダにと到着でございます~!
■□■グラナダのバスターミナル□■□
この誰もいなさ加減w
バス内のババア達のゲロの輪唱がほへの心理に二重スリット実験のような効果をもたらして
新篠津村のタップの湯とか雨竜の道の駅にワープしたんかと思ったわ。ゴメン適当に言ってみたw
まぁ~ここは素朴がウリなのか!と思いながら
早速バスに乗ってとりあえず街の中心地
そう・・・さっき一所懸命覚えた単語
『イサベル・ラ・カトリカ広場(Plaza de Iabel la Catolica)』
に到着したら、後は安宿までの道のりはどうにかなるはず!
スマホなくてもどうにかなるや!フフフフ~ン⊂(^ω^)⊃ブーン
一息ついてやっと気付きました。
・・・実はですねほへ太郎、
こんな偉そうにスペイン旅行の自慢ブログを書いてる割にはっすね・・・
今回のバックパックのスケジュールはおろか、
自分がスペインで何をしたいんだか、
ましてや、スペインの地名とか場所とか全然知らないし、
決めもしなかったのぉ~w(・ω<)☆テヘペロ
こちらグラナダに目的地の舵を取ったのも、
バルセロナの最終日に
「あ・・・そういや次どこの都市行こか。やべw全然決めてないw
えぇと・・・あ!アンダルシア・・・!その単語どっかで聞いた事あるっ!
よし!(とチタマをペラペラめくる)おぉ~グラナダ!何か響きが格好良いじゃん!
そうだ。グラナダに行こう!(にっこり)」
って感じでですね・・・
まさか初めてのヨーロッパバックパックなのに、
単語の響きで行き先決めちゃう位に、
計画性ない事に自分自身で驚愕なレベルなわけなんすw
ちなみに(これ以上書いたら本当に計画性もやる気すらもない事ばれてしまうんすけど(あ?知ってるって?w)
スペインにアンダルシアって単語があるってのはは知ってました(自慢げにw)。
・・・アレでしょ?
・・・ほら、アレよ!
トニーの奴がしくじってその為に倉庫で決闘して決着つける歌でしょ!
しかも最後に死んじゃう歌!マッチが歌ってた奴よ!彼女の名前はカルメンでっす!
あれ?それはピンクレディーだっけ?・・・あれ?名前は仮免だっけ?それは嘉門達夫だっけ・・・?
いや!サビは覚えてる!覚えてるから許してっ!
ちょっと遅れるけど~
必ず行くから待っててちょ~
でも死んだ~/(^o^)\\(^o^)/オワタ~♪
・・・あれ?それは港のヨーコ横浜横須賀だっけ?あれ?
・・・今ぐぐって歌詞見て、
すんげぇウル覚えに自分で笑ってしまったわw
まぁですね・・・本当に無計画な旅行なんすよ。
とりあえず休み取ってバックパック行こう~みたいな。
何だろう・・・こんな所で今更漠然と自己分析をして書き連ねてみるのもなんなんすけど
(しかも仕事中に・・・仕事しろよw)
このバックパック病の根本的な理由って・・・
日本語もタイ語もましてや英語も通じない異国に行って
それでもその土地では色々な人々が生きて、働いて、何かを信じていたりして、
そんな人達を見ることで、自分自身の存在意義を確かめたくなるってぇの?
世界の広さをネット上だけでなくリアルで感じたくなる衝動ってぇの?
そんな知らない土地でも夕暮れに家族が待つであろう家にそれぞれの人が帰っていく姿を見て
何か懐かしいような悲しいような気持ちに改めて気づいて感傷的になりたくなるってぇの?
その場その場で臨機応変に対応してベストな選択を練っていくちゅー
バンコクのぬるま湯生活でダッルダルに緩んだ自身の勘のネジを締め直したくなるっていうの?
えぇっと・・・(・ω・` )
っ時には~なぜか~大空にぃ~♪
旅してみたくなる~ものさ~~♪
って事なのよ!
(結局歌ってごまかすw)
(´・ω・`) ほへ太郎さ~ん
/ `ヽ. お薬増やしておきますねー
__/ ┃)) __i |
/ ヽ,,⌒)___(,,ノ\
(´・ω・) チラッ
/ `ヽ.
__/ ┃ __i |
/ ヽ,,⌒)___(,,ノ\
(´・ω・`)
/ `ヽ. 今度カウンセリングも受けましょうねー
__/ ┃)) __i |
/ ヽ,,⌒)___(,,ノ\
というわけで!
前述した準備編その1とその2は自分への喝!自分への反省点だったのれすw
ま・・・自己分析なんかしてたら長くなってしまったすねwめんごめんごw
バスは市内へと向かっています。
■□■□■□■□■□
どれどれ。広場へつくまでの間、今更ながらこのグラナダという土地、
アンダルシア地方も含めて歴史的背景も含めて勉強しときましょうかねぇ~(本当遅っ!w)
【ほへ註:
いやぁ~グラナダという都市を調べれば調べるほど、
アンダルシア地方、そしてイベリア半島の歴史の流れ、
はてはヨーロッパ大陸という大きな舞台での色んな民族が複雑に絡み合う歴史観
・・・そして結局は根底に流れる宗教戦争という観念・・・!( ´Д`)=3 フゥーッ
自分の民が生き残るための騙し合いにせめぎ合い殺し合いに結婚し合い・・・
スペイン甘く見てますたスンマソンw
・・・しかも、調べながら書いてると、
ブログの制限文字数超えるほどに長くなりました。ワラ
お陰で午前中1っつも仕事しなかったわ。
ってかお願い。して!笑。
それにしても・・・島国日本は多神教な上に、
天皇のような存在がいて、何ていうの・・・一言でいうと
高校時代に日本史選択しといて良かった♡って心から思った。ワラ。
はい。興味ない人マジ飛ばしてね!( ゚Д゚)⊃旦 茶デモ飲ンドケ】
――グラナダ。(Granada)。
イベリア半島南東部に位置する雄大な父なるシエラネバダ山脈と、
母なる地中海からの穏やかな風によって守れたこのアンダルシア地方グラナダ県・・・。って県なんだw
その加護に守られるように紀元前8世紀ごろ(鉄器時代)よりイベリア人が生活していた。
周りのフェニキア人・カルタゴ人・ギリシア人とも交流貿易を行なっていたが、
しかし肥沃な土地が災いしいつもアフリカ大陸への足掛かりとしても狙われる戦禍の絶えない土地に成り果てたのだった。
最初から居住していたイベリアの民、
そして引っ越してキマスタ( `・∀・´)ノヨロシク!的仲良しこよしのケルトの民(後に混ざってケルティベリア人)は
紀元前264年第一次ポエニ戦争後に、海賊や海軍力で強い海の民カルタゴ(フェニキア人メイン)の支配下に置かれるも、
一緒にローマ帝国と戦ってみたり。
しかし第三次ポエニ戦争での「カルタゴの戦い」で
まさか有能なハンニバル将軍(未だにローマ人は嫌いらしい)のボロ負けにて試合終了~!
結局はグラナダも含めアンダルシア地方はローマ帝国の属州になったのである。。。
なおその際には15万人カルタゴ市民は大虐殺アポーン5万人は奴隷へとジョブチェンジ。
しかも土地は焼き払われて塩まで蒔かれる始末w
(ちなみにハンニバル将軍の戦い『方包囲殲滅戦術』は
現代の陸軍士官学校でも必ず教材として使われるほど完成度の高いのだ!
シミュレーションゲームでもほへ太郎よく使う戦法よ!
あと面白いのは悪魔の王、ハエとしてよく描かれるベルゼバブ。
これはハンニバルさんの名前の由来でもあるカルタゴの最高神バアルが
キリスト教のモットー『異教は敵じゃ精神(笑)』によって
神から悪魔へと人為的に書き換えられた本当はとっても位の高い神様なのよ。
日本やギリシャのような多神教的ヤオロズの神的に取り入れる事はしないってのは、一神教との違いすな!)
( ´∀`)・・・
(´-ω-)スピー――
そこっ!目を開けたまま寝ないっ!w
まだ紀元前の話ですよ!
西暦にすら辿り着いてないんだからねっ!
仕事中にそんな歴史を調べながら
わかりやすく説明して書いてるこっちの身にもなって!笑
(ってヨーロッパの歴史って複雑だけどおもしれぇな・・・)
しかし、紀元前415年キリスト教(厳密にはカトリック)を国教としたゲルマン民族メインの、
ローマやギリシア文化を吸収融合して大きくなった西ゴート王国の領地になり(首都はトレド。マドリッドから30分よ)
東ゴート王国との軽いイザコザはありつつも、平和な時は過ぎるのである。
ところが!711年にイベリア半島にイスラム王朝のウマイヤ朝の侵入で
今までのキリスト色からまさかのイスラム色へとまさかの宗教チェンジ!(首都はコルドバね)
ちなみにこの頃のイスラム教は、とっても寛容な宗教であり、異教徒同士の結婚もオッケー!だし、
異人種による差別等もない世の中であったため、
今の大らかで情熱的なスペイン文化の基礎となったといっても過言ではないのだ。
ちなみにその際、
郊外(アルバイシンの丘一帯)には「ガルナタ」と呼ばれるユダヤ人のコミュニティが作られイスラム教をサポートしていたのだ。
ユダヤ人がイスラム教を応援とか・・・う~んイマイチイメージ沸かないw
(話は脱線するけれど、ウマイヤ朝時代の首都名でもあったダマスカス。
その名前が付けられた、金属なのに木目調の色合いの切れ味最高のダマスカス鋼によって作られた武器は
父から子へと受け継がれる一子相伝の秘法の為、既にロストテクノロジー!
インドの錆びない「デリーの柱」って聞いた事ないっすか?
あれもどうも古代インドより伝わるダマスカス鋼製(ウーツ鋼)どうやって製造するのか謎なのだ。
オーパーツって奴だよね・・・詳しくはこちらをドゾー )
はい!話は戻りますよ~!
ところが、11世紀にウマイヤ朝の力が弱まってくると仲間のズィール一族によるズィール朝の内戦勃発!
まさかの内部から滅亡に近付くとはさすがのアッラーも気付かないちゅーねん。
そしてズィール朝によってグラナダ王国として独立宣言!ここ!試験に出ますよ!
その後も仲間のイスラム君達(面倒臭くなったので省略w)で王様一族は変わるけれど、
都市としては繁栄していくのでありますよ。でも時代はまさに戦国時代!
キリスト教や仲間であるイスラム教同士での血で血を洗う時代なんですな。
教もイスラム教も神は同一なのに、変なの!
・・・ちなみに首都コルドバは
三時のおやつに最適なカスティーリャ王国(実は西ゴート王国の生き残り)フェルナンド3世によって取り戻されてました。
そして1232年。アンダルシア地方の支配者の1人ムハンマド・イブン・ユースフ・イブン・ナスルが遂にグラナダを占拠!
今日から俺が王様グラナダ王国はナスル王朝のものじゃ!と宣言!ライバル達は歯ぎしりw
しかも外交も上手だったこの人、
戦ったら絶対負ける位大きくなった三時のおやつカスティーリャ王国のフェルちゃんと
「いやwあんたらやっぱ強いわwキリストバンザイ!w
もうあんたの王国が一番で良いから喧嘩しないって事で。ね?
3時にはカステラ食うようにするしさw」
と条約結んで自らスネ夫の立ち位置ゲット!
気を良くしたジャイアン(フェルナンド3世)から、グラナダ、マラガ、アルメリアを貰うことに。
交渉上手だw
・・・と、こうしてスネオはこの後、
イベリア半島の最後のイスラム王朝としてこの後250年栄華を極めるのであった。
その時期に建築されたアルハンブラ宮殿は世界遺産としても残されるイスラム建築の最高潮!
【アルバイシンからそんなアルハンブラ宮殿を望んで】
ところが、どんなにイスラム教が宗教に寛容でも
根底にある神様を改宗(キリスト→アッラー)するのは不満なキリスト教徒(しかも異教徒は税金多いてどゆこと!)
一般市民の間ではやはり不満が募っており、
イベリア半島ってさ・・・キリスト教のモノジャネ?イスラム教イラナクネ?的な運動、
いわゆるレコンキスタ(国土回復運動)が各地で絶賛勃発中!
ってかさ・・・個人的に思うのは、カトリックもイスラムもヤハウェイהוהが最高神でしょ?
同じなのに一体何を争うの???とか言ったら殺されんのかな?こわいこわいw
決め手は、15世紀末からカスティーリャ王国(ジャイアン)とアラゴン王国(ジャイ子)が手を結び、
「おいスネオ(グラナダ王国)!やっぱりそのラジコン返せよ。
あ?文句あるのか?俺のモノは俺のモノ!おまえのものは俺のもの!」
と難癖をつけてきた事。
【カテドラルに残るフェルナンド3世の名言が
記された肖像画風ステンドグラス(物語風に53枚保存されている)(資料1)】
(グラナダ王国)
: >  ̄ ―― ---‐ __
; > ______. | ;
;  ̄ | /_ _ \ | | ;
; .|.l´,,ヽ .i'゙,, `i | | ;
, jヽ__ノ ヽ___ノ レ‐、l ;
; / ° 、 6 } ;
;  ̄~> ヽ ノ゙´ ;
; <____イ ;
; /|/\/\ ;
絶対こんな腑に落ちない顔したはずw
ちなみにアラゴン王国やカスティーリャ王国はまんま指輪物語の世界で衣装で剣と魔法なんです!
ぶっちゃけほへ太郎はイメージだけではジャイアン派っすw
十字軍とかもジャイアンの手下ねw
――そして、運命の時1492年。
難攻不落と言われた骨川家の豪邸(アルハンブラ宮殿)も、
ジャイアンがわざとスネオの勉強机の目立つ場所に置いた
宮沢りえの写真集「サンタ・フェ」
を見たスネ夫のママのヒスによって
「すねちゃま!何ざますのこのお下劣なビニ本は!
勉強してると思ったら・・・何やってるざますっ!」
「ち・・・違うよママーボクのじゃないよ~」
(イスラム教は偶像崇拝禁止なのだw)
【カスティーリャ王国の計画的戦略により、
ナスル王朝が内部からも内戦状態になっている図(資料2)】
スネオとスネオのママが喧嘩してる間に
ジャイアンはスネオのラジコンを奪って、
ついに長きに渡る
ジャイアンとスネオの喧嘩は決着がついたのであった。――
【こちらもカテドラルに残る
フェルナンド3世の有名なお言葉の書かれた肖像画ステンドグラス
名言と顔の表情が非常にマッチしてて印象深い(資料3)】
――次の日。
ジャイアン(キリスト教徒)にいつも大した理由もなく殴られているのび太(ユダヤ人)。
ジャイアンの策略でスネ夫のラジコンを取った次の日から
いつも以上にのび太をいじめがひどくなる始末。
【経験なキリスト教徒にスペイン異端尋問に掛けられるユダヤ人(資料4)】
理由はもちろん
「のび太のくせに生意気だ!」
(スペイン異端審問(ユダヤ人大虐殺))
家へ逃げ帰るのび太。
しかしジャイアンは家まで押しかけてのび太をいじめるつもりのようです。
ついに遠い所から来たどらみちゃん(オスマン帝国)へとを頼ることになったのでした。
【大虐殺から命からがら逃れ
オスマン帝国へ救助を求めるユダヤ人(資料5)】
こうして、キリスト教徒の熱心なレコンキスタにより、
長きに渡るイスラム教そしてユダヤの民は静かにイベリア半島の歴史から幕を下ろすであった――
【イベリア半島を避難するユダヤ人への餞の言葉を贈るフェルナンド3世の姿。
異教徒を虐殺していた事の罪悪感と決別の悲しみの表情がフェルナンド3世の人間的優しさがあふれる一作。
鑑賞者の胸に迫る筆使い(スペイン語で「ツン・デレ描写技法」と呼ばれる)が非常に生きている。
また、旅立ちを決めたユダヤ人の横には、キリスト教でいう「精霊(動物型)」が
ユダヤ人を見守るように描かれているのも注目してほしい。
白と黒で描かれているが、この精霊が青く見え、
だみ声で喋りかけてきそうな気がするのは、作者の力量といえるだろう。
(スペイン題名:「Tameshi Ni Adios」日本名「ためしにさよなら」(丸ペン)(資料6)】
そんな人間たちの愚かな争いを悠久の刻の中、
今日も静かに見つめ続けるシエラネバダ山脈なのであった・・・・
■□■□■□■□■□
最後に、これは筆者の資料を含めたこの作品群に対する並々ならぬ熱意を感じた
大聖堂の牧師が「本当は展示物ではないですが・・・」と前置きをして見せてくれた
秘蔵のステンドグラスを紹介して終わりにしたいと思う。
キリスト教の精霊(動物型)がその当時はタブーであったであろう真理を鑑賞者に語りかける表現法
(スペイン語で「フキダーシ」)で描かれており、言ったら極刑(スペイン語で「ウチ・キーリ」)に処される程だったらしい。
当時の牧師(スペイン語で「ヘン・シューシャ」)がキリスト教徒に見つからないようにとっさの機転で隠した作品。
筆者はこの精霊(初期型で青色)の無垢なる視点と現代にも通じる普遍的な真理の言霊に、
不覚にも泣いてしまったのである。
【作品名なし。作者不明。ただ資料によると「F」としか示されていないようだ。
たまに「A」と書かれた作品もあるとの事だが、
表現技法に若干の違いと暗黒時代の名残があるようで
一般的には同一人物ではないと言われている。】
参考資料:
「グラナダ地方の言い伝え」
「チタマの歩き方」
「宗教的観点によるイベリア半島の歴史」
「ド・ラエモーン」
■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□
あ~ってわけで、
グラナダの歴史、アンダルシア地方の歴史おわかりになったでしょうか!
なんだよ!ヤケクソだよっ!ワラ
ほへ太郎、途中から大聖堂のパイプオルガンの重厚な音色と共に、
だみ声の精霊が歌う賛美歌(アタマテッカーテーカサエテピカピーカ)が聞こえて来ましたよ!
ヒャダ!これってオカルト!?
あ~んな事を仕事してる振りして薄笑いで書いてるなんて
デコピンされるわなw
ってわけで、次号!
キミョウキテレツマカフシギ~と(・ω・)/w