38本目(7月1日鑑賞)


考えてはダメ、体感しよう。
k1
渇き


監督・脚本:中島哲也

脚本:門間宣裕/唯野未歩子

編集:小池義幸

音楽プロデューサー:金橋豊彦

出演:役所広司/小松菜奈/清水尋也/妻夫木聡/オダギリジョー/高杉真宙/二階堂ふみ/橋本愛/森川葵/黒沢あすか/青木崇高/國村隼/中谷美紀


元刑事・藤島(役所広司)に別れた妻(黒沢あすか)から「加奈子(小松菜奈)がいなくなった」と電話が入る。娘の失踪に薬物が絡んでいると推理した藤島は独自に捜索を始めるが、加奈子の交友関係を当たるうちに、優等生の仮面をかぶった加奈子と裏社会との関係が浮かび上がってくる。

知らなかった加奈子像が形作られ、次々と現れる怪しい顔ぶれ。真相に近づくにつれ、藤島の捜査も徐々に常軌を逸していく。

k2

子のことを知らないなんてよくある話。


「渇」。

喉が渇く。

お茶を飲んで潤う「渇き」。

そんなレベルじゃない。

それがないと生きていけない。

なのにそれがない。

「渇き」は生きようとする反応。

「渇き」きってしまった少女と父は、

「潤い」を求めることもなく、

さらなる「渇き」へと暴走する


k3

この父、知らないようでいて…。


同監督の「告白」は原作が先。原作は救いがなくて嫌い。ところが映画を観た時、認めたくないけど、妙な爽やかさがあった。登場する少年はナチュラルな悪である。観ていて反吐が出る。それでも大人は正しく反応しなければならない。少年がそうなった訳を探らないといけない。それでも、それでも、あのラストは気持ちよかった。主人公の女教師は正しくない。それでも、「ざまみろクソガキ!」と。大人としてそれでいいのか。よくはない。中島監督、なんて作品作るんだ。
パコと魔法の絵本」で、色彩とキャラクター力に舌を巻いた。でも、「告白」がなければ中島監督を好きにはなっていなかった。その監督の新作。予告を観るごとに、観たい気持ちが高まった。今度は何をしてくれるのか。期待と不安。本作は原作未読で挑んだ。


k4

加奈子におぼれていく「ボク」


相変わらずの映像センス。爽快な音楽をバックにいじめられる「ボク」。加奈子への想いである。それがしっくりとマッチする。ハイパーテンションのロリポップも、ドラッグパーティーにマッチする。そんなに楽しげでいいのか。愉快でいいのか。これも中島監督のしかけ。


徐々に明かされていく加奈子の渇き。加奈子を取り巻く「悪」。加奈子を利用する大人たち。大人たちを手玉に取る加奈子。それは渇ききってしまった加奈子の戦い。家庭を失い、大切な人を失った加奈子には守るべきものがない。愛するものがない。

k5

後輩刑事は藤島の理解者なのか。


父は子を信じ、守る…普通は。本作の父もそう…最初は。加奈子を追い、知らなかった姿を知り、理性は崩壊へと向かう。いや、元々崩壊していたこの男の本性が晒される。そして、父は叫ぶ、「このクソガキー!」と。父は子に、自分と同質のものを見てしまったのではないか。


こんな具合。人としてのモラルを問う。何度も観たくなる作品ではない。 おそらく原作とも違う空気なのではないか。原作通りに映像化すると、とんでもない代物になるのではないか。ポップな演出はそれを和らげる緩衝材か。


k6

元担任教師は何かを隠しているのか。


大物俳優役所広司が汚ない。髪の毛も、あざだらけの顔も、羽織った白いジャケットも、どんどん汚れていく。藤島もどんどん渇いていく。
初見の小松はつかみどころがない。何しろ記憶の中にばかりにいる。
清水が美しい。ピュアというのは彼のこと。美しすぎると、一点のシミがすべてを飲み込む。
妻夫木が怖い。彼は開眼したのか。中谷は絶好調。青木、オダギリ、二階堂はいつも通り(笑)。橋本愛は、観るたびに驚嘆。

k7

加奈子を嫌悪していた少女も絡む。


独特の編集を排除すると、案外シンプル。シンプルな嫌悪感。考え出したら限りなくNGな本作。中島マジックでエンターテイメントにメイクアップ。感じないとついていけない。

k9

果たして加奈子はどこへ?

父は救うのか? それとも…


「告白」の少年は「悪」。本作の加奈子も「悪」。
個人的には「告白」の少年の方が嫌悪を感じ、成敗するに足るキャラクターだった。感じられる感情は快楽、恐怖…自分に対する感情のみ。人に対する感情が皆無だった。
本作の加奈子、一人の少年にある感情を抱いていた。そして劇中顔を合わせることのない父に対する、なにがしかのメッセージも感じてしまう。より「人間」に近かったりする。
「渇」いていることは、まだ、人として生きようとしていることなんだと思う。

最後の雪中ロケは、かなりしつこかった。(笑)



hiroでした。




脚本4 映像7 音響7 配役7 他(編集)9
34/50