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自分軸再生トレーナーの

仲地織江(なかちおりえ)です。

 

 

 

 

 

自分再生トレーナー
仲地織江(なかちおりえ)
おかげさまで開業21年目♪
詳しいプロフィールは
こちら

 

先日は、ひょんなことから
倫理法人会さまのセミナーに
登壇させて頂くこととなりまして
無事終了いたしました。


普段の講座の仕事に比べると
比較的短い時間であったため
「オーバーしないよう」

気を引き締めて取り掛かったら、
逆に5分余る、という失態^^;


30年以上人前でしゃべっている
というのに、「講師あるある」の
失敗をしてしまいました^^;




さて、本日のお話はこちら↓


【時間厳守の自分の前に
時間にルーズな人々が

やたらと現れる理由と対処法】

 

時間「だけ」ではないですが
自分はきちんとしているのに
目の前に真逆の人が現れる。

こんな現象に悩まされてはいませんか?

 

 

このblogの読者さんには

多い気がするので(笑)

 

今回はこの

「自分はきちんとしているのに

目の前に真逆の人が現れる」

件を、

 

「時間厳守」を具体的なテーマとして

書いてみたいと思います^^






1.自分の言動が「本音」と違う

「遅刻厳禁!」と
理性できつく自分に

言い聞かせている場合です。


「遅刻魔でも上手くいく人いるよ、
正直に真理探究してご覧」と
人生から問いかけられている

場合があります。

 

この場合は
「あ、ほんとだ。自分の本心は
『時間を大らかに捉えているな』などと
本心に正直になったとたん、

相手への許しと

自分への気楽な気持ちが戻り、
多少時間を守らない人が現れても
気にならなくなります。

 

逆説的なようですが、
その件に関し

人生から示されている「問い」に
最適解を出したため、
 

時間を守らない人が

以前ほど現れなくなることも多いです。



「時間厳守が正しい」という大前提に

「それは100㌫本当?」と、

問いかけてご覧という人生からの

シグナルです。





私たちは、時間厳守に代表される
「常識」を守っていると

安全に生きられる確率が上がる。

 

また道徳でしつけられてもおり、
その外にあるもっと広い視点を持つことを
リスクに感じる傾向があります。


私も以前、
夫の車の運転の仕方に関し

「夫の運転は雑だ」という思い込みに
目を向け、

 

「それは本当ですか?」と、

自己への問いかけをしたことがあります。


その際の気づきは驚くべきもので、
私は「社会常識」を盾に
「彼の在り方は間違っている」と
頭から決めつけていたんです。


それがきっかけで、夫への怒りが
激減したのです。

 

そのような「縛り」を私たちは最初、
この世の中で安全に生きていくために
親や学校から教育されますが

精神の自立を獲得するステージに来ると、

外から与えられた「正しさ」に

問いを持つよう、
それに気づく出来事が起きてくる
ことがあります。





2.健全な自己主張を求められている場合

「あなたが遅刻をすることで、
みなの時間が無駄になってしまっている。

今度から、時間厳守できるよう
今より5分早めに出るなどの工夫を
してもらいたい」

など、相手を否定せず
行動をどう変えて欲しいかを表現する術を
アサーションといいますが

ここを人生から求められている場合も、
「これ、言わないと分からないの?」と
のけぞりたくなるような(笑)

困った行動を相手にとられることが

あります。


怒りの勢いに任せて表現したら
関係が悪くなるし

 

自分自身を見つめて
自分の本心と、

その人にどうして欲しいのか
希望を表現していくことが

求められています。


この場合は、
アサーティブな表現をするほど、
自分を困らせていた相手との
相互理解が深まり、
 

例えばもっと良いアイディアを

出し合う関係性に
昇華していくこともあります^^





3.相手を責める気持ちがないのに現れる

ご質問なさった方は、大変に温厚な方で
「相手を責める気持ちは全くない」が
そのような方が現れる、

というお話でした。


ここは、さすが多くの方を束ねておられる
リーダーであるだけあり
感情が安定しておられるんでしょうね。


また、心理学を少し学んだ方であれば
これは「投影」ではないか、と思われる
かもしれません。

 

はい、その通りでしょう^^


「投影」は自分の中の認めたくないパーツを
外側の世界ががっちり見せてくれるものなので
 

「気持ちがざわつく」「怒り」などが
代表的な感情ではありますが、
そうでない場合もあります。

ここは、
blogで説明するには長すぎるので
今回は割愛します。


ただ言えることは、

自分の目の前に現れる現象や人々が

何等かの形で自分や自分の周囲に

迷惑をかける場合、

「どうして時間を守ら(れ)ないのだろう」と
疑問も含め、あなたの記憶に残るくらい
感情が揺れる場合。


「怒り」に直結しない温厚さは

懐の深さだと思いますが、
 

人生から

「そこ、あなたの意識がさらに
広がるチャンスだよ」と
投げかけられている。

この事実は変わらないのです。


なぜ時間を守ら(れ)ないのか。

時間を守らない「内面の理由」は
相手の責任領域であり

自分の領域ではないので

 

いくら内面に問いかけても

答えは出ません。


その上で、自分には怒りが湧かないが
実際、困らされているなら、
「実際、どう困っていて
今後どうして欲しいのか」
先述したアサーションが大事。


そして、時間を守ら(れ)ない人々に
囲まれているのに、
よく考えたら実害がないのであれば

「その在り方は『あり』なんだ」
時間を守るのは社会人として

人から信頼を得る良い方法の一つ

ではあるが

宇宙(創造主)の決めた法則

ではないのだなと気づいていくと

視点がグッと変わります。




答えは外側に先にありきではなく、
内側の知恵の泉に鎮座しています。


自分の内側(ハイヤーセルフレベルの答え)

から受け取った答えが
もしも今までの常識と

少々違う点が現れてたとしても

あまり気にすることはないと
思います。

常識そのものが間違っているのではなく、
「それ以外の答えも存在している」

というだけですから。


そこが分かってくると、
何であれきちんとしている方は

「常識のすべてが『万物を貫く法則』である
わけではないが、この生き方が好きだ。」

 

という感じに昇華していかれると思います。


この在り方に変わるメリットは
それ以外の在り方も心から許容しているため
 

相手に自責の念を抱かせるなどの
(無意識も含め)圧をかけること

がなくなります。



人は、自分が間違っていると思う時
相手に無言や無意識であっても

圧をかけられると


もともと持っていた「自分はダメだ」的な

罪悪感がくすぐられて緊張してしまい、

かえってそのクセが出る、という傾向を

持ちます。


なので、心から

「それ有りだったんだー」と
許容すると、その圧がなくなり

遅刻魔の方が自然体にもどり
本来の良さ(例えば懐の深さ、大らかさ、
ユーモアなど、「あるある」です)が
発露し、本来の貢献ができるように
なっていったりします^^


 

「それ有りなんだー」という視点の
広がりは、

「本当は間違っているんだけれど
私が優しいからあなたを受け入れているのよ、
本当はあなた間違っているんだけど」
 

というニュアンスの「許し」とは
似て否なるものです。





今日のお話は以上です。

 

 

 

 

 

お役に立ちますように。

 

 

 

 

 

 

 

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