「魂の法則」の中でも同じようなこと書いてありました。

私自身の体験でも、同じように感じています。


 

一部引用。

 

「気づき」とは、本来の在り方に気づくこと、知ること、自覚すること。そして実行していくこと。


病から回復された方たちに共通した言葉には、「愛」と「感謝」と「使命」、この3つがキーワードとして挙げられます。


結局、「魂からのメッセージ」とは、私たちに、

 

1.あなたという存在は、本来どんな存在なのですか?
2.本来の存在を知ったならば、ではどのように生きていくのがあなた本来の生き方なのですか?


私たちの魂は、この2つのことをあなた気付いて欲しくて、病を通してあなたの身体を使って、このメッセージを、この問いかけを、送っているのです。

 

引用以上

 

 

「魂の法則」からも、同じことを書いている部分を引用します。

 

「愛の法則」からみた病気②(P290~)から

 

癌になりやすい性格というのがあるのですか?

 

そうだ。「エゴ的感情」(憤り・憎しみ・悲しみ・恐れ)に流される人と、感情のやり取りや表現が抑圧されていると感じている人だ。

 

それなら、病気は、物事に正しく対処しなかった罰だという結論になりませんか?

 

罰ではなく、内的な感情的苦痛の結果である。

病気を生み出すのは当人であり、癒せるのも当人である。そのために、魂の本当の姿を抑圧せずに表明して、エゴから愛へと自分自身を変化させねばならない。

 

でも、もう苦しんでいるのに、そのような重い病になることには、どういう意味があるのですか?苦しむだけで十分ではないのですか?

 

肉体の不快感は、内面の不快感の反映だということに気づくことだ。

この場合、肉体的な病気は、当人に内面の病を気づかせ、変化を促すためのアラームのような作用をしている。

 

でも、当人が、肉体的な病気が内側の病と関係していると連想できなければ、どう自己変革できるというのですか?

 

肉体的な病気は、内なる魂を出現させまいとする頭脳の防壁を弱めるもので、自己の感情のみならず、他者の感情や苦悩についての感知力を高める。そして、これが、人に変化を促すのだ。

 

自分が変われば、病気は治るのでしょうか?

 

大半は治るが、すべてのケースがそうではない。肉体レベルで修復不能な病害もあるのだ。

 

「愛の法則」からみた病気④(P298~)から

 

感情的要因と遺伝的な性質が組み合わさった病気もあるのですね?

 

その通り。

 

もう少し説明していただけませんか?

 

特定の試練に立ち向かうために生まれてきた魂は、物質主義に流されて転生の目的から外れてしまわないために、病気を記憶の喚起剤として利用する。つまり、病気は、ドライバーに車線からはみ出たことを警告する路肩のランプルストリップス(訳註:主に路外逸脱防止を目的とし、道路両端に施工された波状の舗装)であるかのごとく、魂が事前計画から逸れてしまった場合にだけ起動する。

同じ状況でも重病にならない人がいる一方で、遺伝的な性質で特定の病気になりやすい人は、アラームが鳴りやすいのだ。言い換えれば、それほど強くない感情の刺激でも、病気を誘発させるには充分なのだ。

 

 

「愛の法則」からみた病気⑥(P305~)から

 

病気とその意味について、最後にいっておきたいことはありますか?

 

病気は、運命のいたずらでも神の罰でもなく、霊的成長の糧となるものだ。

今生で患う病気は、今回の転生で立ち向かわなければならない試練を知らなかったり受け容れようとしなかったのが原因か、または心に従って行動や生活をせずに霊的な内面を抑圧したのが原因だ。

このような場合、肉体的な病は内部の病気の警報として作動し、自分を変えるように誘導する。

先天性またはカルマによる病気のケースでは、原因は前世での行為の中に見出せる。それは、溜まった負債を清算するための試練であり、魂が霊的により高い段階へと昇るために障害となる心理的毒素を肉体に受け渡すプロセスなのだ。

 

26/6/2017
閏 5.3

 

今日、もう一つ見つけた、よく似た記事。

 

『内側/外側』

事故や病気やケガも基本的には内面の不調和が物質界で現実化しただけのことです。

例えば罪悪感があると事故や大ケガを経験します。

お金の心配ばかりしていると腰痛や坐骨神経痛が起きます

それを外側の世界の薬や鍼治療で対処しようとするのは本当は間違っています。

内面の世界から恐れや罪悪感を取り除けばいいだけです。

 

内的な世界が調和すれば、自然にそれに見合った人間関係や環境が用意されますが、内的な世界を調和させるために必要な行動を起こす必要もあります。

 

 

さらに・・・

ADHDケアの第一原則

ADHDの子供を持った親には、普通の親とは全く違う別の役割が生じる。

 

それは「ADHDの子供自身の自己責任環境を確保する」ということである。

 

発達障害全般に言えることであるが、特にADHDの場合、「第一原則」とも言うべきケア上最も重要なポイントは「自分で納得するしかない」ということである。

 

実際にADHDの子供でも大人でも接したことがある人にはすぐに分かることであるが、「ADHDは言われただけでは行動しない」「本当に自分で納得しないと行動しない」。

 

本人が自分を変えたいと真剣に希望する場合には合理的なADHDに移行することは可能である。私自身数例の当事者から回復が可能であることを教えられた)。 

 

本論に戻ろう。子供の自己責任環境を守るために、ADHDの親がしなければならないことは、「管理不行き届きの世間からの避難に耐え続けながらADHD本人を放置し続ける」ことだ。私はこれを「ネグレクト寸前」と表現して推奨している。

 

ADHDとアスペルガーの比較

 

ADHDの経過 のび太とジャイアン

 

ADHD私見 並行分散処理の不安定な脳

 

迷惑をかけても生きる