2010-05-26 16:16:16

 妙法蓮華経如来寿量品第十六は、釈尊が宇宙の創造者の気持ちを代弁したお経で、「わたしが」という部分は、創造者から、生命へのメッセージです。この経は法華経の中心となっています。


 千田寛仁訳文


 わたしたち生命は、10の7×2103乗に億を掛けそれを百千万より無量に掛けても足らないほど果てしない命の連続と途切れることの無いつながりによって生きています。

 命がこの宇宙に誕生してより、つねに生命を守る法則が、数え切れない生命を導いてきたのですね。 
 それは、命を守ろうとする、目には見えない大きな力が働いているからなのです。その正体についてはわたしたちも分からないので仏と呼んでいます。

 その宇宙の力と作用は、わたしたちに生命が滅するということが何であるのかを、聞かせたり、見せたりして、生命がこころを合わせることの一大必要性を、巧みな手立てを用いて示しています。

 だから、3.931億2千万年前には人の寿命が8万4千歳だったと古い文献にあるように、人も本当は決して100年やそこらで死んだりはしないということが、本来なのだと思っています。

 宇宙の力と作用は、いつでもわたしたち生命に、生命とは何であるのかを説いています。その教えは伝承だけではなく、見えるもの見えないものの現象そのものが教えだということです。
 
 宇宙の力と作用は、つねに生命わたしたち個々、ひとりひとりとともにあります。その宇宙の力と作用をわかりやすく「天の父」としましょうか。

 天の父がわたしたちを守っている事実を解らないでいるわたしたち生命は、例えるならビーカーに入れられ培養されている存在にすぎません。しかしながらわたしたちも生を受けたので、自分たちの命が自分たちにとってはすべてなのです。これがわたしたちの言い分です。

 したがって、天の父のことを信じ、天の父にしたがっていれば、本意で宇宙の力と作用について、わたしたちの生命をその力が温存することはあっても、消したりはしないという本義を理解していれば、心が迷っておかしくなることもないはずです。そのために五感と知恵が備えられています。天の父とは代々の父の教えそのものなのです。

 しかし、現実に、その大きな天の父の愛や力について信じることができずに迷いおかしくなっているというのはどうしてでしょうか。

 それは、天の父、よりわかりやすく父としましょうか。父はこんなにわたしたちの傍にいるけれども、父は姿をあらわしもしないし、見せることもないから、わたしたちは、わたしたちには父がいないのだと思って嘆き、怒りにまかせて様々な不義や、不善をおこなってしまいます。



 父の寿命はまことに永いのですが、子どもたち生命を残しました。子どもたちは広く父の意思を受け継いで、そうして代々の父の姿にわたしへのこがれる気持ちを思うでしょう。


 お父ちゃん。
 

 とても、子どもたちが、わたしに会いたくてたまらなくなったら、もう一度。わたしを仰いで求めるこころを起こしてみてください。そうしたら、すべての子どもたちはわたしを思い出して、信じ仲良くして、おだやかな素直なこころで「一心に」父を呼んで下さい。


 子どもたちのひとりでも、そのように思い、生命をなおざりにせず、お父ちゃんを呼ぶならば、その時わたしは、たくさんのお坊さんをつれて、霊鷲山(宇宙の中心・日本では始まりの三輪山のことや各地の神山)に現れます。


 お父ちゃんは、そのときに子どもたちに必ずこう話したいと思います。 

 お父ちゃんは、いつでもここにいて、決して滅びることはない。
 
 だけども、巧みな手立てを用いて、死んだりしたように思えたかもしれないけれど、お父ちゃんは決して死なず、いつもこうして子どもたちのことを思って近くから遠くから守っているのです。
 
 
 いつもここで子どもたち一人一人、あなたのことを思っているのです。
 
 他の国であっても、仲良く暮らして欲しいと言う父の願いを素直に聞いて、父のこの本心を聞きたいと思っている子どもがいるならば、父はまたたく間にそこへ行って、その子どもたちに、この父の教えを聞かせてあげます。 

 他の国ですら、またたく間に行けるのに、この国で迷っている子どもたちがいます。父の話も聞かずに、ただわたしが死んだものとばかり思っているからでしょう。

 
 わたしは死んでいません。
 

 父が、この世の中をよく見てみると、まるで苦しみの海に沈んでいる子どもたちがいます。迷いさまよい、お父ちゃんを求めないで、苦しんでいる姿が、見えるのです。

 父は、お父ちゃんのすべての子どもたちを信じて、いじわるに思わないでほしいのですが、わざと子どもたちの前に姿をあらわさず、みんなに会いたい気持ちをおこさせて、父を慕う気持ちにみんながなたっときに、わたしは姿をあらわして、子どもたちみんなのために父の教えを説いていくつもりです。

 それには、子どもたちみんなが、目を閉じて、お父ちゃんを思ってください。



 黙祷 



 父はこの国、この星の子どもたちが皆、お父ちゃんを求めたとき、不思議な力を発揮して、必ず現れます。これがお父ちゃんのサプライズなのです。しかし、子どもたちが父がいないといって争っているため、お父ちゃんは今までにアブラハムや釈迦や孔子やキリストやマホメットや様々なお父ちゃんのみ使いをたくさん送りましたが、なかなかお父ちゃんの本心をみなわかってくれていません。

 お父ちゃんは、子どもたちが仲良くするために、お父ちゃんのみ使いを送ったのです。送った子どもたちは宗教の教祖となったでしょうが思い出してみなさい。お父ちゃんの送った子どもたちは、宗教を作れとは一言もいっていません。お父ちゃんはそれにたいして残念に思っています。悲しいです。お父ちゃんを愛する子どもたちはお父ちゃんのこの本心をあらゆる子どもたちに伝言してください。



 はるかに遠い永く長い数え切れない年月をお父ちゃんはいつも霊鷲山(宇宙の中心)に常にいます。

 さらに他にいたる所に住んでいます。世界ではアララト、シナイ、ヒマラヤ、アンデス、ハワイ、オーストラリア、数え切れず。日本では三輪山、恐山、早池峰山、出羽三山、月山、飛騨白山、吉野山、比叡山、六甲山、剣山、高千穂、あらゆる神山。そしてあらゆる所。各家庭にいたるところにまで。だから高価なものでなくてもいいから、お父ちゃんをちゃんと祀るようにしてください。


 この世が滅びるような時がやってきても、子どもたちは宇宙の災害や地球の災害、戦争の大火で焼き尽くされることがないように、今から必ず仲良くして、お父ちゃんが現れるようにみんなで祈りなさい。それは、お父ちゃんに会うためには子どもたちがどうすればいいか、よくみんなで考えるのです。喧嘩をしないように。あらそいの原因は、言葉や行動、風習の違いによるものですから、子どもたちがそれぞれ、相手にあわせるというこころを持って、お互いが一歩退いて、相手を尊重しあって行うのです。

 

 お父ちゃんの国土は、この宇宙。

 お父ちゃんにとっては、すべての生命が子どもたち。

 お父ちゃんに国境は無い。

 

 安らかであり、超文明の神ともいわれるような子どもたちや、人間で常にいっぱいに満ちています。

 美しい花園や綺麗な林が生え茂り、たくさんのおうちや摩天楼が建ち並び、それは色んな宝で、まばゆく飾られて、きらきら宝の輝く樹木には、いっぱい美しい花が咲き匂いたくさん果実がなっています。

 お父ちゃんの気持ちをいち早くキャッチした子どもたちは みんなそこで遊んだり 楽しんだりしているのです。

 天上界の神や子どもたちや、天の太鼓をうちならし、清らかなBGMがいたるところでかかっており、いつもいろいろなコンサートもやっています。お父ちゃんのもとを離れなかった子どもたちだけでなく、お父ちゃんを求めてやってきた子どもたちには、清らかで美しい曼陀羅華の白い花が雨のように散らしながら降りそそいでいるのです。


 お父ちゃんの世界、浄土はこのように美しくこわれることはありません。


 それなのに地球の子どもたちは憂えや恐れや、もろもろの苦悩によってみたされていると思いこみ、こうして様々の罪をつくった行いの悪い一部の子どもたちは悪い行いをつみかさねその因縁にもとづいて罪を背負って長い長い年月を過ぎても過ぎてもいつまでも

 素直にならず、

 きまりも守らず、

 仲良くもせず、

 悪さし放題で生きています。お父ちゃんのことを思ってやっているつもりが、お父ちゃんは、子どもたち同士が苦しみ憎しみ争いあうことなど全く求めていないということを理解しなさい。仲良くして欲しいという本心を一部の子どもたちは分かっていないのです。お父ちゃんは神などと言われたくもありません。仏などとも言われたくもありません。お父ちゃんは、お父ちゃんなのです。


 お父ちゃんは、お父ちゃんです。


 けれどもあらゆる良い行いを行いおさめて、功徳をつみかさね心は柔和で素直な子どもには、みんな、わたしがここに身をあらわして教えを説いていることをはっきり見ることができるのです。

 あるときは こうした素直な子どもたちに対してはお父ちゃんのいのちに限りはないのだよと説いています。永い長い時を経てようやくお父ちゃんに会えた子どもに向かっては、お父ちゃんに会うのはむずかしいことなのだよと説くのです。


 難しいけど素直になれば会えるのです。


 お父ちゃんの智慧の働きはこのように自在なのです。お父ちゃんの智慧の光ははかり知れないほどいたるところを照らしだします。お父ちゃんの寿命は数えきれないほど長くて限りがなくて永遠です。
 それは久しい間、善いことをずっと行いつみ重ねて功徳をおさめて得たものだからです。


 お父ちゃんにできたことは、お父ちゃんがまごころを込めて作った子どもたちにもできるはずです。


 あなたたちは、お父ちゃんの智慧をそのままそなえているのです。このことをけっして疑ってはならない。そして、まさに疑いのすべてをみんな断ち斬ってずっと疑いを捨てさらなければいけないのです。


 <この辺で釈迦本人にもどる>


 まあ、お父ちゃんの言葉は真実でこれっぽっちの嘘もないのです。

 例えるならば、お父ちゃんがすぐれたお医者様だとして、間違ったものを飲んで苦しんで、心の狂ったわが子を治して助けて救おうと巧みな手立てで工夫をしたとします。
 だけども、薬は苦いので子どもたちはそれを飲まない。
 だから気転をきかせてお父ちゃんは
 自分は生きているにもかかわらず「父は遠い旅する土地で死んだ」と言ったとします。
 そう使者に言づけしこれを聞いた子どもたちは、すっかり驚き悲しんで、たちまち目ざめておきなおり、父がのこしておいた良薬を飲んで心をとりもどし病気をなおして救われました。


 わたしはこの話を、あなたたちに語って聞かせたことがあります。このお医者様の言葉を嘘などと果たして誰が言えるでしょうか。

 わたしもあなたもまたこの世の人びとにとっての父なのです。いろいろな多くの苦しみ悩む人たちを救い導き手なのです。真の父から教えを受けないで育った子どもは、善と悪とを見あやまり、正と不正とをまちがえて、さかだちした心をもっています。

 そこで、わたしは実際はいつでも生きているけれど、わたしはもはや滅したというのですよ。
 常にわたしに会えるのだと考えて救ってくれると思いこみ、そこでわがままおごりがわきおこり、なまけていろいろな欲望にとらわれて悪い道に落ち込んで苦しんでいるのがこの世に生きる人びとです。


 期間限定お父ちゃんですよと。
 はやくお父ちゃんに会いにきなさい。


 ということにしてありますが、実際お父ちゃんは子どもたちにとって永遠にお父ちゃんであり、父も子どもたちを見捨てたりは絶対にしないのです。
 すぐに改心して、仲良くなりなさいということです。遵って末法というのはお父ちゃんを求めさせるためのわたしが作った方便です。お父ちゃんの愛に終わりはありません。


 わたしは常日頃からすべての人びとが生命を守り大切に繋ぐと言う生命の誠の道を行っているか行っていないかそれをよく知っています。チェックしているのです。

 正しい命の存続の道すがら法則に従って、どうしたら救われるか、救うべきところを見さだめて、過去の人々に感謝し、今現代の人と睦みあい、未来の子どもたちに繋げて行くことです。みんなのために、それぞれに、ふさわしいさまざまな方法で教えを説き明かします。

 わたしは、いついかなるところでも常に自らこう誓い願っているのです。どのようにしても、すべての人びとを、この上なき最高の、生命の保護の道に入らしめて。すみやかに、永遠の命を成就させようと考え、行動しています。
 これが、わたしのわたしたち生命の永遠で滅することのない誓い願いなのです。

 はい、次はあなたの出番です。




 妙法蓮華経如来寿量品第十六


 自我得仏来 所経諸劫数 無量百千万 億載阿僧祇
 常説法教化 無数億衆生 令入於仏道 爾来無量劫
 為衆生度故 方便現涅槃 而実不滅度 常住此説法
 我常住於此 以諸神通力 令顛倒衆生 雖近而不見
 衆見我滅度 広供養舎利 咸皆懐恋慕 而生渇仰心
 衆生既信伏 質直意柔軟 一心欲見仏 不自惜身命
 時我及衆僧 倶出霊鷲山 我時語衆生 常在此不滅
 以方便力故 現有滅不滅 余国有衆生 恭敬信楽者
 我復於彼中 為説無上法 汝等不聞此 但謂我滅度
 我見諸衆生 没在於苦海 故不為身現 令其生渇仰
 因其心恋慕 乃出為説法 神通力如是 於阿僧祇劫
 常在霊鷲山 及余諸住処 衆生見劫尽 大火所焼時
 我此土安穏 天人常充満 園林諸堂閣 種種宝荘厳
 宝樹多華果 衆生所遊楽 諸天撃天鼓 常作衆妓楽
 雨曼陀羅華 散仏及大衆 我浄土不毀 而衆見焼尽
 憂怖諸苦悩 如是悉充満 是諸罪衆生 以悪業因縁
 過阿僧祇劫 不聞三宝名 諸有修功徳 柔和質直者
 則皆見我身 在此而説法 或時為此衆 説仏寿無量
 久乃見仏者 為説仏難値 我智力如是 慧光照無量
 寿命無数劫 久修業所得 汝等有智者 勿於此生疑
 当断令永尽 仏語実不虚 如医善方便 為治狂子故
 実在而言死 無能説虚妄 我亦為世父 救諸苦患者
 為凡夫顛倒 実在而言滅 以常見我故 而生恣心
 放逸著五欲 堕於悪道中 我常知衆生 行道不行道
 随応所可度 為説種種法 毎自作是念 以何令衆生
 得入無上道 速成就仏身

 

 

 

 参考 経文中次の可能性もあり

 為衆生度故→為度衆生故
 而生恣心→而生憍恣心

 

 

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千田寛仁和尚