もう持っているんだ。

 

ふとそんなことを思った。

 

先日行った身体(からだ)ワークショップでは

身体は、それぞれにしか持ち得ない一番の宝物だ

と時間と認識を共有した。

その自分の身体はとっても優れているのだとも。

 

身体のことだけで捉えていたけれど

全て持っているのではないかと思った。

 

可能性があることは、内包されている。

できないことは持っていない。

つまり、できることは全て持っている。

 

生かすか生かさないかを決めるのは自分。

気づけばよいだけ。

磨くか磨かないか。

 

やり方は色々あるかもしれなくて、今よりももっとよい方法を探ることは

どんどんすべきだけれど

これ以上、何かを持とうとしなくて良いんだってこと。

 

去年、monophonic orchestra主催のワークショップに呼んで頂いた際

私のクラスの名前は『物語る身体(からだ)を持っている』とした。

 

主に俳優向けのワークショップだから

立っているだけでも、居るだけでも

その人でしかない身体でいる以上、そこにはその人だけの物語が存在する。

だから自分の身体を知ろう、他者の身体を観よう、という意味付けで名付けた。

 

今になって思えば、感覚としては「持っている」ことをわかっていたのだけど

ないものを求めようともしていたなぁ。

 

 

まだうまく言葉にはできないのだけど

気づいたんです。

持っている、ということに。

身体に拘って過ごしてきたからこそ、気づけた気もします。

 

楽しくなってきました。

 

 

これは去年の6月に行った宮古島にて。

この身体は、もう知っていたんです

持っているということをね。

きっと。

 

 

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