NY出張報告!~最終回~ | HIROCOLEDGE Staff Blog

NY出張報告!~最終回~

今まで6回にわたってアップしてきたNY出張報告。


戻ってきてから1ヶ月半以上たってしまいましたが、
今回で最終回です。


NY出張のある日の午後、アッパーウエストサイドのアパートにおじゃましました。
セントラルパークから1ブロックの閑静な住宅街。
その素敵なアパートにお住まいなのは、とあるアートギャラリーの
オーナーご夫婦とお子さんたち。


以前、HIROCOLEDGEのクッションカバーをお買い上げいただいたことから始まったご縁です。










アートギャラリーのオーナーさん、ということでアパートの中には作品がたくさんありました。


そんな空間に、HIROCOLEDGEのクッションカバーを見つけることができて
とても嬉しかったです。日本から遠く離れたニューヨークで、
こうやって私たちが心を込めて作ったものが、大切に使われていること。



一旦商品が私たちの手元を離れると、それらがどうやって使われているのか、
ということを、なかなか知ることができないもの。
だから、かわいい子供たちがそのクッションのそばで遊んでいる様子はとても微笑ましく、

モノづくりの醍醐味を感じる一瞬でした。




そして、高橋理子がこれから日本だけでなく、海外も舞台にアーティストとして
これから活動していくということもあり、おふたりにニューヨークのアート事情など、
さまざまなお話をお聞きしました。


そのお話を通して感じたのが日本とニューヨークのアートの捉え方の違いです。

日本でアーティストというと、未だに職業として確立されていないイメージがありますが、ニューヨークでは違う。


ひとつの尊敬される職業としてアーティストが存在し、
そのアーティストを支える人たちの役割(仕事)がきちんと確立されています。


そして、アートがある限られた人の娯楽や贅沢としてだけではなく、
心豊かに生きていくのに必要な存在として認められているのだと感じました。



街の中で目にすることができる、パブリックアートやグラフィティに始まり、
歴史のある建築物、数々の美術館やギャラリー。


お金を払って鑑賞するものから、毎日歩く道沿いで目にするもの。
様々なアートが街の中に自然に溶け込んでいる。



アートは確かに衣食住には直結していないけれど、
人間として豊かな心を育むのには欠かせないもの。


そして、その作品は生まれた時代を語り、
何世代も後の人たちにメッセージを伝えてくれたりもする。



アートが果たす役割の重要性が理解されているからこそ、
アートを取り巻く職業が成り立ち、ビジネスとしてお金が流通する、
そしてそれを趣味や投資の対象として楽しむ人たちがいるのだと思いました。


価値のあるものとして世の中に認められるきっかけとなる、という意味では、
アート流通の仕組みの中で、作品に金銭的な価値が付与されるということはいいことなのかもしれません。


(ただ、やはり価値があるものとしてアートが認められる反面、

アートマーケットが活況で、金融商品のひとつのように投資の対象としてのみ

捉えられているとしたら、それは少し残念なことだと思います。)




やはり価値や仕組みが確立されている海外に比べて、日本ではアートは身近すぎるのかも。


アートというよりも娯楽に近いのかもしれない、と思います。

今、日本の伝統文化と言われているものの多くは江戸時代に生まれています。
例えば、歌舞伎も、役者さんたちから流行が発信されていたし、
遊郭の花魁は女性たちのファッションリーダー。
海外で高く評価された浮世絵もかつては大衆娯楽のひとつ。



そういった視点で考えると、海外の人たちから見た時に、
素晴らしいアートとして捉えられるものであっても、
私たち日本人にとっては身近すぎて、高尚なものにはなりえなくて、
日常の一部だからこそ、価値があるものとして感じられないのかもしれない、
なんて思います。


だから、きちんとした金銭的な対価を支払う、

手に入れるために相応の手順をとる、といった行為が広く一般にまで浸透することは難しく、

諸外国に比べて日本ではアートマーケットが成長しにくいのかも、とも思いました。



アーティストに限らず才能のある日本人が海外で認められて、
その結果日本で名声を得る、というのはよく聞く話です。



活躍の場を見つけることが非常に難しい状況の中、創作することが命である
アーティストにとって、発表の場が見つけにくいのはとても辛いこと。
市場に流通されなければ、人の目にふれることもほとんどない・・・。

だから、その仕組みがある海外に活躍の場を求めてしまうのかもしれない、と思います。


今回のニューヨーク滞在では、そういったアートを取り巻く日米の環境の違いを
なんとなく感じ、宗教的にも文化的にも異なる世界に暮らす人たちに
どうやって高橋理子を正しく伝えていくべきなのか、そんなことを改めて考えるきっかけとなりました。





高橋理子の様々な創作活動の中でも、注目されている着物。



高橋はこれまでの活動を通して、廃れつつあるかつての日常着としての着物を、
ファッションの選択肢として選んでもらえるよう様々な工夫をしてきました。

そして、その着物を支える伝統工芸の技術をはじめ、日本各地に細々と伝えられている伝統技術を、

日本の誇るべき文化的財産として後世に伝えていくため、

職人さんたちと協力しながら、日々努力を続けています。


これからは、そういった普及活動を継続していくのと同時に、
着物そのものを、高橋理子のアート作品として広く世界に伝えていくことに
限りない可能性を感じました。



今こつこつと続けている活動を、これからも継続させて、
さらに発展をさせていくこと。

価値あるものとしてきちんと認めてもらう努力をしていくこと。
それが私たちの使命なのだと思います。