Salyuが新曲を発売しました。


青空 / magic


両A面シングルなのですが、特記すべきは「青空」がミスチル桜井氏による楽曲提供だということであります。
(ちなみに「magic」の方が小林武史作詞作曲編曲。おなじみのやつ。)

桜井さんが曲を誰かに提供するというのは藤井フミヤの「女神」('94)以来だと記憶しているのですが、
女性アーティストのために書くというのは初めてですね。
いかにSalyuの歌声をリスペクトし愛して重宝しているかが伺えます。

編曲はいかにも小林武史!って感じのメロディアス&爽やかなものとなっていて、
作曲はいかにもミスチル桜井さん!って感じの覚えやすいキャッチーなもの。
さらに詞の内容も桜井さんが近年書きそうな日常に根差した共感を覚えそうな感じ。

ほら、裏で桜井さんのハモリが聴こえてきそう・・・!
いや、Salyuの歌声もその期待に応えるべく爽やかに軽やかに美しくて、これまた良作といえそうです。


さて、この作品を良作と評価したところで、再び考えてみたい。


セルフカバーをどう考えるか?


前の日記で、カバー曲が最近多いことを受けてカバー vs 原曲論争について
結局は好みだよね~っていうことをブログで書きました。

では、楽曲提供者が別口でセルフカバーすることについてはどう捉えたらいいのか?
今のところ桜井さんの「青空」のリリース予定はありませんが、セルフカバーがあるのならば、


僕は激しく聴いてみたい



この場合、原曲 vs セルフカバーの論争をどう捉えたらいいか、について。


あまり論争自体起こらないでしょう(笑)


マッキーやスガシカオがSMAPに提供したり、中島みゆきがTOKIOに提供したり、古いところではさだまさしが山口百恵に。
セルフカバーというのは作詞作曲した者の特権というところがありますから、比較的自由にできると想像ができますが、
どちらがいいかという議論になったかといえば、そんなことはなかったと記憶しています。

それはそれ、これはこれってな感じで、僕も聴きたいと思った方を聴くでしょう。
ただし、セルフカバーすることでイメージが変わるリスクは多少なりともあると思います。
たとえば光GENJIのヒット曲でASKAさんが作った曲がありますが、ASKAさんの「パラダイス銀河」とか聴いたら、たぶん曲に対するイメージは変わるでしょう。
まぁ、セルフカバーするしないはアーティストの方々の意思を尊重ってことで。

青空 / magic/Salyu

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寛朗(Hiroaki)'s music theory