Mr.Childrenが昨年のap bank fesで尾崎豊の「僕が僕であるために」のカバーを披露したと聞き、
音源はしっかり持ってるのですがライブ初披露ということもあって、それはそれは驚きでありました。
そして先日発売されたDVDに収録。

Live & Documentary DVD 「ap bank fes ’10」/アーティスト不明

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BLUE ~A TRIBUTE TO YUTAKA OZAKI (CCCD)/オムニバス

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尾崎豊について語ると長くなるので簡単に話しますが(笑)、
ミスチルが尾崎豊の曲を心を込めて歌うというのは、とても不思議な感覚であります。

尾崎豊の曲は全曲知ってます。彼の歌に育てられたといっても過言ではありません。
ミスチルについても、ブレイクした当時から出す曲は必ずチェックします。全曲とは言いませんが9割方の曲はわかります。
でも、僕の中でこの2者というのは一線を画していて、どちらが好きとは言えない存在なのです。

どういうことかというと、尾崎豊の曲というのはジャンルでいうところのJ-POPには僕の中では属さない。
尾崎豊は尾崎豊というカテゴリとなっていて、それは音楽という芸術作品を超越した、生き方?生き様?の教科書のような。
社会人が壁にぶち当たったときにお守りのようにして見返す自己啓発本のような。
または必ず思い返すようにしてる座右の銘のような。

ミスチルは逆にいうとJ-POPというジャンルに属し、軽い気持ちで聴ける曲たち。
だからといって詞が浅いとかそういう意味ではない。
日常に根差し、楽しませたり感動させたりいろんな曲があって面白い音楽たち。
いろんな曲が出回る音楽業界で群を抜いて完成度が高い、そんな存在だ。


だから僕にとってミスチルが尾崎豊をカバーするということは、ロック歌手が演歌をカバーするくらいの不思議な感覚なのだ。
でも、違和感はあるが心地よくも感じる。
両者とも音楽なんだ、と改めて思わされるからだ。

桜井さんが尾崎豊について「当時よく聴いていた」なんて発言が出るのも嬉しい。
カバーは原曲を超えられない、とかよく議論になるけどどっちが上かなんてどうでもいい。
「僕が僕であるために」は、ミスチルVer.はミスチルVer.、尾崎Ver.は尾崎Ver.だ。
ただ、両方とも好きな身としては、ミスチルVer.しか知らない人は是非原曲を聴いてほしいと強く思う。




寛朗(Hiroaki)'s music theory