交通事故によって 遅ればせながら 治療を強行突破しました。



抗がん剤投与(タキソール)7クール


放射線照射(30回)


抗がん剤経口薬(フルツロンカプセル)




この頃は(2003年) 抗がん剤投与は 入院でしか出来ませんでした。


「がん告知」とか~


「自分ががんである」とか~


まだまだ 言える時代じゃ無かったですね


よっぽどの 意思表示が必要な時代でした。




「ガン告知を受ける」ってのが 広がったのは


ここ5,6年じゃないでしょうか?




個人差はありますが、自分が癌である事は 知っているのに


進行した自分の状況は知りたく無い・・という人もいます。



確かに 知りたくない 権利もありますよね 


告知も反対だと、 自分の病気も知らずに 


この世から去る人もいます。 




抗がん剤投与 当日の朝 時間も指定され


院内の美容師さんに 病室へ来てもらって


髪の毛を 角刈りにしちゃいました。


副作用の一つである 脱毛を何度も聞いていましたから 


自分で 「気合」を 入れたんです。



乳がん全滴手術を行った後


髪の毛を手入れする事が 難しくなって


美容師の 友人に 切ってもらいました。


それまでは ロングヘアーの ソバージュの 茶髪でした。


社会人になって 一度も 髪型が 変わった事が 無かったのです。


美容師の友人(幼なじみ)が 道具を持って 家まで来てくれましたが


「できない、出来ない~他の人にやってもらって」と 


泣き出しちゃいました。



「○○○、プロやろ!  プロなら 依頼された事は やるべき・・・

そうじゃなかったら 店をやめよ!!  他の人じゃダメなの~!!」 


との私の キツイ言葉に 目を潤ませながら 短く切った・・・


私は ある意味 残酷な事を お願いしたのかな?


昨日のように 脳に 彼女の涙が 焼きついています。




抗がん剤投与の時間がきました。


なんだか 看護師さん 忙しそう~


色んな機械が ベットの周りに 準備されていきます。(人工呼吸器とかもね)


「えっ、え~ぇ、 そんなに 危険なことなの??」の 印象でしたね。



副作用ですか・・・すぐにきましたね~


天井が回ってる、胃がムカムカ・・・


普段から 血圧も低く(上が いつも 90ぐらい)


トイレに行こうと思っても ふらついて なかなか思うようにいかない。。。


車椅子生活も あったしね・・・


次第に イライラと 不快な思いだけ・・・


(抗がん剤、受けなきゃよかったぁ~等と 後悔もしました)



脱毛は 投与してから 約2週間ぐらいから 始まる・・と聞いていたのですが


なんのこっちゃないよ~


翌日、目が覚め 何気に 枕が瞼に焼きつく


白い枕は、もはや 白色では無かった・・・黒・黒・黒・黒色に染まっていた。



覚悟も 気合も あんまり 役にはたたないのかなぁ?


心の準備をしていても  目の当たりにすると


やっぱり 驚きを 隠しきれないでいる。




そんな私を 励ましてくれたのは


先に 乳がんとなり 抗がん剤治療を 何度も受けている方だった。


同じ部屋で 、私を察知したのかなぁ~


「カーテン開けますよっ!」と言った時には すでに開いていたが



「ホラ~こうするのよ~」と コロコロで 掃除を始めた。


そして、 「バンダナ」の 使い方を 教えて頂いた~



「先輩の言う事は 聞いといて 損はしないから・・得もしないけどね」と


微笑んでくださいました。



今でこそ、脱毛の為の ウイッグ、キャップ、かつら・・・色々あるけどね


当時は 「バンダナ」が 主流だったよ。




吐き気、嘔吐、めまい、トイレに住んでいたいような 下痢~


いくら言葉を 探してみても 経験者でないと 分からない事なんだよ~。


そして、数日後 徐々に 副作用が 治まってくる~


でも、治まった頃には、 次の クールが 待っているんだよ^^


白血球(骨髄抑制が下がっていき


血小板も減っていき 血が止まらないんだよ^^



辛い 副作用があるにも 関わらず 


どうして みんな 効くか 効かないか 分からない

 

抗がん剤治療をするんだろう??


私も含めて (本当は 毒なのにね)




でも、これだけは 言えます。


みんな、色んな方々に 支えられて 生きている・・事は 確か!!


私の場合


泣きながら 長い髪を切る友・・・


得もしないのに~と言いながら 色々 教えて下さる がんの先輩たち・・


家族・友人。。。



初心に返り、 感謝しなければ いけませんね・・あらためて。