2003年(平成15年) 初夏、 腫瘍マーカーが 上昇した。
CT・RI検査をすると 左肋骨5番目に 一か所
それらしきものが 映った。
細かく分析すると やはり 「悪性のがん細胞」であった。
というのは・・・
通常~骨ガンが画像上に見つかる時には
その周辺には 2,3個以上あるはずだと!!
ですが、本当に 一か所でしたね~骨折と間違うほど。
早期発見とは まさに この事。
(腫瘍マーカーも 基準値5,5に対して28。)
採血も 4週間に一度が ちょうどいい目安。
治療を早速始めましょう~と医師は言う。
今までの経口薬も 役目を終えた。
(当たり前だが 抗がん剤は 2回同じ薬は 使えない・・点滴にしろ 経口薬にしろ
その薬の効果が無くなったから 転移するんだから==使えない)
「タキソール 90mg」の 抗がん剤投与 7クール。
放射線照射 30回。
経口薬、「フルツロンカプセル」。
(フルツロンカプセルは 味覚感覚が ほぼ失われる・・わさびを食べても分かんないよ)
再発・転移・転化・・というものは・・
最初の 「ガン告知」よりも 心の衝撃は 大きい
「ガン告知」も 大きなショックだけど~~それ以上。
いよいよ~来るべき時が来たかぁ・・と 思わざるを得ない。
治療方法も 決まったが・・今一つ 納得が出来ていない私。
[ 延命 ] をしないと 心の中は 複雑怪奇・・。
皆さんは 「その時が来た~でも、身体は まだ動く」といった状況で
何を なさるんでしょう??
私は 「墓参りに行こう~これが 最期だから・・」と思いました。
医師が止めるのも 拒んで
姉と叔母と3人で 急きょ 遠い南の島にある お墓へ
3泊4日の 最期の旅立ち・・だとの想いで・・。
無事に 田舎には着いたんだよ
ところが 伯父が車で迎えに来ていて
お墓に向かって 車は走り出す~海を見ながら^^
突然、 ガチャ~~~ン~ゴロゴロ~~
そう~運転を誤って 事故を起こした~~
私と姉は 後部座席に、 叔母が助手席に・・・。
後から 色々聞かされたんだが~^
私だけ、車から投げ出されて 意識がない!!
車はスクラップ状態で 形状もなさないと・・・
姉、叔母、伯父に 怪我は無し・・・
ガチャン~という音が 耳についた~
CTスキャンの上だった~
医師か? 技師か? 看護師か?~
「わかりますかぁ~○○病院です。」と 何度も。
意識を取り戻し ストレッチャーで 表に出ると
みんなの顔と 同級生の顔が そこにあって 安心。
そこの医師は 「「がん」と お聞きしたんですが・・・」
「すぐに 帰った方が いいです!!」
「帰れったって~どうやって帰るの?」
田舎の同級生たちが 頑張ってくれて 帰路につく
身体は身動きすらとれない
飛行機に乗る時は ストレッチャーごと
荷物を乗せる所に フォークリフトで持ち上げるんだよ
それから 数時間・・・
空港に着くと 娘たちが 待機していて
「病院には 連絡済みだから・・・」と
そのまま病院へ~~
玄関で 数人の医師と看護師が 待ち構えていました。
「何があった?」と 色々聞かれるわけ・・・
これは 交通事故だから、 同じ入院をするにしても
区別が必要だからと。
「車が 船にぶつかったぁ~ところまでは 覚えていますが・・」と私。
「えっ?? 船にぶつかった!? フェリーからでも落ちた!?」
と 担当医と 事故担当者。
「違う~台風が来ていて 船を停めて置く場所が そこには無いから
路肩に 何隻もの船を停めていたところに
脇見をしていて 船の先端に ぶつかって
車から 私は投げ出されたぁ~」 と 説明が大変でした。
「脳震盪を起こして 一時 意識が無かったそうです」と私
頭部の MRIを とってみましょう~
おぉ~頭にも ヒビが 入っていましたね
骨への転移は 何処いったかって・・・
「これでは 放射線台には 乗せられないなぁ~
困ったことだけど もうちょっと 落ち着くまで 待つしかないかなぁ」
こうしている間にも
骨ガンは 広がっていくであろう?!・・と 思われる。。。
それから 身動きもとれないまま 1か月弱程が 過ぎ去った頃
「もう~待てませんね」
放射線治療は 大人数で抱き上げ 強行突破するしかなかった。
たったの数秒の照射の為に 毎日が大変でした。
3泊4日の予定は 一度も帰宅することもなく
4か月程の 入院生活となってしまいました。
墓参りの前に事故・・・墓参り出来ず!!
運が良いのか? 悪いのか?
前回 自分が燃えた時も 今回の事故も 死んでいてもおかしくはない。
やっぱり、死なせない程度に 何かを教えてくれている・・・
と 友は言う。
つづく・・・。