1999年に タイムスリップ



乳がん全滴手術を終えて 毎日のリハビリに励む


退院前々日の事でした。



外科部長回診時 医師と看護師 数人・・・


何気に 「これ 何だろうね? もう忘れるぐらい前からあるんですが・・」と


左足の裏を 見せたんです。



医師は 「ふぅ~ん!」と 足の裏を診ながら 表情が厳しくなっていく


他の医師たちも 寄って来て・・・私が 慌てたぐらい・・。


痛くもなく、痒くもなく、ホクロとは ちょっと違った 墨を踏みつぶしたようなもの




「皮膚科に 行きましょう!」


それから何度か、皮膚科にて 検査を繰り返した。


そして次、目覚めた時は 退院出来ると・・・



退院出来る・・・ホットする反面 あとの不安と焦りが 襲ってきますね


自宅の方が良いに決まってるのに・・。




と思いきや・・


担当医と皮膚科の先生が病室に来られて


「明日の退院は 中止にしましょうか!!」


「手術、しましょうか?! 悪性黒色腫瘍の疑いがあります」と。




家族と共に 説明を受け


退院する事もなく 


そのまま 皮膚科にて [ 移植手術 ] を 行う運びに・・


自分の お腹の皮を剥いで 足裏の 大きく切り取った部分に 埋め込む。


(移植手術は 乳がん手術の 数倍 費用が高い!!事に ビックリ・・技術料だって。)



手術は無事に終わって 


まぁ~ 後が 大変よ~ぉ


左足 太ももから 足の指先が見えないほど 包帯とギブスで巻かれている。


でも、自分で見る事も 出来ないのよ


何故なら・・・


移植をした場合、 手の指も 動かす事が出来ないそうだ!


全身に神経があるから、 動くと 移植した部分が ずれるそうで・・


(足の裏だから、今後 体重を支え 歩かなくてはいけないので 要注意だそう~)




目で合図をし、 鏡で足を映して 見てみるんです


7日間 じ~っと このまま過ごすんですよ


顔が 痒くもないのに・・・痒い気がする~ぅ


飲食も 自分で出来ない事に イライラ~


他人に 顔を拭いてもらうことの 屈辱感~



病室も 何も出来ないので ナースステーションの横に移動


時間が 長くて長くて・・・胸の傷も痛くて痛くて。。。



心の中は 「悪性?悪性?悪性?」 しか浮かばない。


「心 ここに あらず」 とは まさに・・・


[ 延命 ] を 最初、望まず・・・だったのに~~



病理結果は 「腫瘍だけど 良性」でしたぁ~


皮膚科の先生曰く


「今更なんだけど、もしこれを 気づいた時に 適切な処置をしていれば


乳がんは 防げたかも? 今となっては 乳がんが発症しているので


証明は 出来ませんが・・」と。




それでも 時間は過ぎゆき 


ベットの角度が少しずつ上がり・・身体も 少しずつ動かせるようになり


足を伸ばしたままの 車椅子で 移動するまでに 至った。



かといっても


胸の傷が深く 脇の下まで 切り刻んでいる為


車椅子を 自分で動かすのは 一苦労


入院して 2か月ほどが過ぎていた



もう~意地になってる私は・・・


反対の足で 床を蹴り バックで 車椅子を 移動させる術を覚えたよ^^


それが 評判となって 仲間も増えていき 見世物にもされたぁぁ~~


バックミラーまで ついた~ぁぁ




3か月程が過ぎた頃


「松葉杖で 日常生活をおくれるようならば 退院しましょうか!!」


やっと 聞けました



しかしながら


乳がんの切除は 右側


足の手術は 左側


松葉杖は かなりの 難しさ!!


両方が同じならば もうちょっと 楽だったかな?


(人間、何でも 経験しないと 分からない事だらけですね)



かなり かなり 頑張りました。



退院する時 外見からは まるで交通事故にでも遭遇したような


風貌でしたが・・・




2,3週間の 入院予定は 思わぬところで


根性 根性 ど根性・・努力奮励が必要な 入院となりましたとさぁ。


(その数年後 全く同じ手術をする・・・ことになるとは この時 思いもせず!)






「悪性黒色腫瘍」とは・・・


とても怖い 進行の早い 腫瘍です。