私の がんの始まりは 1999年(平成11年)


梅の花が 咲く頃


39歳でした。


世間は、ミレミアム・・という話題が 多かった年


i-モード(メール)が 始まった年でも ありますね。



それは 2,3年程前から 


「もしかしたら? 乳がん・・?」と


我が身の異変を 感じていました。



がしかし


病院へ行くこともなく


がんに付いての 学びが 始まりました。


とうとう、痛さに耐えかねて


病院へ 行かざるを 得なかったんですね


[ 延命 ] っていう 二文字は 何故か 浮かばなかった



商売に 明け暮れ


「人生、急いで 生きて来たような 気がする」


そういう事なのかも知れない


勿論、心の格闘は いっぱいいっぱい ありましたよ


今思えば、自動ドアが やけに重かったような 気がしないでもない。



私の心中では


「私の人生時計は もう 1年も持たないかも・・?」


との 思いでした。



その日に すぐに乳がんである事が 確定し


医者に 怒鳴りつけられた事を 昨日のように 感じます。


そして そのまま 病院を 後にしたんですね。



翌日、病院から 電話があり

(そう遠くない時期に 死ぬ事が分かった以上 放って置けない)と


再び 病院を訪ね 5人の医師に 説得をされ


手術に同意する 運びとなって


数日後、手術は 無事に成功はしたものの


がん細胞が ”無数”に 拡大しているとの事で


「2年、生存率は 厳しいかな・・もって。」と


麻酔が まだ残る頃に 淡々と つぶやかれました。

(一様、手術は 出来たんだァ・・と うっすらの記憶)




当時は 乳がんといえば 「全摘出」ってのが 主流でした。


今は 色々な方法が ありますもんね


私の場合も 「右乳房全摘出手術」で 


47,3cm 切除しました。


無論、リンパ腺は 第1第2まで 切除し 有りません。


骨と皮を 思いっきり 四重縫いで


医療用ホッチキスで 留めてあります。


人間の 骨の音が 耳から 離れません。




さて、手術をしたからには


いよいよ 乳がんとの共存の始まりです。




最初の投薬 


UFT-E == 頭頸部がん、胃、結腸、直腸、肝臓、膵臓、胆のう、胆管

         肺、膀胱、乳がん・・等々の がんに使用

        (脳を刺激する、色素沈着が特に強い)

        (何処に 転移しても おかしく無い)


エンドキサン == 結構、副作用がきつく 嘔吐、下痢、倦怠感・・等々

            (たまに 立ってもいられない時もある)  


ノルバデックス == 乳がん患者が 最初に服用する ホルモン剤

             (ホルモン剤が 使用出来ない人もいる)

             月経が止まる、ほてり、冷え、のぼせ等の 更年期障害

             子宮がんになる場合がある (最大5年間)

             うつ病を発症する場合がある (医師用の辞典)


リュープリン注射 == 皮下注射の抗がん剤

               4週間に1度打つ (最大2年間)

              (私の場合、アレルギーが起き 1年未満で 中止に)



* 抗がん剤のみを 書いています。



* 何事も 知る事は 怖いこと・・・


   でも、知らないことは もっと怖いこと・・なんだよね


   これから ますます 「がん治療」は 自分で選択する時代に!!