この功労賞はこれからの私への叱咤激励と受け止めテニスを、スポーツを文化として醸成させ共生社会構築へ繋げるよう微力ながら地味に地道に歩みを進めてまいります。
ご推薦くださったのは近畿ブラインドテニス協会の桂田元太郎様と伺っています。この場でお礼申し上げます。本当にありがとうございます。
さて、少し時間が経ち実感が湧き、様々な思いが巡ってきました。そしてたくさんの方の顔が思い出されてきました。一会社員、一テニス愛好家にこのような賞を与えてくださったのはブラインドテニス関係の皆様のおかげと感謝しています。私のこの功労賞は皆様のブラインドテニス、テニス、スポーツへの熱い思いがあってのこと思っています。本当にありがとうございます。
思い起こしますと16年前、小学校に入学した長男のクラスメートの車いすでの学校生活をサポートする大学生の姿に触発され「テニス、ボランティア、西宮」と検索し、連絡先として記載されていた中野堅志様に電話をさせていただき、当時の「視覚ハンディキャップテニス」に出会いました。当初は「ボランティア、お手伝い」と思っていた私ですが、その思いはすぐに「一緒に」へと変わりました。
西宮での練習会の他に国内外の普及体験会、大会、飲み会、いろんな機会を与えてくださったこと、そして、ブラインドテニスとの出会いが車いすテニス、デフテニス、知的障がい者テニス、障がい者立位テニスとのきっかけにもなり素晴らしい仲間たちに出会えたことは私の財産となっています。
私にご理解くださる近畿ブラインドテニス協会、日本ブラインドテニス連盟、(一社)兵庫県テニス協会、(公財)日本テニス協会、その他各パラテニス・障がいスポーツ関係の団体、企業や中学・高校・大学などのテニス部、障がい者スポーツ指導者の皆様、そしてパラテニスの主役、プレイヤーの皆様には感謝してもしきれません。本当にありがとうございます。どうぞこれからもご一緒させてください。
ブラインドテニスは日本で生まれました。その名の通り、全盲のプレイヤー、弱視のプレイヤーが音のなるスポンジボールがネット越しに行き交う視覚障がい者の球技では唯一無二の驚愕の三次元球技です。残念なことにこのテニスの国内外への普及に力を注いでいた当時の第一人者はホーム転落で志半ばで旅立ってしまいました。視覚障がい者にとって「欄干のない橋」と言われる駅のホームからの転落は繰り返されています。ホームドアの設置は進んでいますが、すべての駅に設置されることはないと考えています。ポスター掲示やポストカード配布などの活動で転落撲滅を目指す「ホーム転落をなくす会」の活動をサポートを続けていきたいと思っています。
「One World from One Tennis」、テニスを通して社会、世界を繋ぎたい。これが私の夢です。
プレイヤーの皆様、サポーターの皆様におかれましては引き続きご指導ご鞭撻のほどよろしくお願いいたします。