【全国一ノ宮の旅】物部神社 | 心の癒し~神社・仏閣・御陵巡り~

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もののべじんじゃ

石見國一ノ宮★物部神社


こんばんわ爆笑

ご訪問ありがとうございますニコニコ

 


【鎮座地】

島根県大田市川合町川合1545

 

【御祭神】

宇摩志麻遅命 - 物部氏初代

 

【相殿神(右座)】

饒速日命 - 物部氏祖神で宇摩志麻遅命の父神

布都霊神 - 所有していた剣の霊神

 

【相殿神(左座)】 

天御中主大神、天照皇大神

 

【客座】

別天津神と見られる5柱の神

鎮魂八神

 

【社格等】

式内社(小)、石見国一宮
旧国幣小社、別表神社

 
【創建年】

(伝)継体天皇8年(514年?)

 


 【歴史(wikiより)】

社伝によれば、饒速日命の御子の宇摩志麻遅命は、神武天皇の大和平定を助けた後、一族を率いて美濃国・越国を平定した後に石見国で歿したという。宇摩志麻遅命は現在の社殿の背後にある八百山に葬られ、継体天皇8年(514年?)、天皇の命によって八百山の南麓に社殿が創建されたと伝えられる。

 

神階は貞観11年(869年)に正五位下に叙され、同17年(875年)に正五位上に、元慶元年(879年)に従4位下に、天慶4年(941年)に従四位上に昇叙した。延喜式神名帳では小社に列し、石見国一宮として歴代領主の崇敬を受けた。

 

社家については、景行天皇の時代に物部竹子連が石見国造に任ぜられ、その子孫は川合長田公を名乗り代々祭祀を行っていたというが、文治4年(1184年)金子家忠が安濃郡の地頭として赴いたときに子の道美が取って代わって当社の神主となり、以降金子氏が代々の祭祀を行うようになったという。戦前に金子氏は出雲大社の千家・北島両家や、日御碕神社社家(島根県出雲市大社町)の「小野家」と並び、全国14社家の社家華族(男爵)の一つに列する格式を有していた。

 
 

 

【社号標】


【鳥居】








【境内風景・参道】


【狛犬さん】





【手水舎】






【拝殿】


【拝殿扁額】



【本殿】

千木・鰹木も立派で重厚感ある本殿です。



【祓所(禊石)】

神職さんが神事の際、身を清める祓所です。




境内社を巡りましょう。



【東五社】


【須賀見神社・乙見神社】


【土社・火社】






【後神社】





【一瓶社、妙見神社、眞名井神社】






こちらの境内社も。


【勝石】







【西五社】


【稲荷神社】



こちらは御神陵に続く参道です。
登ってみましょう。


この注連柱から空気が変わりますびっくり


まだ登りますあしあとあしあと


【御神陵】


息を整え、参拝お願い
ゆっくりと御神気を感じようと思いましたが、あまり長い時間、この場所に留まってはダメな気がしましたので、すぐ降りましたえー



【菅原神社】




【柿本神社】




【淡島神社】




【八重山神社】


立派な佇まい真顔



【御朱印】
令和6年1月5日(金)拝受
(一ノ宮専用御朱印帳)


最後までご覧頂きありがとうございました。

m(_ _)m