早馬神社 | 心の癒し~神社・仏閣・御陵巡り~

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寺社巡り記です。

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【早馬神社(はやまじんじゃ)

 

【鎮座地】宮城県気仙沼市唐桑町字宿浦75

 

【御祭神】倉稲魂命(ウカノミタマノミコト)

 

【参拝日】平成29年6月10日(土) 雨雷/晴れ

 

 

 御崎神社に向かう途中、案内看板を発見。

立ち寄らせて頂きました。

鳥居⛩️です

 

■御由緒(神社庁HPより)

    順徳天皇健保5年(1217年)、鎌倉若宮(鶴岡八幡宮)の別当であった梶原専光坊僧正景實(梶原平三景時の兄)は、正治元年(1199年)の源頼朝公の死去、これを追うかのような梶原景時一族の没落、又、和田、畠山氏が滅んで行くのを見て世を憂い鎌倉を離れ蝦夷千島を目指して下り、その途中の当町石浜に辿りつきそこを切り開き住んだ。

 

    居宅の脇に一廟を建て源頼朝公(鎌倉幕府初代将軍)、梶原景時(源頼朝公第一の家臣)、梶原景季(景時の子)の御影を安置し、一族の冥福を祈り菩提を弔う為、梶原神社を崇め奉る。2年後の健保7年(1219年)一族の梶原三郎兵衛尉景茂の子である第二代大和守景永は景實僧正の後を慕いこの地に至り景實の猶子となる。

 

    景永は神職となり、早馬大権現別当として早馬山頂に社殿(奥宮)を建立した。山号は早馬山、寺号を漢曼寺と称する。祈祷所の里宮は津波により石浜より明戸と移り、今より約350年前、現拝殿が鎮座する宿浦へ遷座。正慶元年(1332年)、第五代大和守慶永の時、紀州熊野本宮より本地佛阿弥陀薬師観音を勧請し社殿を新たに建立。以後、奥宮、里宮合わせ十度の建て替えが行われる。

 

    本山派修験良厳院累世社務を掌り現宮司で三十三代目となる。仙台藩時代伊達家の祈祷師として仕え九曜紋を授かる。明治のはじめに早馬大権現より現社号に改め現在に至る。

 

手水舎お願い

拝殿下矢印

 

社務所下矢印

御朱印はこちらで頂きます。

狛犬さん下矢印立派な狛犬さんです。

 

御由緒書下矢印

 

境内社。どなた様が祀られてるのでしょうか。

不動尊神社。お不動さんでしたお願い

 

御神木『栃』

 

案内板に従い階段を登ります。

 

階段の向こうは金刀比羅神社お願い

 

右隣に天照皇大神社お願い

 

左隣に若木神社お願い

 境内社すべて参拝お願い

 

うんうん。神域ですなキラキラ

何かビリビリ感じる所があります。

 

 

階段を降り、撫で馬さん馬

震災の津波に耐えた神馬像です。

震災時の大津波の光景下矢印

☝青い垂れ幕に津波の到達ラインが標されてます。

道路から15mくらいです。

 

震災当時、ニュースで見た気仙沼市の様子は凄まじかった。

まるで火の海。完全に鎮火するまで2週間くらい要したと。

 

 

下矢印御朱印はこちら下矢印

 

優しそうな宮司さんでした。ありがとうございます。

 

 

 

 

 読んで頂きありがとうございますお願い馬お願い