スタバ、店、家。
スタバ、店、家。
タリーズ、店、家。
最近のライフスタイルはほぼこれです。
昨日はスタバの後、ひょんな事から『千葉の街並みを作った』という殿方に出会いました。
道端でたまたま話し掛けた事で、大きな出会いに発展。
5分立ち話をした後、1時間散歩をする事に。
殿方の口からは、うそでしょ?っていう目から鱗の話ばかり。
そしてとにかく経験値のスケールが違いました。
自分もこういう経験があるのでお気持ちはお察しします、とすら言えないくらい、スケールが違ったので、自分の事は一ミリも話さずに、ひたすら聞き役に徹していました。
すると、初めの方は言えないと言っていた事も徐々に話してくれるようになりました。
後日ランチの約束をし、その日は頭を下げお別れをしました。
きっと重要な出会いになる気がする。というかそうします。
一期一会とはまさに。
と出会いの貴重さと重要さを身に染みた一日でした。
そして今日は、小太リーマンに「就職とは、人生とは何か」的な説明を受けていた大学生が正面の席に5人程いました。
話を盗み聞きしていると、就職活動の勝ち方を真剣に説き、エントリーシートの書き方を教え、年収が100万円変われば人生が変わる的な話をめっさ力説してました。
彼らの考えや夢や目標は一切聞かず、ただただリーマン節をパッションパッションしている。
学生の彼らは、まずはメモだ!と言われていたので、そのパッションを真剣にメモる、という図。
その図を見て僕も負けじとパッションパッション。
こういう小太リーマンがつまらねー常識を学生達に植えつけるから、彼らの選択肢が狭まり、社会人とはこうあるべきものだと勘違いをし、そして数年後また彼らがそれを下の世代へ伝染させ、日本の大人が舐められてしまう。
これはいかん。
誰の人生でもない、自分の人生だ。
どんな時でも自分の頭で考え自分の体で表現していかないと、そうして自立をしていかないといつまでたっても日本の大人はキッズのまんまだ。
やりたい事をやる時に、誰かに許可を取る事で守られた感覚になってしまうようなRDTになっちまう。
と僕は勝手に憂い、
「ようし!俺が彼らの常識をひとまずぶっ壊さねば。あの小太りの100倍の衝撃をおまいらの人生に与えたるわ!お店でビールたらふく奢りながら、おまいらの夢をパッションしたるわ!この図を見てしまった以上、俺がやらなあかん。。。」
と勝手な使命感に駆られ、
その小太リーマンの説明が終わった後、彼らに話し掛けてみました。
使命感をもって、話しかけてみました。
この上ない愛をもって、話しかけてみたんだけどね、
一瞬であしらわれましたよ。500パー警戒されましたわ。
破れたジーパンにちょんまげでサングラスっていう僕の格好もどうかと思うんだけれどね、にしてもあの警戒っぷりは凄かった。
「何なんですか?僕たち今大事な時期なんです。あなたと話してる程暇じゃないんです。すいません、もういいですか?」
って感じ。
おいおいおいおいキッズ達
へいへいへいへいキッズ達
こういう出会いを大切にしないでどーすんのよ?
出会いとチャンスは毎日その辺にゴロゴロ転がっとんじゃ。
それに気付くかどうかは受けてのアンテナの感度の問題であって、
そんな鈍い状態じゃー閉じっぱなしの人生になっちまうぞ。
学校を卒業したら就職をする、という道以外に選択肢が無さそうな感じがとってもナローダローよ。
おまいらのそのスタンスは、
今日はこの社会人の話を聞く、という単なる予定なだけであって、
社会人の話を聞いて自分の世界を広める、というそもそもの目的を見失ってないか?
それは電子辞書世代で、調べたい事を点で調べたら満足する様な感覚に似ている。
普通の辞書ならその隣にある単語も目に入り、そしてその下の単語も目に入り、というように寄り道を楽しむ事が出来る。
寄り道は無駄を楽しむセンスであり、人生の隙間を楽しむセンスだ。
もちろん実務にだって活かされる。
スタンスを変えろ!
社会人の言う事を信じるのではなく、多くの社会人の言う事を見比べろ。
その上で自分の頭で考えて仕事と向き合っていけばいい。
自分の幸せを創っていけばいい。
そのスタンスを変えないと、10個も若いおまいらよりも、2児の父である俺の方がはるかに化ける可能性があるな。負ける気がしないよ。
という訳でおまいらが今日小太リーマンから聞いたしょうもない常識をぶっ壊したるけん、このブログを見たらお店においで。
心配だったら財布はママに預けてきな。
Beach Cafe PROVE 山本新一
表現は何であれ、prove LiFE (生きた証)をテーマに生きてます。