晴れ時々曇り。
寒いけれど、
天気予報が言っていたような大荒れの天気になる事も無く、
穏やかな日曜日。
バブル女芸人こと、
平野ノラさんをフォロー(読者)していますが、
ファンと言う事ではなく、
21世紀オジサンは
「バブル」という単語に惹かれてフォローしてしまいました。
あの頃はオジサンも結構良い思い・・・しました。
おおざっぱに言うと、
1986年12月から1991年2月までの、
4年3か月(51ヶ月)間がバブル景気。(「景気動向指数」上)
1991年3月から1993年10月までの景気後退期・・・バブル崩壊。
日経平均株価は、
1989年12月29日の大納会には、
史上最高値38,957円44銭。
また、東京の山手線の内側の土地価格で、
米国全土が買えるという試算が出るほど日本の土地の値段が高騰。
天井知らずの不動産と株の価格。
この期間の総理大臣は、
大蔵大臣は、
バブルを抑え込もうと、
時の政府、海部総理大臣と橋本大蔵大臣の元。
1990年3月に大蔵省銀行局長土田正顕から通達された
追い打ちをかけるように、
日本銀行による金融引き締め(公定歩合の急激な引き上)、
それから、
地価税の創設、
固定資産税の課税強化、
土地取引きの届け出制、
特別土地保有税の見直し、
譲渡所得の課税強化、
土地取得金利分の損益通算繰り入れを認めない、
等々の対策を打ち出し信用収縮が一気に進み。
金融機関による貸し渋り・貸し剥がしが横行。
米国のようにソフトランディングさせる事無く・・・墜落。
墜落させてしまってから、
1991年12月20日に「総量規制」解除・・・失敗、手遅れ。
大蔵省は看板を掛け替え、
「少子高齢化」の中、
消費税を3%・5%・8%・・・
「財政赤字」を減らす気も無く、
「社会福祉予算」を削り、
浮いた予算は何処へ・・・
ひさびさに、
を引っ張り出して来て見よっかな
『Can't Take My Eyes Off You』
歌:Boys Town Gang