祝詞と想念
神から、祝詞を 宣り上げるときの想念についてお話がありました。
「祝詞」を聞くときに、我々は言葉も聞きますし、響きも聞きますが、
その者の意識も同時に発せられて聞くことになります。
心底、人のために働くという意識があってこそ、この「祝詞」の意味は深くなりますし、
その言霊は 遠くまで届くわけです。
けれども、そうではなく、自分のために「祝詞」があったり、わたしのために「神の存在」があったりすると、
それでは本来の言葉の意味が聞こえてきません。
その意識の中に、「わたしが、私が…」というような意識が入り、その声が神に聞こえるようでは、
何とも聞きにくい祝詞になってしまうのです。
言霊の力、というのは、そういうものです。
言霊の力というのは、言葉によって、その力が発揮されます。
言霊を発する者の想念が、そこに反映されるということをもっと認識してください。
今、思っている以上に認識をしてください。
宣りあげる者の想念が大きな影響力を持つことになります。
普段の生活の中から、たとえ良い事をしたとしても「自分がしたんだ・・・」というような意識を消して、
ただひたすら人のために尽くす事です。
「祝詞」を聞くときに、我々は言葉も聞きますし、響きも聞きますが、
その者の意識も同時に発せられて聞くことになります。
心底、人のために働くという意識があってこそ、この「祝詞」の意味は深くなりますし、
その言霊は 遠くまで届くわけです。
けれども、そうではなく、自分のために「祝詞」があったり、わたしのために「神の存在」があったりすると、
それでは本来の言葉の意味が聞こえてきません。
その意識の中に、「わたしが、私が…」というような意識が入り、その声が神に聞こえるようでは、
何とも聞きにくい祝詞になってしまうのです。
言霊の力、というのは、そういうものです。
言霊の力というのは、言葉によって、その力が発揮されます。
言霊を発する者の想念が、そこに反映されるということをもっと認識してください。
今、思っている以上に認識をしてください。
宣りあげる者の想念が大きな影響力を持つことになります。
普段の生活の中から、たとえ良い事をしたとしても「自分がしたんだ・・・」というような意識を消して、
ただひたすら人のために尽くす事です。