賭博の歴史 | 過去から学ぶことばかり

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2013年からお城めぐりを始めました。
2014年から北海道で牧場めぐりを始めました。

ジョーカプチーノが大好きで
2016年からは産駒応援にも力を入れています♡

先日、競馬場の話を記事にしたので
今回はちょっと気分を変えて
日本における賭博の歴史についてまとめてみたいと思います。


実は、「賭博」とは元々
神意を占い、神託を受ける祭儀から分岐したものです。

…と、言ってもあまりピンとこないと思いますが。

賭博は(物を賭けてはいますが)
「未来のことを予想する(占う)もの」という意味で考えると
“神託を受ける祭儀から分岐した”というのが
なんとなく伝わるのではないでしょうか。

日本では古代より宮廷行事としての賭弓、競馬、闘鶏などが賭として行われ
神前で奉納する相撲と同様に
宗教的色彩を強く残していました。

そして、私有財産を所持できるようになった時期から
賭物を提供することによって賭博は成立したのです。


ではでは、時代によって移り変わる
賭博の種類についてもみてみましょう(^^)/


早い時期から“勝負”に賭が行われていたのは囲碁と雙六です。

囲碁については
9世紀前半に勝負に賭けられたことが
「続日本後記」に記されていて近世まで長く続きました。

賽によって駒を動かす雙六は
8世紀末期まで“代表的な賭博”として大流行し
「雙六」は「賭博」と同義語になるほどでした。


中世の公家たちは雙六や目勝などとともに
消閑のために多種多様な賭博を考案し
勝敗のつくものはすべて賭の対象となりました。

なかでも公家たちが好み
次第に上級武士へも普及したのが
産地当ての十種茶や十度飲み
品種を当てる聞香や源氏香のように
味覚や嗅覚を競う賭博でした。

これに対して庶民の賭博は
碁将棋雙六や闘鶏、闘犬のほか首引き、腰引きなどの
力競べというような単純で素朴な賭が愛好されました。


近世に引き継がれた賽賭博は
偶数か奇数かで勝負する長半(丁半)や
出た目の多寡に賭ける大目小目
六区画の台紙を用いる“ちょぼいち”が江戸初期から流行しました。

そして、中世の賭博と画期的に異なるのは
16世紀後半に海外から伝えられて流行した“かるた賭博”です。

かるたは、従来は賭博に参加することのなかった女性を賭博にひき入れ
賭博の普及が大きく転換する契機になりました。


明治維新後になると
花札やめくり札の解禁とトランプの輸入解禁により
かるた賭博は新たな普及の段階を迎えます。

また、文明開化の風潮と共にビリヤード、麻雀など欧米で影響を受けた賭博や
近代的な競馬が開催されるようになりました。


他には、不特定多数の賭手による賭博として“富くじ”があります。
これは17世紀後半に売られた記録が残っています。


賭博は習熟を要しない誰もが参加できる大衆性が必要で
しかも一瞥して賭手を誘い込める勝率が不可欠であって
より興味深い賭博にするための工夫が重ねられてきました。

人々の知恵が注ぎ込まれて「進化」してきたのです。

また、賭博の考案は賭博の行為者の意志と感性がそこに投影されるため
社会体制の変化や時代的感覚、風俗や習慣を含む
その時々の社会的環境によって醸成されました。

賭博はそれぞれの時代の社会の反映であるといえます。


人間の営みにおいて、娯楽は欠かすことのできないものです。
賭博は熱中できる娯楽のひとつとして古来より長く続けられてきました。

時代や社会的環境によって変遷してきた賭博は
これからもさらに進化し、続けられていくことでしょう。


今後、賭博ってどんな風に変化していくと思いますか???

東京オリンピックに向けて
国内でもカジノが公認されるとかどうとか…

“時代や社会的環境によって変遷する”っていうのを
さっそく実感できるチャンスかもしれませんね。



以上、賭博の歴史についてでした。
まとまりのない文章でスミマセン(>_<)

実はこの内容…

就職活動中に某公営競技の会社の試験で書いた小論文を元に
編集したものだったりします。


私、文化史はあまり得意ではないのですが
こうしていろいろ調べてみると興味深いものですね。


えっと…
一応言っておきます。

こんなこといろいろ調べたり
よく競馬の話なんかもしていますが…

私、別にギャンブラーじゃないですからね。笑