自分を振り返りながらですが
少し主人の両親のことを書いてみようと思います
長文ですがよろしくお願いいたします


 お義父さんとお義母さんとは

 

19年前に出逢いました

その頃は大祖母もご健在だったため

とても控えめで何でも

「分かった」と言ってくれていました

 

3年前

お義父さんの介護が始まりました

 

お義父さんは

その前から前立腺肥大症、脳梗塞の既往があり

なんだか足が前に進まなくなっている

・・・とよく悩んでおられました

 

3年前の年末近い日

発熱が続き

勤務先に1本の電話

 

「なっちゃん!!お父さんがおかしい!!」

 

私はすぐに家に帰ると

ベットから首が下がった状態の義父

しかし意識はあるので

「おう!!」

と返事が返ってきました

 

とりあえず大丈夫

 

職場に帰って上司に報告

 

その日そこから少し時間が経ってしまい

夜に帰宅すると・・・

昼間より状態が悪くなっている義父

 

主治医の先生からは

「救急車を呼んだ方が良い」

 

そこから緊急入院となりました

 

集中治療室へ運ばれ

色んな検査が始まりました

 

それまで神経内科へ通院していたこともあり

 

「多系統委縮症」

 

と判断され

難病の指定を受けました

 

多系統委縮症とは

 

小脳の症状がよく表れることが多い

起立性低血圧

排尿障害

小刻み歩行

パーキンソン様症状

姿勢反射

などの症状が出やすくなる 脊髄小脳変性症の1型だそうです

 

発症後より

徐々に発語がしにくくなり

少しずつ筋力も弱まっていくと同時に

手足の拘縮、変形が始まりました

 

初めの頃は

「おう!!寒いだねえかいや」

と会話もできていたのに

そのうち

「おう!!」

だけしか言わなくなりました

主治医の先生、看護婦さん
訪問看護婦さん、ヘルパーさん、ケアマネさん
他にも本当にたくさんの方たちにお世話になりました

 そしてとうとう

1年半が経った頃だったでしょうか?

義父は何も言えなくなりました
人間って本当に不思議です
話せなくなったと同時に体にも大きな変化が出てきました
症状の悪化です
手足の拘縮はさらにひどくなり
ほとんど曲がってしまっています
首も後ろ向きに反り返ってきました

 

全介護の義父を支え献身的にみていた義母

その頃私も少しだけ介護に携わりましたが

 

福祉の経験もないのでもちろん

おむつも介助できませんでした

 

自律神経がうまく調整できなくなるため
発熱が頻繁にありました

抗生剤を使わないといけなくなり

バイタルやSPO2、発熱の計測などがしょっちゅうでした

 

介護職である主人の支えもありましたが

身内となると腰を上げるのにとても時間がかかりました

 

毎日発熱や体調の変化も気になり

私は職場でもとてもイライラしていました

職員の方にはとてもご迷惑をかけたと思っています

 

その頃より自分の気持ちのコントロールが付かなくなり

しんどいのは自分だけという思い込みと

周りのことが見えない余裕のなさに

どんどん自分を追い込んでいきました

 

そして話し合っても話し合っても見えない未来

すれ違う家族の意見

 

とてもじゃないですが

本当に苦痛で苦痛でたまりませんでした

 

職場では

「つらいけど辛いと言えない」

もどかしさ

「やめたいけど辞められない」

というジレンマ

 

葛藤を繰り返して

精神安定剤と睡眠剤で何とか毎日を過ごしていました

 

もう少し余裕があれば

お義母さんともちゃんと話して分かりあえたのに・・・

 

今考えるとそう思います

 

 

そして2年4か月の在宅介護のあと

病院への入院が決まりました

 

 

 

ここから先はまた次回にUPしますね

 

 

長文読んでくださりありがとうございます