袋とじってどうしてあんなにも見たくなるのだろうか。
雑誌買ってさ、新幹線とかにのってても、「家に帰って見よう」とはならない。
車両で、恥ずかしいけど小さな音で「ビリ…ビリ」という猥雑な音を立てながら開いてしまう。

あの時ばかりは理性が勝る。周りがうるさいだろうな、なんて後ろめたさはあっても恥ずかしいなんて微塵にも思わない。

かといって内容は意外にたいしたことない。
「この袋とじはすごかった!」なんてコトないもん。ああ…ね、で終わってしまうのが大概。

なのに!なのに!それだけ経験しているのにっ!
あの時のぼくは盛り上がる。「袋とじ」ってやつはあざとい。

理由を考えてみた。

1:法の目をかいくぐれてんじゃないかなという期待感
「袋とじ」は「エロ」とイコールでつながれている、と思っても良い。近似値である。
流出!!なんてのもよくある。どっかで見たことあるか、めっちゃ画像が汚くて、「ああ、似てないこともない」みたいな感じのパターン。

それでも、「今回ばかりはまじで!!すごいよ!!!」と向こう側はガンガンにタイトルとかで推してくる。
その時に「袋にとじてあるから、載せれたのかも…」とちょっとだけ思ってしまうのである。
知ってる。もういい大人だから。そんなことしたって、載っけちゃダメなものはダメってことを知ってる。

のに!

だまされる。いや、だまされたいのだよ。そこに淡い期待を男は託すのである。

2:買ったオレしか見られない征服欲
今、オレは真実をしろうとしているという購入者にしか味わえないもの。
購入者は全国でも絶対数なわけで、選ばれし民。
マツダスタジアムで言うなら寝そベリア、スナックで言うならボトルキープ、デビュー夢列島で言うなら、今週のWINNERだ。
特別、スペシャリティーを味わうことができる。

3:とにかく「破りたい」という事実
「袋とじ」のピークは、どう考えても「もう少しで袋とじが見れる」という直前、刹那である。
だって見たあとは、「なぁんだ」という嘆息しかないのだから。
マラソンランナーというのは、あんなにゴールした後がつまらないものなのだろうか。

あと5cm、あと3cm…。あの時の極限状態と言ったらない。
まさに、破る時のランナーズハイを楽しむものでもあると言えよう。

以上のような事柄から、僕は「袋とじ」が大好きです。