ひでです。お早うございます。高崎城は1月31日に行ったお城です。

藁で作った親子の牛でしょうか?

場所:群馬県

城主:和田氏氏→(北条旗下)→井伊氏→酒井氏・・・→松平氏

石高:12万石(直政の時代)~8万石くらい

別称:和田城

来歴:鎌倉幕府の御家人の一人だった和田義盛が討たれ、その子孫がのがれ土着し、この地を和田宿とと改めた。その後、室町時代に入ると新田義貞に付きますが、新田氏は敗れ、それからは関東管領の上杉氏に従属することになります。

戦国時代になると、和田氏は武田氏、北条氏と次々に主を変え生き残ってきたが、北条氏に心中していた時に小田原征伐に会い、前田・上杉ら豊臣の大群に攻められ、和田氏は滅びました。

和田城は一旦廃城になりますが、江戸時代になると井伊直政が箕輪城を治め、家康より和田城跡に新城を築くように命じられ、新城完成とともに箕輪城から新城に入り、この地を高崎と改めました。

(三の丸のお濠から乾櫓を見たところです)

その後、城は主を換えますが、安藤氏が主の際は、家光の弟の忠長が謀反の疑いで自刃させられたのが高崎城でした。その後も主が変わり、最後は松平氏が城主となり、毎時維新へと向かっていきます。

大河ドラマの「青天を衝け」でも高崎城の乗っ取り計画が放送されていましたね。その時尊皇攘夷派だった渋沢栄一が同氏とともに高崎城を乗っ取って武器を奪い、横浜の外国人居留地を焼き討ちする計画を立てていたんですが、それが幕府の露見し、京へのがれ、そのことが縁で徳川慶喜に仕えることとなる物語の重要な場面でしたね。

因みに、明治維新を迎えた高崎城は陸軍歩兵第15連隊の駐屯地として使われました。

 

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