標記の件、柳谷会長から投稿がありましたので掲載します。

パリでは早稲田大学OGで現在、パリ社会科学高等研究院に留学中の姫路西高校卒の土山陽子さんとKENZO氏とともに西高同窓生として一緒に会食されたそうです。

その時の様子は土山さんにレポートしていただこうと考えています!



以下、柳谷会長の投稿です。


昨年夏、賢三の姉上から、今年末で店(お好み焼き)の経営をやめるので、「賢坊」が住むパリに行こうと誘われました。彼は最近モナコに住んでいるということでしたが。

久し振りに彼とも会いたいし、それでは私が旅の段取りをしますと約束し、訪問の時期は来年の6月1日出発と決め、飛行機便の予約を早々と完了しました。

この際、かねてから是非行って見たいと思っていたモロッコのカサブランカを訪ねたいと、カサブランカを日程に入れ、姉上の了解を得ました。

その後、賢三との打ち合わせは同行する弟君に任し、私はモロッコの旅程のみを担当しました。

我々夫婦と家内の友人、賢三の姉、弟と5人の旅の始まりです。

私の思いは映画「カサブランカ」の舞台“Rick’s Café”を訪ねることに集中していました。

第二次大戦下、フランス領モロッコのカサブランカで、運命的に再会した男女の別れをドラマティックに描き、アカデミー賞作品賞を受賞したこの恋愛映画の古典的名作は、1942年アメリカで制作されました。”As Time goes by”(時の過ぎゆくままに)。黒人のピアニスト(Sam)が演奏した当時のピアノが置いてありました。映画が常時上映されていて、イングリッドバーグマン、ハンフリーボガードが活き活きと私たちの心を捉えて離しません。カサブランカでCaféを経営しているハンフリーボガートと、昔の恋人であったイングリッドバーグマン。訪れた“Rick’s Café”の店内は映画のシーンと全く同じでした。「あれを弾いて、サム。『時の過ぎ行く侭に』」そのセリフが一瞬頭をよぎりました。

“Play it ,Sam Play’ As Time Goes By”

Yvonne: Where were you last night?

Rick: That’s so long ago,I don’t remember.

Yvonne:Will I see you tonight.

Rick: I never plan that far ahead.


イスラムの社会状況をチョット覗き、パリに舞い戻りました。パリは何回か訪ねたことがありますが、1週間に及ぶ滞在は初めてです。賢三が我々の為にギッシリ予定を組んでくれており、至れりつくせりのもてなしをしてくれました。

パリ市内の彼のマンションで、レストランで、賢三が支援している日本料理店「TOYO」で、ご馳走づくめの連日でした。

私たちの会話はもっぱら高校時代の思い出話です。数学の時間にノートに中原淳一の絵を真似て書いていたのを先生に見つかり叱られたとか、中学時代学業の成績は良かったのに、高校ではさっぱりで成績が下の位であったとか、それならばふたり同じ思いで高校時代を過ごした訳だなどと二人で納得、久し振りの会話が弾みました。

賢三とパリで会ったのは今回で四度目です。30年程前月刊誌“文藝春秋”に評論家草柳大蔵の賢三についての記事が掲載されました。「ジァングルジャップ」と命名した店をパリで開いたという衝撃的な内容でした。高校卒業以来彼の消息を知らぬままに過ごした同級生にとって、彼のその世界的な活躍は大きな驚きと感動でした。

彼をパリに訪ねようという話が持ち上がり、賢三の兄上に我々の思いを伝えました。

「同窓会 IN PARIS」15名の同級生達が参加、当然私が世話役を務め6泊8日の旅をしました。同窓会会場はパリ日航HOTEL。高卒以来の再会でした。これが初回の訪問です。

次の機会はパリ郊外のシャンティ城と姫路城の姉妹城提携調印式に使節団の一員として参加の折です。調印式で賢三がフランス語でスピ―チ、同級生の晴れ姿に感激したものです。又、KENZO”の店で催されたフッァションショウに姫路市長、市議会議長、兄上と私が特別招待されました。華やかな舞台を興味深々眺めておりました。全く別世界でした。その夜、パリ最高の料理店“マキシム鏡の部屋”でご馳走になったことも最高の想い出であります。

その後、RC世界大会がイギリスグラスゴーで開催された際も、帰路パリに立ち寄りました。賢三が豪邸を建てたという話を聞いておりましたので、訪問したい旨を事前に連絡し、糴川恵司ご夫妻、樋口、中塚会員、魚橋元会員(高校同級生)の奥様を誘い賢三宅で夕食をご馳走になったのでした。夕食の直前、中塚孝継君が先程KENZOの店で買ったばかりの賢三の品を宅内のプールに落としてしまい、賢三と中塚君が竹棹で拾い上げていた姿、今も思い出せば可笑しいです。

思い返せば姫路市政100周年記念行事のメインイベントとして姫路城三の丸広場で開催された『KENZIO SHOW』。あれから20年以上の歳月が過ぎ去りました。

親しくしていただいていた賢三の兄上もお亡くなりになりさびしい限りであります。

今回の旅は賢三と会える最後の旅になるのではないかと、そんな思いがありました。

滞在中、時間に余裕があったのでパリ市内のRC例会に出席、色紙で鶴の折り方を教えて欲しいと隣の席の会員にせがまれ困りました。

日本人学生がRC例会に出席した際に折った鶴が、会長のテーブルに飾ってありました。

“TURU is hopping peace”片言の単語を並べ難を逃れました。

最後の夜、“明日からモナコに帰る”と賢三が言いました。次にいつ会えるのかなぁ、と心中複雑な気持ちで頷きました。

帰国後時差疲れがひどく、いつになく回復するのに時間がかかりました。

けれどももと通りに身体が回復した今、性懲りもなく、次の旅行を考える余裕が出てきているようです。