インテリジェント・デザインは学校で教えられるべきか | hillbridge

インテリジェント・デザインは学校で教えられるべきか

インテリジェント・デザインは、生命の起源をなんらかの知性(インテリジェント)をもったものが創ったと主張する考え方らしい。一般に進化論は通説のように考えられているが、アメリカではインテリジェント・デザインを学校で教えてもいいのか、ということで大激論になっている。もちろん、宗教的な背景もある。


現在、その連邦裁判が行われている真っ只中に、フラーが召喚された。科学史・科学哲学で学位をとった彼が、どちらを弁護したのかというと・・・インテリジェント・デザインの方だ。


英米の各紙でも取り上げられている。

http://www.guardian.co.uk/usa/story/0,12271,1599852,00.html

http://www.msnbc.msn.com/id/9805776

http://ap.washingtontimes.com/dynamic/stories/E/EVOLUTION_DEBATE?SITE=DCTMS&SECTION=HOME


フラーの主張は、インテリジェント・デザインもひとつの科学的学説と認められるので、学校でも教えられるべきだ。というもの。日頃から、進化論的思考に慣らされている身としては、なじみにくい考え方であるが、フラーがインテリジェント・デザインを擁護している理由は、新聞の記事に書かれていることだけではあまり見えてこない。


おそらく、彼が言いたいのは、科学の営みのなかでもマイノリティ(この場合、インテリジェント・デザイン)を迫害してはならない、ということ。


科学の歴史は誤りの歴史であったといった科学史家もいたが、いつ、なんどき、今、まさに真実だと思われていることに誤りが見つかるともしれない。その可能性を残してきたことが、科学の良さではないのかと。


つまり、ここでフラーはインテリジェント・デザインが正しいから、それを擁護しているのではなく、むしろ、進化論もインテリジェント・デザインも「誤りうる」可能性がある科学的学説のひとつとして考えるべきだといっているのだと思う。その方が、議論が生まれ、新しい考え方や学説が生まれる可能性があるのではないかというワケだ(と思う)。


インテリジェント・デザインを擁護するなんて、その道の(進化論というパラダイム下にいる)人にとっては、受け入れがたい考え方なのかもしれないが、科学って何だろうということを広い視野で真摯に考えてみると、意外としっくりくる主張なのかもしれない。あるいは、進化論の最前線で研究している人には、すでに進化論はそれほど確かなパラダイムでもないのかもしれない。


フラーなりの喧嘩両成敗をしているつもりなのだろう。サイエンス・ウォーズでも似たようなことをやっていたが、調停の仕方がよくわからない。どちらかについているようでいて、どちらも倒す!ってそれはとってもかっちょいいのだけど。。。


さてさて、来週の判決がどうでるのでしょうか。