中学生の頃から、いつも不思議に思っていることがありました。
と、その前に、みんな感じてないけれど不思議なことがあるのです。
電車に乗って本なんか読んでいるとき、思わず手から落としてしまうことがあって、本は真っ逆さまに下に落ちます。
電車は走っていても、止まっていても、手から離れた本は下に落ちます。
おいおい、これのどこが不思議なんだ!
これって実は、とても不思議な出来事なんです。
では、走っている電車で、窓から手を出して本を読んでいるとしましょう。
本は風を受けて、飛ばないようにしっかり握っていなければなりません。でも握りかたが弱かったのか、本は手から離れて、たちまち後ろのほうに飛んでいってしまいました。
どうです?
不思議でしょう。
おいおい、どこが不思議なんだ! って、そんなに怒らないでください。
電車の窓の、内側と外側。
同じように本を落としたのに、内側では下に落っこちて、外側では後ろに飛んでゆきました。
窓一枚で、こんなにも変わってしまいます。
電車が走っているのだから、窓の外側で本を落としたら、後ろに飛ぶのは当たり前じゃないか、前に飛んだらどうするんだ。いやいや、前には絶対に飛びません。
窓一枚というのが不思議なんです。
電車の中だって、手から離れた本は、後ろに飛んだっていいじゃないか。もし、電車が止まっているのなら下に落ちても許してあげるが、電車が走っているのなら後ろに飛ぶことだってあるんじゃないか? 下に落ちようが後ろに飛ぼうが本の自由だろう。
ところが本には選択する自由はありません。
電車の中では、止まっていようが走っていようが、手から離れた本は下に落ちる運命にあるのです。
試してみればわかりますが、どんなに早い乗り物でも、室内で手から離れた本は下に落ちます。新幹線でも、ジェット機でも、ロケットでも・・・。
そんなの試さなくてもわかるぞ!
はいはい、試さなくてもわかりますよね。
でも不思議と思いませんか?
窓一枚で、なぜ内側と外側とこんなに違うのでしょう。
本が後ろに飛ぶと書きましたが、実際には本はあなたの手から置き去りにされているのです。
あなたが本を落としたとき、電車の外でそれを見ていた人はどう見えるでしょうか?
電車の外で見ている人は、本が真下に落ちているように見えます。(実際は電車が走っているので、さらに空気抵抗もあるので、真下には落ちませんが、ややこしいので真下に落ちたと考えてください)
逆に電車の内側で本を落としたとき、外で見ている人は、真下には落ちているように見えません。前のほうに向かって落ちているように見えます。
なぜ前のほうに落ちているように見えるかと言いますと、電車が走っているからです。電車が止まっていれば真下に落ちるように見えます。
窓一枚で電車の内側にいる「あなた」は、外側の世界とは別の世界にいるのです。
それがアインシュタインの相対性理論なのです。
あなたが本を落としたのが50cmとします。
でも、電車が動いていれば、その距離だけプラスされます。つまり50cm+αです。
掛かった時間は1秒間とすれば、おや? おや? ちょっと変じゃないですか?
あなたから見れば、 1秒で50cm ですが、
外の人から見れば、 1秒で 50cm+α です。
同じ1秒なのに、あなたの落とした本は+α分だけ余計に落としていることになります。
落ちる速度は同じです。 あれ? あれ?
アインシュタインは、ここで考えました。
これは「時間が延びている!」となった訳です。
電車の内側と外側では「1秒」の長さが違うのです。
腕時計を見ないでください。時計は正確に刻んでいるだけで、彼には罪はありません。ましてや24時間労働で疲れてサボッているのでもありません。
乗っている乗り物が速ければ速いほど、「1秒」はどんどん長くなります。光速に近い電車に乗ったあなたは、駅に降りたとき、「あっ」と驚くことでしょう。
いつの間にか未来に来てました。
電車の中では「1秒」が長いので、時間のたつのが遅いのです。でも、外の世界は腕時計と同じ「1秒」なのでいつもと同じ時間が過ぎているのです。あなたは普通でも、世間は速く時間が過ぎていて、未来に行ったことになるのです。
私は中学生のころ、本を落として、なぜ真下に落ちるのだろう、と真剣に悩みました。電車は走っているのに・・・。その解決されたのが私が35歳のときでした。偶然にもこれが相対性理論だと知ったのもそのときでした。(私は物理学者ではありません。念のために・・・)
おやおや、あなたは電車の中で居眠りをしてますね。
あまり眠り込むと、駅に着いたときは、未来に行ってるかもしれませんよ。