これを書こうかどうしょうか迷いましたが、信じる信じないは読む人の勝手ということで書くことにしました。

秘密という言葉は、「日」と「満つ」とから出来ています。満つ:は文語体で、満ちるの終止形です。

わかりやすく書くと、「日が満ちる」という意味です。

この「日が満ちる」は、どういうことかと言いますと、「日が経つと秘密がばれる」ということです。

日が経つと、隠していたことが公になるから、これを「日満つ(ヒミツ)」と言うようになった、ということです。

もともと日本語には文字はなく、漢字の秘密は当て字です。漢字から日本語をイメージすることはできません。

それでは、「日経つ」でも「日過ぎる」でも、いいように思うかもしれませんが、やはり「満ちる」でないといけません。

なぜ「満ちる」なのか?

秘密とはコップのようなものだと想像してください。

そこに少しずつ水を足していってください。水はコップの中でどんどん増えてゆき、やがてコップからあふれてしまいます。水がコップからあふれたとき、世間の目に触れるのです。それがヒミツというものの正体なのです。ヒミツというコップのような器があって、そこに水のようなモノがいっぱいに満ちてきたとき、世間に公表されるということです。

ヒミツというコップは、ヒミツの内容や種類、条件で大きさが違うようです。

明日、満ちる場合、1年後に満ちる場合、2年後、10年後とさまざまです。その大きさはだれも知りませんが、ヒミツが生まれたとき、すでにその大きさは決められているようです。

ということは、つまりヒミツは出来た時点で、公表される運命にあるようです。

ヒミツは、いつかバレる、ということか・・・。

ヒミツを持ったら、いつかバレるということを覚悟してないといけませんね。

内緒で不倫をしてるあなた・・・。

だれも知らないと思って油断していると、いつか世間にバレますよ。

覚悟は出来てますか?

お~い! そこのよったれこっちに来い!

高校時代、先生が私たち四人に向かって叫びました。

私が「よったれ」を耳にしたのはそれが初めてでした。

意味はそのときはよくわからなかったのですが、「四人」ということらしいというのはわかりました。

なんだか、けなされたような呼び方だという印象でした。


昨日、下関の方言が載っているHPを見つけ、この「よったれ」というのがあって、下関の人がこれを方言だと思っている人がいるのだと改めて思いました。

私も「よったれ」を聞いたのは、高校時代だけで、それ以外では耳にしたことがありません。

しかし、「よったれ」は方言ではありません。どちらかと言うと古語に近いと思われます。


一人 : ひとり

二人 : ふたり

三人 : みたり

四人 : よたり

五人 : いつたり

六人 : むたり

七人 : ななたり

八人 : やたり(やつたり かもしれません)

九人 : くたり(ここのたり かもしれません)

八人と九人は定かではありませんが、だいたいこのようになっています。


ひとり、ふたりはよく使いますよね。でも、あとは廃れてしまっています。たまに「よったれ」などのように変化して「よたり」が使われています。

十人はたぶん「とたり」というのではないかと思っています。

では11人は、どうでしょう。

「とう余りひとり」ではないかと思います。

12人は、

「とう余りふたり」となると思います。この辺は、あくまでも推測です。

ちなみに20人は、

「はたり」では。。。

中学生の頃から、いつも不思議に思っていることがありました。


と、その前に、みんな感じてないけれど不思議なことがあるのです。

電車に乗って本なんか読んでいるとき、思わず手から落としてしまうことがあって、本は真っ逆さまに下に落ちます。

電車は走っていても、止まっていても、手から離れた本は下に落ちます。

おいおい、これのどこが不思議なんだ!

これって実は、とても不思議な出来事なんです。

では、走っている電車で、窓から手を出して本を読んでいるとしましょう。

本は風を受けて、飛ばないようにしっかり握っていなければなりません。でも握りかたが弱かったのか、本は手から離れて、たちまち後ろのほうに飛んでいってしまいました。

どうです?

不思議でしょう。

おいおい、どこが不思議なんだ! って、そんなに怒らないでください。

電車の窓の、内側と外側。

同じように本を落としたのに、内側では下に落っこちて、外側では後ろに飛んでゆきました。

窓一枚で、こんなにも変わってしまいます。

電車が走っているのだから、窓の外側で本を落としたら、後ろに飛ぶのは当たり前じゃないか、前に飛んだらどうするんだ。いやいや、前には絶対に飛びません。

窓一枚というのが不思議なんです。

電車の中だって、手から離れた本は、後ろに飛んだっていいじゃないか。もし、電車が止まっているのなら下に落ちても許してあげるが、電車が走っているのなら後ろに飛ぶことだってあるんじゃないか? 下に落ちようが後ろに飛ぼうが本の自由だろう。

ところが本には選択する自由はありません。

電車の中では、止まっていようが走っていようが、手から離れた本は下に落ちる運命にあるのです。

試してみればわかりますが、どんなに早い乗り物でも、室内で手から離れた本は下に落ちます。新幹線でも、ジェット機でも、ロケットでも・・・。

そんなの試さなくてもわかるぞ!

はいはい、試さなくてもわかりますよね。

でも不思議と思いませんか?

窓一枚で、なぜ内側と外側とこんなに違うのでしょう。

本が後ろに飛ぶと書きましたが、実際には本はあなたの手から置き去りにされているのです。

あなたが本を落としたとき、電車の外でそれを見ていた人はどう見えるでしょうか?

電車の外で見ている人は、本が真下に落ちているように見えます。(実際は電車が走っているので、さらに空気抵抗もあるので、真下には落ちませんが、ややこしいので真下に落ちたと考えてください)

逆に電車の内側で本を落としたとき、外で見ている人は、真下には落ちているように見えません。前のほうに向かって落ちているように見えます。

なぜ前のほうに落ちているように見えるかと言いますと、電車が走っているからです。電車が止まっていれば真下に落ちるように見えます。

窓一枚で電車の内側にいる「あなた」は、外側の世界とは別の世界にいるのです。

それがアインシュタインの相対性理論なのです。

あなたが本を落としたのが50cmとします。

でも、電車が動いていれば、その距離だけプラスされます。つまり50cm+αです。

掛かった時間は1秒間とすれば、おや? おや? ちょっと変じゃないですか?

あなたから見れば、 1秒で50cm ですが、

外の人から見れば、 1秒で 50cm+α です。 

同じ1秒なのに、あなたの落とした本は+α分だけ余計に落としていることになります。

落ちる速度は同じです。 あれ? あれ?

アインシュタインは、ここで考えました。

これは「時間が延びている!」となった訳です。

電車の内側と外側では「1秒」の長さが違うのです。

腕時計を見ないでください。時計は正確に刻んでいるだけで、彼には罪はありません。ましてや24時間労働で疲れてサボッているのでもありません。

乗っている乗り物が速ければ速いほど、「1秒」はどんどん長くなります。光速に近い電車に乗ったあなたは、駅に降りたとき、「あっ」と驚くことでしょう。

いつの間にか未来に来てました。

電車の中では「1秒」が長いので、時間のたつのが遅いのです。でも、外の世界は腕時計と同じ「1秒」なのでいつもと同じ時間が過ぎているのです。あなたは普通でも、世間は速く時間が過ぎていて、未来に行ったことになるのです。

私は中学生のころ、本を落として、なぜ真下に落ちるのだろう、と真剣に悩みました。電車は走っているのに・・・。その解決されたのが私が35歳のときでした。偶然にもこれが相対性理論だと知ったのもそのときでした。(私は物理学者ではありません。念のために・・・)

おやおや、あなたは電車の中で居眠りをしてますね。

あまり眠り込むと、駅に着いたときは、未来に行ってるかもしれませんよ。


HPを作ろうかと考えています。

以前は、HPを作っても公開するものがないので、意味がないと思って作りませんでしたが、下関の地名の由来や伝説などを知ってる限り書いてもおもしろいかなと考え直しています。それにお店の紹介などをしてもいいし、観光地でない下関を紹介してもいいのではないだろうか。

そうなると忙しくなってくるなぁ、と尻込みするところもあります。

まぁいいか、ぼちぼち作ってみようか。

山口県に住んでいながら、金子みすずのことはあまり知りません。

かなり有名な詩人だということらしいのですが、最近までその存在すら知りませんでした。

それもそのはずで、近年、埋もれていた彼女の詩が発掘されて話題になったようです。

彼女のことを少し知りたくて、伊崎町のレンタルビデオに行って、彼女を主人公にした映画を借りようと思ったのですが、置いてませんでした。

生まれは長門市仙崎ですが、下関の西の端に住んだことのある彼女の映画が、下関のレンタルビデオに置いてないのは残念です。

店員に「すぐこの近くでロケをしたんだよ」って、皮肉を言ってやりました。



みすずのロケ地 下関市新地西町にて


これは、その映画のロケ地に使われた路地です。

どの場面で使われたのか知りたくなって、どうしても映画を見ずにいられません。

下関にお住まいのかたで、彼女の映画が置いてあるレンタル屋さんをご存じでしたら、教えてください。

よろしくお願いします。

飛鳥は、縦にしても横にしても、斜めにしても、ひっくり返しても、アスカとは読めないと思うのですが、なぜアスカと読むのでしょう。

同じようなアスカに明日香というのがあります。これだとアスカと読めますよね。

実は、この飛鳥と明日香は深い関係にあります。

大昔、聖徳太子が生きていた頃か、もっと以前かわかりませんが、とにかく大昔です。明日香という地名を書くときや言うときに「飛ぶ鳥の明日香(とぶとりのあすか)」と言ってたようです。飛鳥は明日香にかかる枕詞です。地名にかかる枕詞で有名なのは奈良の「青丹よし(あおによし)」というのがあります。青丹よしと言えばそれだけで奈良だとわかります。「飛鳥の明日香」もそれと同じような感じです。

その当時、最初はきちんと「飛鳥の明日香」と書いてたり、言ってたりしていたのが、だんだん面倒くさくなり、「飛鳥」と書くだけで、明日香を意味するようになり、「飛鳥」だけでアスカと読むようになったらしい、ということです。


それと同じようなのが、あと2例あります。

日下と長谷です。

これらは、「くさか」と「はせ」と読みますが、なぜこんな読み方が出来るのだろうか? と考えたことはありませんか?

これらも枕詞からきているのです。


日下の草加 ←ひのもとの くさか

初瀬の長谷 ←はつせの ながたに


ほかにも、もっとあるかもしれませんが、残念ながら、以上の3例しか知りません。この3例は、ある古代史家の有力な説です。まだ定説にはなってませんが、私はこの説に賛成です。

もし「青丹」が、「なら」と読めるのなら、この古代史家の説は多くの学者の支持を得たことでしょう。

「のんた」というのが山口県の方言とは知らなかった。

語尾につけて、とくに意味はないようです。

しかし、同じ山口でも、下関や萩などの日本海に面したほうでは使いません。

この言葉が使われるのは、旧国名の周防の瀬戸内海に面したところで使われるようです。

西は防府辺りまでですが、山口市内でも使われる方がいるようです。基本的には、山口市内では使いませんが、県東部から流れた人が使い出したと考えられます。

東は木野川までです。広島県の大竹市に入ると、まったく使いません。


広島といえば、下関でもそうですが、語尾や、あるいは言い終わったあと相手に確認を求めるように、「のう」と用います。


「おまえもいい歳なんじゃけ、早よ、結婚せんといけんのう」

「おまえ知っちょるやろ、のう、のう」 ←確認を求めるときは、2,3度続けて使う。


この「のう」が「あんた」と合わさって、

「のう、あんた」となり、

「のんた」となったと思うのですが、いかがでしょう。

女性が使う「ねぇんた」は、

「ねぇ、あんた」ではないでしょうか。


「のんた」を使わずに言い切ってしまうと、なんだか命令されているようだと言われた、とカカカさんのブログにありました。

上記の使用例では、

「あんたも早よ、結婚せんといけんねぇ、あんた」

というようになり、言い切るよりも、少し柔らかくなると思うのは、私が山口県人だからでしょうか?

はっぴえんたさんのところで拾った(京都より西日本ではヒロッタではなく、ヒラッタと読む)

1.理想の女(男)が記憶喪失で落ちている。

 

 借金返せと言って、 働かせる。

 

2.歩いていたらサインを求められた。

 

 サイン、コサイン、タンゼント???

 数学苦手!

 

 

3.引き出しからドラえもんが出てきた。

 

 著作権が着いてるかどうか確かめる。

 着いてなかったら、一緒にテレビに出る。

 

 

4.殺し屋に「死に方くらい選ばせてやるよ」と言われた。

 

 死ぬまで考えさせてくれ。 

 

5.見知らぬ大富豪に遺産を残された。

 

 太田胃散?

 胃酸、多い方だけど・・。 

  

6.初対面で「B型?」と言われた。

 

 小型の間違いでは・・。 

 

7.預金残高が増えていた。

 

 通帳見ないので、わからないかも・・。 

 

8.カモシカの様な脚にされた。

 

カモシカのような脚なんだけど・・。

 

 

9.前に並んでいる人に「俺の後ろに立つんじゃねぇ!」と言われた。 

 

 座る!

 

 

10.「犯人はあなたです!」と言われた。

 

 どの犯罪のことだろう?

 

 

11.朝起きたら目がヤギ目になっていた。

 

 朝、起きない! 

 

12.尻の割れ目が消えた。

 

 尻って、割れてるの? 

 

13.偶然手にとった本の主人公が明らかに自分だった。

 

 続きを自分で書く! 

 

14.モナリザがこっちを見ている気がする。

 

 フランスだっけ? モナリザの置いてあるの。

 行って確かめなきゃ!

100万本のバラっていう曲を加藤登喜子が歌っているのだけど、この歌詞がどうしても納得できない!

貧乏な絵描きが恋をして、小さな家を売って、100万本のバラを買ったとある。

バラって、いったい1本いくらなんだろう?

1本1円で100万円

1本10円で1000万円

1本100円で1億円

バラが1本100円ってこたぁない!

最低でも300円、高いものだと500円!

貧乏な絵描きが3億円~5億円もするような小さな家に住んでいるのか!

この元歌はシャンソンだったと思うけど、フランスでは小さな家でも3億円もするのか!

貧乏な絵描きでも3億円の小さな家に住んでいるのか!

自慢じゃないけど、100万円も持ってないぞ! わたしぁ。。。

それどころか財布には1万円もないぞ!

借金はあるが、貯金はない!

 「細雪」というのは、「ささめ」と「雪」の複合語で、ささめは「ささめく」という動詞から来ており、「さんざめく」と同じような関係にあると思います。ささめく=さんざめく、ですね。これは、人間の耳に聞こえるか聞こえないかのような小声でひそひそ、ぺちゃくちゃ、と喋っている状態です。そんな感じで雪が降っているのでしょう。

 ああ~♪ さんざめく星々よ♪(こんな歌詞だったかなぁ)

 星がぺちゃくちゃと瞬いているのでしょうね、きっと。。。

 (私は言語学者ではありません! と断っておきます)


 そんな語源はともかく、「細雪」は谷崎潤一郎の代表作です。長くて、もっとも退屈な小説のひとつでもあります。結局、なにが言いたいのかわからないままに、ずるずると拷問のような退屈さを堪えながら、ひたすらに文字を追いかけてゆきます。こんな思いをしたのは私だけではないようです。私はこの小説を3回、読みましたが、1度めはとても退屈でした。が、2度め、3度めはこれが意外にも結構、おもしろかったのです。何度も読み返せば、おもしろいに決まっている、と思われるかもしれませんが、試してみればわかります。何度、読んでも、おもしろくないと思います。

 そこでこの小説をおもしろく読むためのヒントを差し上げます。

 まず、題名に着目しました。なぜ「細雪」なのか? です。その意味は冒頭に書きましたね。そこからイメージするものはなにか? それは登場人物と関係があったのです。私は思わずハタッと膝を打ったことを覚えています。とかく、小説というのはある日ある時、時を選ばず、とつぜん理解できることがあるのです。

 おいおい! あまり引っ張るな! 早く書け!

 で、登場人物を考えてみると、雪子が浮かんできました。そうです! 「細雪」のイメージは雪子とぴったりではありませんか。そこで小説を思い出してみると、雪子が結婚するまでのことが延々と書かれおり、彼女だけ作者の意識が入り込んでいないのに気がつきました。要するに雪子だけ、客観的に描かれています。(最後のほうは、少しだけ雪子の中に入り込んでいます)

 この小説の主人公は雪子なのです。

 それを頭の隅にいれて読んでゆくと、意外とおもしろいのです。雪子が何度も見合いをし、最後に結婚してゆくまでが淡々と、しかも色々なエピソードを組み入れながら美しく描かれています。

 なにもわからないままに読むと退屈きわまりないのですが、雪子を追いかけながら読むとおもしろいということです。あるいは「読める!」ということです。

 で、この小説はなにが言いたいのだ! と聞かれても、まだ3回しか読んでないし、根気のなくなった私はこれから先も読むことはないだろうし、わかりませんときっぱり言っておきます。

 ただ、やたらと美しさが後味に残る小説です。