No.1536
たまたま「ホタルの墓」の映画を見た。追悼の番組だったと思うのであるが、私自身全編を通して見たことはなく、今回も一場面だけを見たのであるが
そこには妹を火葬するシーンであったのであるがなんともいたたまれない気持ちになったのであるが、その火葬後にドロップの缶の中に遺骨を入れた場面のところまで見た。
ああそうか。と作者の意図がわかったわけであるが、強い悲しみというかそういうもの、思い出というかそう行った「念」のようなもの。
それがそもそもの純粋な供養の形なのだと感じた。極論で言えば「葬式もお墓もいらない」ということになるのであるが、言葉尻を取られても困るので書いておくが、「純粋」な意味の「念」を伴うもの「本筋」のものと書いておこう。
世の中のことはもっとシンプルに考えねばならない。不要なものや情報に振り回されてないけないと思うのである。