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墓地管理士事務所 ひこばえの杜

日本のお墓の危機を救いたい!

No.1531

 

   そうしているうちに他の石材店からオファーがあり経営分析をしてくれないかということで行っていたのであるが、どうも社員にしようとしていたのでお断りをすることにした。そうすると自然に縁が切れていった。

 

 その後県や市の支援を受けることになり社員を雇ったり、事務所をもったりするようになり売上の拡大を狙うがそううまくもいかず社員も退職し再び一人での切り盛りとなった。

 

 それからマスコミが「墓じまい」を特集することになりテレビとか取材が殺到することになったのであるが、この時期は結構墓じまいが出始めであったのでネットから結構しごとが入ってきたりしていた。

 

 

   

 

 

 

 

 

 

No.1530

 

   その後2年くらいその会社の代表をしていたのであるがどうも居心地の悪さを感じていたのと震災による価値観の変化があり、自立してやってみようと思い起業することにした。

 

 1年目はどうにかこうにかやっていたのであるが、問題は2年目に仕事がない状況になりどうしたものか?と藁をもすがる思いで夜行バスに乗りお墓ディレクター1級の勉強会に参加して終活のセミナーを受けることができ、その翌月広島県初の終活セミナーを南区の社会福祉施設で開催した。

 

 当時は今のように終活も当たり前ではなかったので白い目で見られたりすることもあったし、セミナーなどをすると明らかに切れぎみの方たちが多くいたりしたが、自主開催セミナーをしていると講師で呼ばれるようになり銀行などのセミナーにも呼ばれるようになった。

 

 

   

 

 

 

 

 

 

No.1529

 

   そして、分社化する時期が来たのであるが、最初の話と違い他の人が社長をして自分は専務という立場になるという話になっていた。

 

 年が若すぎるというのが理由であったらしいが何とも納得がいかない話であったが、当時はあまり気にせずにやっていたが、会社経営をする立場になったので、朝六時半には会社に行ってトイレ掃除を30分してそれから内勤をして営業に出るということを3年半していたのであるが、何にもせず口だけ出してくる人たちに嫌気が指してきたのもこの時期であったが理不尽を訴えると代表取締役になることができたがどうもこの辺りもすこし、いやな火種が残っているような状態であった。

 

 

 

   

 

 

 

 

 

 

No.1529

 

   その後先輩たちが入れ替わりしたことや、仕事が面白くなってきたのでますます仕事に力が入り、展示会などに積極的に参加して売り上げを伸ばしていった。

 

 そしていつの間にかマネージャーという肩書はないがそういう立場になりやっていっていたのであるが辞めようかなと思っていたときに、会社が独立採算制になるということになる「分社社長」になれるという甘い言葉に乗りその後経営学を学ぶことになるのである。

 

 

   

 

 

 

 

 

 

No.1528

 

   地震があって猫の手も借りたい勢いになり営業に出るチャンスが巡ってきた。しかし当然基礎知識がないので15回ぐらい連続でクレームがきてしまいには所長に反省文を書けといわれるまでになり、先輩から「ミスターパーフェクト(ダメな方)」というネーミングをもらうまでになった。

 

 しかしその分仕事を集中的に覚え初年度から4,400万円の売り上げを達成することができたのである。