まぐれ―投資家はなぜ、運を実力と勘違いするのか/ナシーム・ニコラス・タレブ

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この本は、日々の生活に表れる確率の歪みを数理系トレーダーが語っている本です。読むと、統計的な視点で見られるようになって、気が晴れます(著者からの引用です。)


この本はランダムに起こる現象に意味を捉えてしまう人の性質を笑い飛ばしています。郊外の邸宅に住み、車を何台も所有し、できる贅沢はすべてしている投資家が、実力ではなく「まぐれ」で贅沢を享受しており、それゆえに凋落もまた高い確率で起こるであろうこと。癌を治癒するという奇跡の泉に、治療のために赴いた癌患者のうち、治癒せずに亡くなった大多数の事実が棄却されて、「自然治癒」で完治した数名だけが焦点となり「奇跡」になってしまうこと。数分おきに更新される株式ニュースに目を凝らしても、未来予測とはなんの関係もないこと、などなど・・・。

著者は、数理系トレーダーとして長年働くなかで、投資家の栄枯盛衰を横目に見ながらランダムな出来事と、それに向き合う人の心理について、うがった見方をしてきた人です。まったくの私見ですが、著者は偏屈で、ユーモラスで、本書も著者の性格を反映して、古典からの引用から、投資家の心理、遺伝の話まで展開はランダムそのものです。

そのなかで非常に重要な指摘と思われるのは、
人はランダムを「ランダム」とは捉えられず、なにか理由を探してしまう。という指摘です。おそらく本書の執拗なまでに取り上げられた事例、引用の言いたいことはここに収束するのではないかと思われます。

話の展開はランダムですが、ひとつひとつのエピソードが掘り下げられており、最後まで飽きることなく読むことができました。読んで感じたことは、ランダムに向き合う人の行動は笑えて哀しいということです。
いうなれば、戦場でタバコを吸う同僚に、「おい、火を消せ!」と忠告したら、自分が撃たれてしまったサキのような人生、あるいは「まるで犬のようだ。」と言って理不尽に殺されてしまったカフカの「審判」の主人公のようなものでしょうか。

このままだと単に厭世的な気分で終わってしまうのですが、幸いにも著者はランダムに向き合う態度を提案してくれています。
ひとつは本書のテーマである、成功、失敗等々の「ランダム」な事象を疑い、それに振り回されるな、ということです。そして、もうひとつは努力することの意味です。少し長くなりますが、下記のようなものです。


私たちの脳は非線形性を扱うようにはできていない。たとえば二つの変数の間に因果関係がある場合、人は、原因のほうの変数が安定していれば結果のほうの変数も必ず安定しているものだと思う。たとえば、毎日勉強していればそれに比例して何かが身についていると思う。進んだ気がしないとやる気が出ない。でも、現実は厳しく、線形で正の進歩なんてめったにない。一年勉強してもなんにも身につかないけれど、結果が出ないことにうんざりして止めたりしなければ、ある日突然何かが訪れるのだ。
・・・中略・・・
そんな非線形性のせいで、人には稀な事象の性質が理解できない。だから、偶然に頼らなくても成功できる道はあるのに、その道をたどっていくだけの精神的なスタミナを持っている人はめったにいない。他人よりがんばればいいことがある・・・なんらかの臨界点に達するまで、いいことは起きないかもしれない。ほとんどの人は、そうなる前にあきらめてしまう。



つまり努力は、目に見える形で結実はしないものだが、いつか「ランダム」にいい事が起きる道をつくる。ということです。
ひたむきに毎日何かを続けることの意義を教えてくれます。
このブログもはじめて3ヶ月で、いまだにパッとしませんが、それでも続ける意味はあるんだと励まされた気がします(笑)。

もうひとつは、不幸にめぐり合わせたときの態度です。
誰もが、株で損をし、友達に裏切られ、お金を落とし、癌を宣告され、飛行機が墜落する憂き目に「ランダム」であいます。
そんな時、どうするべきなのか。


次に不幸な目にあったときから、人としての品格を大事にしよう。どんなときでもsapere vivereの(「人生を悟った」)態度を示すのだ。


これは最終の14章の最後のくだりの一部ですが、深く感銘を受ける文章が書かれています。著者の皮肉っぽいランダムな文章に14章かけてつきあった甲斐がある(笑)と思える名文です。是非本書を一読し、最後まで読んでいただきたいと思います。

わたしにとって、この本でランダムを知った意味はとても大きいものです。
かつて中学生のとき、部活で膝の半月板を損傷し、運動はおろか、歩くこともままならなくなったことがあります。
そのとき母が新興宗教に凝っており、毎日1時間半ぐらいかけて祈祷を受けに1月あまりその宗教の道場に通いました。
信者の方が曰く、先祖の行いが祟ったのだとか・・・。
母は、もろにそれを信じ、わたしもそうか、運命なのか、と深く悩みました。

しかし膝のケガは、なんのことはない、ランダムな出来事だったのです。
あのころ悩んだのはなんだったんだろうかと、この本1冊読んでいれば、ずっと楽な気持ちになれたなあ、と感慨ひとしおです。

本書は、人生の出来事に向かい合う態度を示唆してくれるものです。気持ちを楽にほぐしてくれるような読後感があります。日々努力を続けて、「まぐれ」な幸運を待ち、「まぐれ」で不幸に出会ったら、気持ちに余裕をもって笑いかけてやりましょう。