2019年に、出羽三山での修験道体験(山伏修行)に参加した方の感想や体験をご紹介いたします。毎年恒例で、2019年は9回目。毎年、羽黒修験の現地の本物の山伏の先達の方と宿坊にお世話になり、本物の山伏体験をさせていただくことのできる、生きた学びの機会です。

 今年2022年も以下の日程で行います。ご関心・ご興味のある方はお気軽にお問い合わせ下さい。 

 

2022年7月30日(土)、31日(日)、出羽三山修験道体験(山伏修行)

 

 

2019年(第9回目)

◎水野愛子(副代表・50代)9回目

 今回で9回目になる出羽三山での修験道修行ですが、毎回、色々なことを気づかせていただいています。

「考えるのではなく感じること」が少なくなっている現代人は無意識に思考を巡らせてしまっています。登山で肉体的に限界に近づいたり、圧倒的な自然の営みにさらされて初めて何も考えない状態になったりします。ただひたすら登ること、読経すること、滝に打たれること、燻されることで人が本来持っている感覚や本性(野生性)などが現れてくるのだな、と感じます。大地や自然と繋がることが少なくなると様々な病気が現れるそうですが、精神の病がこれだけ増えている現代は、このような自然に浸りきる修行が必須だと思います。

 今回は、登山やとそう行(歩く修行)を行っているとき、鳥の声が間近に聞こえてきたり、見上げた空の色がまぶしいほど綺麗だったり、冷たい川の水が自分をお清めしてくれていると感じたりしたことが、特に印象的でした。
 夜間とそう行では今年も蛍の群舞をみることができましたが、この時はみんな言葉もなく、ただ蛍の光を見つめていました。なにかとても感動しました。

 体験しなければ決してわからないことがあります。この出羽の修行もそうだと思います。 一人でも多の方々にこの素晴らしい修行を体験していただきたいと思いました。
 今年も、先達には大変お世話になりました。いろいろな気づきを与えていただきありがとうございました。


◎細川美香(副代表・50代)9回目

 今年で9回目の出羽修験道体験となり、プログラム自体には慣れがあるものの、毎回、いろんな課題があり、精神的な訓練をさせていただいています。今年、印象に残ったプログラムは、月山徒走と滝行、夜間徒走です。

 山と一体になることで自分から離れることができればと思いながら徒走しましたが、いろんな思いが湧いては消えて集中して行うことの難しさ、そして大切さを学びました。滝行では滝の水によって自分の汚れを流すことができればと思い、滝の中に入っていきましたが、滝の勢いに圧倒され恐怖がでてしまい、自分の心のコントロールの難しさを知り、そして日々の生活での課題の理解が深まったように思います。
 夜間徒走での蛍は印象的でしたが、やはり暗闇の中を何も話しをせずただ、黙々と歩くのは自然の中に入りやすいのと同時に、ここでもまた自分に向き合うことがやりやすいと思いました。

 来年は10回目という1つの節目になると思いますが、今年の学びを土台にして、さらに精進できるように努力したいと思います。先達には貴重な時間を作っていただき感謝いたします。ありがとうございます。また来年もよろしくお願いいたします。

 


◎広末晃敏(副代表・50代)9回目

 今回の出羽山での修行も、日常の喧噪から離れ、意識を自分の内奥に向けて、そこから自らを自然と宇宙につなげてくれる貴重なものでした。

 とりわけ今回は、湯殿山の滝行の前後に、ちょうど雨に降られましたが、そのために、むき出しの肌身に数多の雨粒を受けて、さらに圧倒的な滝の流れを浴びて、おのずと自分と自然との境界線が取り払われて、合一していったように感じました。普段の生活では、快適な生活の名の下に、衣服や雨具や住居などで雨風から身を守っていますが、そのために自分と自然との間に「障壁」ができてしまっているように、あらためて感じさせられました。
 月山登拝でも、風の音しか聞こえない霞や霧の中を、一定のペースで黙々と歩いていると、「自分」が「歩いている」というのではなく、宇宙全体の躍動する力の一部の現れとして、「自分」と見えるものが、仮に、ある一定の現れ方をしているような感覚になり、あるべき本来の姿を取り戻したというか、再認識したような感覚でした。

 このような感覚は、言葉では表現しがたいのですが、この感覚を年に1回取り戻して、生まれ変わらせてくれる出羽山での修行と、その機会を与えて下さる先生には、深く感謝しております。
ありがとうございました。これからも、よろしくお願いいたします


◎宗形真紀子(指導員・50代):9回目

 今年で9回目となった出羽三山での修験道修行は、ちょうど仙台に引っ越してきた時期と重なり、御山に、「これから東北人となるのでよろしくお願いします」という気持ちで始めました。先達の後をついて、羽黒山、湯殿山、月山に入り、いつものように、歩き、祈り、滝に打たれ、暗闇を歩き、あっという間の二日間でした。

 わたしの中で、出羽三山に身を置いて修行することが、毎年の、自然なことになっていて、心身が喜んでいるのを感じました。気付いてみれば、大自然の中に身を置いて、ひたすら行を行ううちに、この9年の間に、心身の悩みは消えていきました。今年は、体も、これまでで一番丈夫になっていることを実感することができました。大自然に没入して、自然に合わせて動き、大自然を感じる時間をすごすことができ、安らぎました。わたしにって、御山に身を置くことが、とても貴重な時間になっているのだと思います。

 山から下りてきて、出生式を終えた後、とてもすがすがしく、嬉しかったです。そこには社会的立場などと別のところにある、ただの「生きている人」として、そこにいるわたしがいました。十数年前に、オウムを脱会して、聖地巡りを行い始めた時、聖地がこんなにすばらしい波動を発しているのはなぜだろう?もともとそういう地場なのか、それとも古代から人々が大切にし、祈り、このようになったのだろうか?と不思議でした。

 今は、人が行えることは、大自然に入って大自然を感じること、大自然に合わせること、そしてそこで祈ることなのかな、それは古代から変わっていないのかなと思うようになりました。
長い間お世話になり、どうもありがとうございます。今後ともどうぞよろしくお願いいたします。

 

 

◎N・O(スタッフ・50代):初参加

 羽黒山とそう行は階段が大変で、できるだけ上を見ないで目の前にある階段を見つめて登るよう意識しました。途中で小休止を入れてくれたおかげで、上まで登ることができたのだと思います。

般若心経をはじめ、読誦の修行がよかったです。特に「三語拝詞」と「三山拝詞」(※出羽三山特有のもの)は、歌のようで綺麗な詞章だなと思いました。何もかも初めてで、ついていくのがやっとの2日間でしたが、機会があれば再チャレンジしたいと思います。

ありがとうございました。