素晴らしい人と、そうでない人?
今週は、取材でまた素晴らしい人にお会いした。
……という言い方をすると、「素晴らしい人」と、「そうでない人」がいるようだが、そうではない。この世界に素晴らしくない人なんて、いない。私が言う「素晴らしい人」とは、魂レベルの自己に目覚め、その人の真の個性(=才能、使命にも等しいもの)、本来の〝素晴らしさ〟を充分に表現して生きている人のこと。「そうでない人」は単にまだ、そこに至る過程にいるというだけの話であって、もちろん私もそんな発展途上人の一人である(^_^;)
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そのような私にとって、どんなジャンルでどんな素晴らしさを表現している人であれ、先を行く人はすべて眩しく、素晴らしい。その人の気配、生き方、一挙手一投足が私を揺さぶり、インスパイアしてくれる。
その人が「何を言うか」、ではなく、「どうあるか」。まさに、いくらでも繕える「上っ面」ではなく、存在のありよう、おのずと現れる魂の品格とでもいいたい気配こそが、独特の振動によって、こちらの魂を揺さぶり起こしてくれるのだろう。
今回、お会いした人はこれら↑↓の本の著者。詳細は後日、THERAPYの体験リポートエッセイとして掲載後、このブログにもアップする予定だが。
まさに、凛とした魂の個性=使命を生き切っている方だった。
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こういう人に会うたび、目が覚めるような思いがする。余分なものをたくさんつけたまま、あれこれどうでもいいことに夢中になり、どうでもいいことに振り回され、何かを損なったり、損なわれたり、人生の持ち時間をいたずらに空費して眠ったまま生きているかのような自分に気づかされ、恥ずかしくなる。
その恥ずかしさは、自己卑下やコンプレックス、罪悪感の恥ずかしさとは違う。もっと、爽やかな風が吹くように、「そうそう、そうだった」「何をやってたんだ、わたしは」「もったいないよ、こんなことじゃ(自分も、人生も)」と、目線を上に向けてくれるような、「とらわれ」からの解放感をともなう、気持ちが軽くなるような恥ずかしさ、なのだ。
だから、恥ずかしいんだけど、爽やかで、気持ちがいい。その爽やかさの中で、すご~くシンプルな、本当に大切なことを、思い出している。おかげで気持ちや考えが、すっきりシンプルになって、羽が生えたように軽くなっている。
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どうして先を行く方々はいつも、こんなふうにさりげなく、大切なことを思い出させてくれるんだろう。特に何もしていないのに、そこでいつも通り生きているだけで、豊かなインスピレーションをくれるんだろう。
いつか私も、そんなふうになれたらいいな。そう改めて思った。
本日のおまけ
記事を書く前なんだけど、ちょっとだけ、うかがったお話をおすそわけ↓しておくね。
何かを「ストレス」に感じるのは、それに対する「ネガティブな考え」があるから。不平、不満、被害者意識、嫉妬心、敵対心などなど、「ネガティブな考え」さえなければ、人はそんなに疲れません。
皆さん、なんでそんなにラクをしたがるんでしょうね。私たちはラクをするために生まれてきたんじゃないのに。しんどいこと、きついこと、面倒なこと、大変なこと、それらを乗り越えた先にある、本当の喜びを感じるために、生まれてきたのに。