愛国心という〝呪い〟 | どんどんよくなる光の小道

愛国心という〝呪い〟

 教育基本法の改正で、国会提出の焦点となっていた「愛国心」に関する表現が12日、自公で合意した。その文言は以下の通り。


 伝統と文化を尊重し、それらをはぐくんできた我が国と郷土を愛するとともに、他国を尊重し、国際社会の平和と発展に寄与する態度を養うこと。


 まぁこれだけ聞いたら、「それのいったいどこが問題なの?」「いいことじゃない」という人も多いと思う。問題は、これが教育基本法となれば、すでに始まっている〝愛国心教育〟を合法化、さらに本格化させていく旗印となることだ。

 国旗・国歌法が成立したときも、政府は「教育現場での扱いは変わらない」と答弁していたが、実際には国旗掲揚時の起立も国歌斉唱も強制され、入学式や卒業式における各校の独自性は大きく制限され、教員の処分も始まっている。

 ワタシ自身もコグマくんの入学式・卒業式に参加するたび、「戦前もかくや」と思われる物々しさに、近年じわじわと恐ろしいものを感じている。

しだれ桜  しだれ桜 by 黒鯛子

 それにしても、子どもを教育・指導する際に〝愛国心〟が評価の対象になるとは、いったいどういうことなのか? 心の内側――思想・信条――をどのように判断し、評価しようというのか? 

 そもそも〝愛国心〟とは、すべての子どもに植えつけるべき思想なのだろうか?


 私の心の師であるダスカロスは、この本↓の中で、

メッセンジャー

キリアコス・C. マルキデス, Kyriacos C. Markides, 鈴木 真佐子

メッセンジャー―ストロヴォロスの賢者への道

愛国心は伝統や歴史によって形成されてきた憎しみと暴力を呼び起こす〝呪い〟のようなものだと語っている。


 人々は、愛国心が敵とみなしている相手の国の愛国心を強化しているという事実に気づいていない。1つのグループの愛国心は、他のグループの愛国心を目覚めさせ、強化する。

 この原理は愛国心だけにとどまらない。宗教も同じだ。人々は教会やモスクで祈り、自分たちの神に熱狂する。このようにして狂信的な人々が絶え間なくつくりだす怪物を、私たちは日々、中和する戦いを繰り返しているんだよ。(シリーズ第2集『太陽の秘儀』より)


 要するに、愛国心は他国の愛国心を刺激し、強化する。それが伝統や歴史によって形成されてきた憎しみと暴力を呼び起こし、新たな火種となって、また自分たちに跳ね返ってくる……ということだ。

 これはまさに、今私たち日本人が嫌韓・嫌中ブームなどといって、隣国である中国や北朝鮮、韓国とやっていることにほかならないのではないだろうか。石原都知事は「(中国と)戦争したって構わない」と公言しているが、こういうナショナリズムの蔓延する時代の空気に〝お墨付き〟を与え、後押しするために、今回の教育基本法の改定があるように思えてならない。

勘違い娘のヒメ by 黒鯛子


 残念ながら、地球という星にはまだまだ「戦争をしたって構わない人」もいれば、「戦争をしたがっている人」も「させたがっている人」もいるようだ。でも、その人たちの好きにさせてはいけない。


 ダスカロスは、彼が生涯を暮らしたキプロスでギリシャ人とトルコ人が陥っている根深い対立について、次のように語っていた。


「自分の中を見つめなさい。本当の敵はそこにいる。ある民族が出会う運命は偶然ではなく、集合的なカルマなのだ。もし、ある部族が攻撃的で、他の国を侵略したとすると、その時代につくりだされた破滅的な〝想念〟が、遅かれ早かれ別の歴史的な状況でその部族に襲いかかる。

 個人のカルマがあるのと同じように、集合的なカルマがあり、ある国に住む人は、その国のカルマの負債を負っているのだ。破滅的な〝想念〟の応酬は断ち切らればならない。いちばん大切なのは、ギリシャ系キプロス人がトルコ人の同胞たちに悪い感情を持たないことだ。そして、心から友情の手を差し伸べることなんだよ」(第1集より)


 私たち日本人でいえば中国や北朝鮮、韓国に対して、悪い感情を抱かないことが何より大切なのだと思う。問題があれば、政治的・外交的努力によって解決をはかるしかない。

 それには、〝愛国心〟なんていうものを持ち出すほうが、よっぽど対立を煽り、解決を遠ざける、という事実は知っておいたほうがいい。欲しいのが<戦い>でなく、<解決>だというならば。


 今は私たちは、環境・資源・エネルギーといったマクロのレベルで、宇宙船<地球号>の存亡がかかった時代に生きている。そんな時代に、国や民族や宗教の違いで争い戦っている場合だろうか。やったりやられたりの応酬を続けている場合だろうか。

 ちっぽけで有害な愛国心なんかより、同じ地球人という意識に目覚め、動植物とも同じ<いのち>という意識に目覚め、(自分たちだけでなく)より大きな全体に役立つような問題解決を目指して生きることのほうが、ずっと素晴らしく大事なことだと私は思う。