1 | 2 | 3 | 4 |最初 次ページ >> ▼ /
2016-11-30 14:30:21

とりあえず、列記しておきます&沖縄のこと

テーマ:ブログ

多忙で、ゆっくり、ブログを更新する時間がないので、とりあえず、ここ数日の出来事を、備忘録的に、列記しておきます。

まずは、28日(月)。夕方からの「ラテンアメリカ探訪」は、東大の星埜守之さんによる、主にカリブ海の、クレオール文化に関するお話。大変、興味深いお話ではあったが、参加者は10人で、4000円の赤字。あまり、金銭的なことをいうのは、どうかとは思うが、財政を度外視して、会は続けられません。

29日(火)は、横浜・馬車道のBankART Studio NYKで開催されている、柳幸典「ワンダリング・ポジション」展を観に行き、夜は亀戸のカメリアホールで開催された、山崎ハコ新作アルバム「私のうた」発売記念コンサートへ。久しぶりの大きなコンサートとあって、私とほぼ同年配の、ジジ・ババが大結集。まぁ、ハコさんもそれなりに年を取ったが、それ以上に、私を含むファンの老化が、年々、益々、際立ってきた。ハコさんは、コンサートで、「80になっても、歌い続ける」と宣言されたが、果たして、ファンがそこまで持つか、どうか・・少なくとも私は、到底、その自信がありませぬ(泣)。

そして、今日は、医者通い。さらに、明後日も、医者通い。

さて、沖縄では、28日に、翁長知事が、残念ながら、高江の「ヘリパット」建設を、事実上、容認するかのような発言をされて(その後、そうとられたなら不本意・・とも、発言されたものの)、翌29日には、間髪いれず、高江と辺野古で、連続して逮捕者が出て、辺野古のテントを始め、数カ所にガサ入れも・・。

要は、翁長知事の優柔不断な発言につけ込んで、国家権力は一気に、反対運動つぶしにうって出るという、実にわかりやすい構図。圧倒的な(国会内での)数の力と、高い「支持率」とかを背景に、「土人」ごときに対しては、文字通り、何でも出来ると、勝手にそう思い込んでいる、安倍ヒトラーの暴走を、絶対に、許さない。文字通り、ここが踏ん張りどころ。どんなに、非力ではあれ、断固、踏み止まり、かつ、反撃に転じなければッ!!!と、強く、そう思う。

沖縄の人々には、所詮、差別への加担者でしかない「本土」の人間のいうことなど、到底、信じてもらえないかもしれませんが・・。

 

AD
いいね!した人  |  コメント(0)  |  リブログ(0)
2016-11-28 11:32:35

キューバ音楽との出会いの旅/クアルテート・ダイーダ、エレーナ・ブルケ、そしてオマーラ

テーマ:音楽

2002年11月30日発行の「そんりさ」VOl.77に掲載した原稿です。

*

『ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブ』のコンセプトが、忘れ去られたキューバの老ミュージシャンたちの「(欧米社会における)再発見」であったとすれば、おそらくその唯一の例外が、キューバにおける現役最高の歌手(と、いいきってしまってもいい)オマーラ・ポルトゥオンドであるだろう。でもここで、オマーラについてのディスコグラフィーを書く気は、私にはサラサラ、ない。タワー・レコードやHMV等の大型CDショップの「ワールド」コーナーに行けば、オマーラのCDはどこでもたぶん十枚くらいは置いてあるだろうし、その中のライナーノーツや、その他一連の『ブエナ・ビスタ』本には、彼女の来歴などが詳しく、紹介されているからである。

オマーラ・ポルトゥオンドを語る時、絶対に忘れてはならない人物のひとりに、最近、残念ながら亡くなってしまったらしい、生涯、文字通りオマーラの好敵手であり続けたキューバ屈指の女性歌手、エレーナ・ブルケがいる。

オマーラとエレーナ・ブルケの出会いは、クアルテート・ダイーダという女性コーラス・グループでのこと。オマーラは一九三〇年生まれ、エレーナは一九二八年生まれで、ほぼ同世代である。クアルテート・ダイーダはまだ二十歳ソコソコのオマーラやエレーナたちのキュートなコーラスと、しかしながら、どんな歌でも確実に歌いこなせてしまう抜群の歌唱力とで、メキメキ、頭角を現し、革命前のキューバ・ショービジネス界の花形になった。

『NOCTURNO ANTILLANO』(ORFEON/CDL-16212)は、そのクアルテート・ダイーダ絶頂期の一九五七年に録音されたアルバムの復刻盤で、オマーラやエレーナの出発点を知ることの出来る、貴重な、そして格好の一枚である。

その後、一九六七年にソロのシンガーとなったオマーラは、ジャズの影響なども受けた「フィーリン」と呼ばれるキューバ・ポピュラーソングのムーブメントの中で、その才能を発揮し、やがて「フィーリンの恋人」(ズバリ、そういうタイトルのアルバムもある)などと呼ばれることになるが、オマーラ同様、ソロ活動を開始したエレーナもまた、フィーリンを得意分野とした。しかし、フィーリンの歌い手としての評価が固定するのを嫌い、実に様々なジャンルに果敢に挑戦するオマーラ(そこが彼女が器用貧乏ともいわれる所以)に対し、エレーナはその天性にして豊かな圧倒的な歌唱力を武器に、しっとりとしたスローなナンバーを朗々と歌い上げることに、ひたすらこだわり続けてきたように、私には思われる。

道は確実に、分かれ始めたのだ。オマーラはソンなどのキューバの伝統音楽から、ヌエバ・トローバやジャズなど、様々な音楽ジャンルをカバー出来る歌手として、革命後のキューバ音楽の文字通りの激動期をも自力で乗り切り(ただし、その彼女でも、八年近く新しいアルバムが出せなかった時期があったらしい)、常にキューバ、そしてラテン音楽のトップ・スターの座に君臨し続けたのに対し、エレーナの知名度はキューバの国外には、あまり広まったとはいい難い。

エレーナのおそらく最後のアルバムは、一九九五年に録音されたという『EN PERSONA』(EGREM/CD0394)である。これは実に、涙が出るほど素晴らしいアルバムである。まさにこれぞエレーナ・ブルケという、バックを極力抑えて、彼女の円熟の歌唱力のみをクローズアップしたつくり。私はCDが擦り切れるほど、聴いています。

その後、彼女の病気が伝えられたが、最近、届いた彼女の娘であるマレーナ・ブルケのCD紹介文には「故エレーナ・ブルケ」との表現があり、ショックだった。

AD
いいね!した人  |  コメント(0)  |  リブログ(0)
2016-11-27 09:10:58

再録はあと2回

テーマ:音楽

「キューバ音楽との出会いの旅」の再録は、とりあえず、あと2回で、打ち止めとしたいと思います。

2003年1月11日に発行された「そんりさ」VOL.78の拙稿「キューバ音楽との出会いの旅/キューバからキューバへ~マルレン&ユウコ~」の中で、私はこの連載を始めたきっかけについて、次のように書いています。

「青西(レコム)代表(当時)からの、誰かコラムで中南米の音楽評を書く人いない?という呼びかけに、『兵は拙速を尊ぶ』が身上の、お調子者の私がまんまと手をあげて、この連載が始まったのですが、当初は何人かの人で分担して書き、その中で私はキューバの音楽について担当する、という構想でした。ところが私以外に手をあげた人がいなかったため、とどのつまりはキューバ音楽についてのコラムが、延々と続くことになりました」

その後、一緒に「メキシコ学勉強会(現ラテンアメリカ探訪)」を立ち上げた水口良樹さんが、ペルー音楽の専門家であるため、水口さんに、ペルー音楽について書いていただけないかと懇願し、幸い、快諾を得ましたので、自らの連載はいったん打ち切って、水口さんの連載が始まりました。私のかなり偏ったキューバ音楽に関する紹介記事に関しては、その後、私自身が諸事情でレコムをやめたこともあって、ついに、再開されることはなかったのです。

ということで、たまたま、自室の整理をしていて、見つけた「そんりさ」のバックナンバーから、私の連載の一部を、ブログに再録し始めたのですが、文中紹介している古いCDは、今日ではほとんど、入手困難だし、トローバやソンといった、いわば一連の「懐メロ路線」が終わったところで、打ち止めとするのが正解かなぁ・・と思うようになったのです。

ということで、あと2回。読んで下さっている方が、もしいれば、どうぞ、よろしく。

「クアルテート・ダイーダ、エレーナ・ブルケ、そしてオマーラ」「カサ・デ・ラ・トローバ&ファエス家のトローバ」が、それです。

 

 

AD
いいね!した人  |  コメント(0)  |  リブログ(0)
2016-11-27 08:34:10

キューバ音楽との出会いの旅/ミゲール・マタモロスのソン

テーマ:音楽

2002年8月17日に発行された「そんりさ」VOL.75に掲載された原稿です。

*

偉大な作曲家でもあったミゲール・マタモロスの結成した「トリオ・マタモロス」が、ロレンソ・イエレスエロの「ロス・コンパドレス」と並ぶ、キューバの生んだ最高のヴオーカル・グループであるということは、中村とうようさんの『なんだかんだでルンバにマンボ』(ミュージック・マガジン増刊号、一九九二年)を読んで、知っていた。

そのトリオ・マタモロスがサンティアゴ・デ・クーバで誕生したのは、一九二五年のことである。メンバーはミゲール・マタモロスとシロ・ロドリゲス、ラファエール・クエートの三人で、一九六〇年にその活動を停止するまで、ずっと同じメンバーで活動を続けた。共に、ソンの興隆期を担ったセプテート・ナシオナールなどの名門グループが、随時、メンバーを入れ替えつつ、今日まで継承されてきたことを考えると、同メンバーによる、まれにみる息の長いグループである。

中村とうよう氏によれば、トリオ・マタモロスは結成当初はほとんどアマチュアの趣味の延長線のようなグループで、事実、ミゲールは運転手、ラファエールは市の衛生局職員、シロは鍛冶屋が、それぞれ本職であったという。ところが一九二八年に米国で出したレコードが売れ、それに伴いプロ意識に目覚め、演奏も急速にうまくなっていった。最初は三人だけで歌と演奏のすべてをこなしていたというが、三〇年代にはトランペットなどが、四〇年代末から五〇年代初めにかけてはピアノがそれに加わり、次第にコンフト(小編成のバンド)のスタイルをとっていくことになる。その後、ロス・コンパドレスの結成に加わることになるあのコンパイ・セグンドが、一クラリネット奏者として在籍していたこともまた、よく知られているエピソードである。

トリオ・マタモロスのCDには『永遠のトリオ・マタモロス』(BOM4001/2)などのベスト盤が数多くあるが、一九二八年の初レコーディングから一九三七年までの初期の録音を集めたのが、『LAGRIMAS NEGRAS』(NLN55024)だ。タイトルにもなっている名曲「LAGRIMAS NEGRAS(黒い涙)」をはじめ二〇曲入りで、技巧に走らない素朴な味わいが身上の、とても親しみの持てるアルバムである。

一九六〇年にその活動に終止符を打ったあとも、ミゲール・マタモロスは一九七一年までは生きていたというが、オリジナル・メンバー以外の編成で、トリオ・マタモロスが復活することはなかった。ただ、マタモロスの生んだ名曲の数々はその後も、多くのグループや歌手によって、今日まで歌い継がれてきた。

一九九九年に出た『DE CUBA SON MATAMOROS』(BisMusicCD192)は、そんな中の一枚であり、私のもっとも好きなマタモロスのカバー・アルバムである。同アルバムは本誌連載第五回で紹介した新生セプテート・ナシオナールのメンバーをメインに、ボレロ系の女性シンガーであるアイナス・ラブレウなどのゲスト・ヴォーカリストが加わって制作されたもので、なかでも「LAGRIMAS NEGRAS」はアイナス・ラブレウの若々しくも安定感のある歌声が最高で、セプテート・ナシオナールのメンバーとの掛け合いも息がピッタリ合い、オリジナル曲から新たな魅力を十分に引き出している。また、あっ、これこそセプテート・ナシオナールだなぁというサウンドも随所にあって、単なる名曲のカバーに終わらない秀作である。

最近、入手したファラ・マリーアの『LIBRE COMO GAVIOTA』(CDL11689)も、なかなか、いい。彼女もまたアイナス同様、ボレロ系の女性シンガーだが、このアルバムはマタモロスやセプテート・アバネーロの名曲をカバーしたものだ。

いいね!した人  |  コメント(0)  |  リブログ(0)
2016-11-26 10:54:29

キューバ音楽との出会いの旅/ロス・ナランホス

テーマ:音楽

2002年6月29日発行の「そんりさ」VOL.74に掲載した原稿です。最近のロス・ナランホスの動向については、さかぐちとおるさんの新刊『キューバ音楽を歩く旅』(彩流社)に載っています。

*

ロス・ナランホスは一九二六年、キューバ中部の都市シエンフエゴスで結成され、一九二〇年代から三〇年代にかけてのソンの興隆期を担った、名門バンドのひとつである。ロス・ナランホスが結成された一九二六年はまた、キューバの音楽史に燦然と輝くソンの名門バンド、セプテート・ナシオナルがイグナシオ・ピニェイロによって結成された年でもあり、ちなみにその前年の二五年には、すでにセステート(セプテート編成になるのは二七年のこと)・アバネーロが、ようやく、初のレコーディングを行っている。ロス・ナランホスはまさに、そんなソンの創成期に結成されたバンドなのだ。

もちろん、現在のセプテート・ナシオナールやセプテート・アバネーロがそうであるように、ロス・ナランホスには、その結成当時のオリジナル・メンバーは、現在、ひとりも在籍していない。結成当時、その中心メンバー(ヴォーカル)であったといわれているグメルシンド・ソリアーノ・サジェスはすでに一〇年以上も前に死亡しており、結成時の他のオリジナル・メンバーの詳細な資料も、また、当時の音源も、何ひとつ残ってはいないのが実態だ(もちろん、今後、新たに発掘される可能性はある)。しかしながら、ロス・ナランホスはその結成当時のセプテート(七重奏)・スタイルを今もなお、かたくなに守り抜き、一九二〇~三〇年代の、いわば黄金期のソンの伝統を今日に伝える貴重なグループの、間違いなくひとつである。

二年前に出版されたさかぐちとおる氏の『キューバ音楽紀行』(東京書籍)には、シエンフエゴスの街の様子と共に、彼が街で偶然出会ったロス・ナランホスのメンバーに連れられて、彼らの演奏を聴きに行った時のエピソードが、紹介されている。

「(ロス・ナランホスは)一〇人くらいの編成だが、ソンの七人編成が音の厚みを増したような楽団だ。歌手のうち二人は八〇代、演奏者の大部分もかなり高齢で、奏でる音は年季の入ったものであり、その厚みのある演奏は素晴らしいものだった」と、そうさかぐち氏は書いている。氏は続けて、その彼らの日本公演が同年中に予定されていることにも触れているが、筆者は青山の決して大きくはないライブハウスで行われた、その彼らの日本公演を幸運にも聴くことが出来たひとりである。

彼らのアルバムは現在、アオラ・コーポレーションから日本語の解説付きで二枚出ており、その一枚は『褐色のソン』(CRACD213)、もう一枚は『オレンジの樹の下のソン』(CRACD219)である。後者は彼らの来日記念盤として発売されたもので、新たな女性メンバーも加わった最新の録音盤である。

よっぽどのキューバ音楽ファンでなければおそらくその名を聞いたこともないであろうロス・ナランホスの日本公演が実現したのは、いうまでもなく映画『ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブ』の大ヒットと、それにより突如巻き起こり、そしてそれこそ台風のようにあっという間に通り過ぎていった感のある日本における「キューバ音楽ブーム」によるものである。この映画のヒットによるにわかキューバ音楽ファンの急増は、年季の入った古参キューバ音楽ファンの眉を大いにひそめさせたが、私としてはそれにより多くのキューバ人ミュージシャンの来日公演が実現し、また、大手CDショップのキューバ音楽コーナーがさらに充実するなど、たとえ一過性のものであれ、ブームはむしろ大歓迎であった。

ロス・ナランホスの日本公演は、素晴らしいの一言に尽きるものであった。八〇代という高齢をまったく感じさせないヴォーカル、厚みと軽快さを併せ持った演奏、そして何よりも彼らのパフォーマンスの楽しさ、すべてが超一級品だった。皆さん、是非、彼らのCDを聴いて下さい。

いいね!した人  |  コメント(0)  |  リブログ(0)
2016-11-26 09:57:10

ART BOOK CLUB わたしの中の亡霊 第1回

テーマ:アート

昨日、東京都庭園美術館で開催中の「クリスチャン・ボルタンスキー アニミタス_さざめく亡霊たち」関連イベントとして、限定20人で開催された「ART BOOK CLUB わたしの中の亡霊」の第1回目の回に参加。

会場のテーブルの上には、クリスチャン・ボルタンスキー関連の洋書が並べられ、それを閲覧しながら、話し合うというイベント。Artbook Eurekaという美術専門の洋書販売サイトを主宰する小西友紀子さんが、その案内役&本も販売。講演会ではない、この手のイベントは、正直、参加者の「質」が問われるなぁ・・という感想。積極的に発言されたのは少数で、必ずしも、活発な話し合いになったわけではない。仮に話が不発だった場合に、案内役の方が、どう、巧みに参加者の話を引き出すかが、今後の課題と思う。とはいっても、第2回目は今日の開催で、このイベントはそれで終了ですが・・。

かくいう私も、一言も話さず、場を盛り上げたわけではなかったので、せめてのお詫びに、会場で販売されたボルタンスキーの、5000円の本を1冊、購入して、帰りましたぁ~。

いいね!した人  |  コメント(0)  |  リブログ(0)
2016-11-26 09:23:26

「ファンタステック・ビーストと魔法使いの旅」

テーマ:映画

J.K.ローリングが自ら、映画用に書き下ろしたシナリオをもとに映画化された、もうひとつの「ハリー・ポッター」シリーズというか、その前日譚ともいうべき物語。新たな主人公は、ハリーたちがボグワーツ魔法魔術学校で学んでいた教科書「魔法動物とその生息地」の著者であるニュート・スキャマンダーで、若き実力派のエディ・レッドメインが、その主人公を演じている。

魔法動物の調査と保護を目的に、世界を旅するニュートがやって来たのが、好景気にわく、発展途上のニューヨーク。そこで、ニュートは持ち歩いていた魔法のカバンから、数匹の魔法動物を逃がしてしまい、さぁ、大変・・という物語。時同じくして、ニューヨークでは、建物の崩壊や地割れ等、原因不明の怪現象が頻発しており、それを魔法使いの仕業と指弾する人間と、魔法使いとの対立が深まっていた。果たして、その真相は???

「ハリー・ポッター」シリーズでもそうだったが、ローリングが描く物語の根底にあるのは、光と闇の対決。そして、闇に捕らわれた魔法使いや人間の苦悩が、主題のひとつとして描かれるため、必ずしも、スカッと爽やか・・という世界ではない。そこが本作を含む「ハリポタ」シリーズの魅力なのかもしれないが、暗く陰鬱と感じる観客もまたいるかもしれない、とも思う。

よくも、悪くも、「ハリポタ」の魅力を目一杯詰め込んだ新作は、新シリーズの開幕となるか、どうか???

シリーズ化には欠かせない、主人公を助ける新たな仲間たちや、魅力的な魔法動物たちも、登場。悪役として、コリン・ファレルが、その存在感を示す。

 

 

 

いいね!した人  |  コメント(0)  |  リブログ(0)
2016-11-25 12:26:28

また、出かけますが、とりあえず、帰宅

テーマ:ブログ

朝一番で、「リプレーザ」版下の最終チェックをすませ、いったん、家に戻って来たところ。

これから一休みして、夕方からは、東京都庭園美術館で開催されるイベントに参加するため、出かける予定。

一昨日、「ファンタスティックビーストと魔法使いの旅」を観ましたが、感想等はまた、後日。

忙しい。体調、悪い。でも、頑張らねば・・。

 

いいね!した人  |  コメント(0)  |  リブログ(0)
2016-11-24 19:31:25

キューバ音楽との出会いの旅/イエレスエロ・ファミリー(その2)

テーマ:音楽

2002年5月11日発行の「そんりさ」VOL.73に掲載された原稿です。

*

カリダ・イエレスエロがプロの歌手として歌い始めたのは、『COMO YO QUERIA』のライナーノーツによれば、一九四七年、彼女が二三歳の時で、二つ違いの弟のレイナルド・イエレスエロと、もうひとりのメンバーによる「トリオ・トラディシオナル・バラグア」の一員としてだった、という。一九五〇年に「コンフト・マラビージャス・デ・パンチョ・ベルトラン」しいうグルーブに参加、そのころの、まだ二〇代の若々しい彼女の写真が、前記アルバムのライナーノーツに掲載されている。

その後、サイティアゴ・デ・クーバを中心に、いくつかのバンドで歌っていたが、決して全国的にその名を知られた存在とはいえなかったカリダが、文字通り「全国区」となるのは、一九七〇年代の後半、彼女が五〇代になってからのことで、一九八一年には「第三回民音ラテンアメリカ音楽の旅」のメンバーの一員として、来日公演も果たしている。

カリダがこれまでに一体何枚のアルバムを出しているのか、私にはわからないが、一九九八年には『CON SABOR』(ECD001)を、そして、同じレーベル(endirecto)より、前記『COMO YO QUERIA』を二〇〇〇年に出すなど、このところ、その順風満帆の活躍が目立っている。実に晩期大成型の人だ。

彼女の歌はそのスケールの大きさ、豪快さが身上で、それがキューバの「肝っ玉かあさん」風な風貌とあいまって、彼女の実に元気のいい歌は聴く者を勇気づけてくれること、請け合いである。

その彼女が、前記アルバムの中で、弟のレイナルド・イエレスエロと共に、万感を込めて歌いあげているのが、「ベインテ・アーニョス(二〇年)」である。同曲は以前書いた通り、マリーア・テレーサ・ベラが自ら作曲した名曲中の名曲で、カリダの兄ロレンソとのデュオでよく知られている。その後もオマーラ・ポルトゥオンドら多くの歌手によってカバーされているが、やはり同じイエレスエロ・ファミリーのカリダとレイナルドによるデュオは、強く胸に迫るものがある。

一方、弟のレイナルド・イエレスエロの方も、現在、ビエハ・トローバ・サンティアゲーラの中心的メンバーとして、その活動は順風満帆であるように思える。前号で紹介した『PURA TROVA』は、ヴァージン・エスパーニャ移籍以前の曲を集めた二枚組ベスト・アルバムだが、移籍後にヴァージンから発売された『LA MANIGUA』(8468652)や『DOMINO』(8491352)などが、大手CDショップで入手可能である。また、私は残念ながら持っていないが、移籍以前のアルバムには、カリダ・イエレスエロがゲスト参加したものもあるようだ。レイナルドはまた、ビエハ・トローバ・サンティアゲーラの活動とは別に、「レイ・カネイ」の別名でも自らの楽団を率いて活動しており、こちちらの方では一九九九年に『ENAMORADO DE LAVIDA』(8479282)という最新録音盤が、ヴァージンから発売されている。

ビエハ・トローバ・サンティアゲーラはライ・クーダのブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブ同様、スペイン人のマヌエル・ドミンゲスの企画によって、かつてサンティアゴ・デ・クーバで活動し、今は引退状態の老ミュージシャン五人を集めてつくられた、伝統的なソンの復権を目指すバンドで、そういった意味で、彼らは自発的に集まって、活動をし始めたわけではない。しかしながら、その演奏活動が主に欧州で高く評価されるにつれて、自らの音楽に対する自信や誇りもまた強まり、今、最高にイキのいい演奏を聴かせてくれるグループのひとつになったといえる。

 

いいね!した人  |  コメント(0)  |  リブログ(0)
2016-11-23 10:19:55

キューバ音楽との出会いの旅/イエレスエロ・ファミリー(その1)

テーマ:音楽

2002年3月30日発行の「そんりさ」VOL.72に掲載した原稿です。

*

ビエハ・トローバ・サンティアゲーラは、あのブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブに先行して、主にスペインや欧州で人気を集めた、キューバの老ミュージシャン五人によるソンのバンドである。なかでもメンバーのひとり、レイナルド・イエレスエロは、「レイ・カネイ」の名でも知られる超有名ミュージシャンであり、彼がその輝かしいキャリアをスタートさせたのが、キューバ音楽史に残る兄のロレンソ・イエレスエロとの兄弟デュオ、「ロス・コンパドレス」である。

レイナルド・イエレスエロは、ビエハ・トローバ・サンティアゲーラの二枚組アルバム『PURA TROVA』(INN110512)のブックレットの中で、ロス・コンパドレス結成の経緯について、次のように語っている。

「ロス・コンパドレスは偶然の産物だった。(兄の)ロレンソは三〇年もの間、マリーア・テレーサ・ベラのパートナーとして活動していたが、ある日、仕事の最中に意見の食い違いがあって、彼女が帰ってしまい、仕事を終えるための替わりの人間を捜さねばならなくなった。その時ロレンソは、前々からお互いをよく知っている遠縁のフランシスコ・レピラド(ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブでもお馴染みの、コンパイ・セグンドのこと)を掴まえることが出来た。(中略)仕事は難なく済み、結果は素晴らしいものとなった。そこでドゥオとして続けようということになり、ドゥオ・ロス・コンパドレスが生まれた。/私がロス・コンパドレスに加わったのはレコーディングのためだった。私は彼らのためにボンゴ、ベースからグイロイまで、何から何まで演奏した。一九五三年に彼らは別れることになり、私がコンパイの後釜として正式メンバーになった」(時橋実実訳)

ロス・コンパドレスの結成は一九四九年のことといわれており、一方、ロレンソ・イエレスエロとマリーア・テレーサ・ベラとのデュオは、彼女の晩年の一九六一年まで続いている。つまり、ロレンソ・イエレスエロはマリーア・テレーサ・ベラとのデュオと並行して、ロス・コンパドレスの活動を続けていたことになる。

ロス・コンパドレスは、トリオ・マタモロス等と並び、キューバ音楽史上に燦然と輝く男性ヴォーカル・デュオであり、その過去の音源のCD復刻も進んでいる。中でもお薦めなのが、アオラ・コーポレーションから発売されている国内盤の『黄金のデュオ/ロス・コンパドレス』(CRACD204)である。

このCDにはまだコンパイ・セグンドとロレンソのデュオであった初期の音源からの復刻五曲を含む全二一曲が、ほぼ年代順に収録されており、とりわけ最後の三曲中二曲は、一九七五年の日本公演の際の録音。最後の一曲は何と、彼らが日本公演中につくったという「BONIAT ASADO(焼きイモの歌)」である。曲中に、「石焼きイモ、いーし焼きイモ」「いらっしゃいませ、いらっしゃいませ」「どーもありがとう、どーもありがとう」などの石焼きイモ屋さんの呼び声を、達者な日本語で織り込んだこの曲は、イエレスエロ兄弟のよい意味でのサービス精神、根っからのエンターティナーぶりを知ることの出来る、何とも愉快な曲である。

ロレンソには、レイナルドの他にカリダ・イエレスエロという妹がいて、彼女もまた歌手で、もう二〇年ほど前のことらしいが、来日公演したこともあるという。

その彼女の二〇〇〇年に出た最新アルバムが『COMO YO QUERIA』(ECCD004)で、その中の一曲「VEINTE ANOS(最後のNには~がつきます)」は弟レイナルドとのデュオである。(以下、続く)

いいね!した人  |  コメント(0)  |  リブログ(0)
1 | 2 | 3 | 4 |最初 次ページ >> ▼ /

AD

ブログをはじめる

たくさんの芸能人・有名人が
書いているAmebaブログを
無料で簡単にはじめることができます。

公式トップブロガーへ応募

多くの方にご紹介したいブログを
執筆する方を「公式トップブロガー」
として認定しております。

芸能人・有名人ブログを開設

Amebaブログでは、芸能人・有名人ブログを
ご希望される著名人の方/事務所様を
随時募集しております。