四月三日 火曜日 (雨)

 雨音が聞こえてくる。嫌な天気だ。雨は気持ちを憂鬱にする。今日は何事も起こらないで欲しいと祈るだけだった。

 午前八時、私は目を覚ました。連日の疲れが溜まってきていたので起床時間を遅らせていた。簡単な朝食を済ませて顔を洗い義母に声を掛けた。

 「そろそろ出掛けましょうか?」

義母は相変わらず洗面所を独占し念入りに化粧をしていた。

 「アァ、純さん。診断受付カードを内科の受付に出しといてくれ。」

 「……はい。」

又だ、仕度は整っている筈なのに出掛ける気がない。義母は義姉が来ていた三月三十日と、私が仕事のために病院へ行くことが出来なかった四月一日以外、医院長面談に行っていない。イヤ、行く気がない。自分の娘の容態が本当に気にならないのだろうか、幾ら私から後で話を聞けば分かるといっても、やはり、一刻も早く娘の容態を担当医の口から聞きたいとは思わないのだろうか、確かに、以前に義母が言うように医院長の説明は専門用語が出てきたりして、わかりにくいところがあるかも知れないが、ニュアンスは分かる。私には、義母の気持ちを知るすべはなかった。

 「じゃ、いってきます。」

 「二時の面会には行くすけ。」

 「……はい。」

 「カード出すの、忘れないでくれ。」

 「分かっています……。」

 私は病院へ九時十分位前に着くことが出来たので、まず内科の受付に行き義母の診断受付手続きを済ませ後、二階の家族控え室に向かった。私が階段をあがりきると声が聞こえてきた。

 「鈴木さん。」

 「はい。」

 「長谷川さん。」

 「はい。」

丁度、看護長が入院患者の家族の出席を取り始めるところだった。今日は何番目位に呼ばれるのだろうか、やはり気になる。

 「香月さん。」

 「はい。」

思っていたよりも早くに呼ばれた。

 「仕度が整いましたら、お呼びしますのでお待ち下さい。」

と言い残すと看護長はナースステーションに入っていった。毎日の事だが、自分の順番を待つ間は時間が長く感じられる。早く聞いたからと言って面会出来る訳でも、何でもないのに早く聞きたい。

 「香月さん。」

 「はい。」

私の順番が回ってきた。ナースステーションに入りドアを閉めた。医院長は相も変わらず無表情にCT写真を眺めていた。

 「脳の腫れは引き始めていますね……。レントゲンでも肺炎は見つかっていません。後は、ご本人の体力と、内科的処置で何処まで……。」

 「あの……。頭蓋骨は、いつ頃元に戻せるのでしょうか?」

 「……一ヶ月は掛かると思います。」

 「一ヶ月……。」

 「はい……。宜しいでしょうか?」

 「はい。」

医院長は軽く一礼した。珍しい事もあるものだ、妻が入院して初めてだった。私も一礼してからナースステーションを出た。

 私は呆然として歩いたいた。一ヶ月、頭蓋骨をもとに戻すだけでこれだけの時間が掛かる。その間に意識は戻るのだろうか、どう考えてもかなり厳しい状況である事だけは確かだった。

 「準備が整いましたので、お二人づつ順番にご面会下さい。」

私は妻の許へ向かった。

 「美紗……。来たよ……。」

手を握ってみたが、力が抜けてだらっとしているという感じしか得られなかった。顔は半開きになった右目と口が、右側の口だけが小刻みに痙攣を繰り返している。やはり、左側は動いていない。顔の筋肉を動かすことすら出来ないほど妻の右脳の脳細胞は死んでしまったのか、私は暫くの間呆然と立ち尽くしていた。言葉が出なかった。どう声を掛けたらいいのかわからなかった。

 「美紗……。頭蓋骨を元通りに治すのに、一ヶ月かかるんだって……。時間、掛かるね……。でも、きっと良くなる。……だから頑張るんだぞ、良いね!」

妻は普段よりも穏やかな顔をしているように見える。その穏やかさが怖かった。

 「ごめん、そろそろ時間だから行くね。二時にまた来るから……。」

普通は手術を控えた家族以外ほとんどの人が、面会終了と同時に帰って行く。だから私は一人家族控え室で過ごすことになる。誰一人いない静かな室内に座り永い時をすごす事となる。

 私達夫婦は何処からすれ違いだしたのだろう。今思えば次女の恵美が生まれた直後からかも知れない。次女の恵美は七百九十二グラムの極小未熟児で生まれた。四月初旬に出産する予定だったのが、四ヶ月近く早い十二月二十五日、そうクリスマスに生まれてきた。

 「ネェ、お腹が張ってきたわ。何だか生まれそうよ。」

 「冗談言うなよ……。まだ十二月だぞ。」

 「だって、本当に張ってきてるんだもん。」

 「大丈夫なのか?」

 「まだ大丈夫。でも病院に行かなくちゃ……。」

 明日から軽井沢にスキーに行く予定で仕度していた。つい先程、十二時過ぎまで軽井沢の別荘にいる母と電話で明日行くと楽しそうに話をしていた妻が、必死になって入院の仕度を始めた。

 本当に生まれてくるのか、信じられないという気持ちと焦りがいり混じった変な気持ちだった。長女の麻紀は寝ている。病院に連れて行く事は止めておいた方が良いだろうと思い従弟に電話で留守番に来てくれと頼むことにした。

 「もしもし、純だけど……。子供が産まれそうだから留守番に来てくれない?」

 「エッ、誰の……?」

 「誰って、美紗だよ。」

 「エッ……。だって、予定は四月でしょう?」

 「そうだけど、生まれそうなんだ。だから、頼むよ。麻紀が寝ているから、留守番に来て欲しいんだよ。」

 「分かった、直ぐに行くよ。」

 私達は仕度を整えて従弟の到着を待つことにしたが、妻が待てないと言いだしたため、家の鍵を開けたまま出掛けることにした。

 「大丈夫か?」

 「うん……。でも、余り揺らさないようにして、我慢できなくなる。」

 「分かった。」

 「どの道を使っていくの?」

 「首都高を使う。」

 「でも揺れたら困る。」

 「下の道を使って、時間を掛けてはいられないし、発進停止を繰り返す方が揺れるよ。」

 「分かった……。」

 「ネェ。」

 「なぁに?」

 「男の子が欲しいって言ってたけど、どっちでも構わないから……。ともかく、頑張って、病院まで我慢して、……いいねぇ。」

 「うん……。アァ、出ちゃいそう。」

 「大丈夫か?」

 「……頑張ってみる。」

私は信濃町にある信濃町病院に向かって車を飛ばした。

 「着いたよ。」

 「うん。」

 「歩けるか?」

 「大丈夫よ。」

私は夜間救急の入り口に車を着けた。妻の肩を抱き荷物を持ち夜間救急の受付に行き事情を説明すると、ストレッチャーが運ばれてきた。

妻をストレッチャーに乗せエレベーター前で見送っていると、看護婦さんが声を掛けてきた。

 「すいません。」

 「此方の書類を書いた後、三階のロビーでお待ち下さい。」

 「分かりました。」

誰もいない深夜の病院のロビーで、一人、妻とお腹の子供を案じていた。

 「香月さんですか?」

 「はい。」

 「女のお子さんが生まれました。おめでとうございます。」

 「……有り難うございます。」

 「エレベーターの中で破水されましたが、直ぐに処置できましたので、母子共に助かりました。もしお車の中で破水されていましたら、車の中は雑菌がいますのでお子さんの方の命は危なかったと思います。……実は、呼吸停止して生まれましたが、蘇生できました。もう暫く此処でお待ち下さい。SICUの仕度が整いましたらお子さんにご面会できます。それから、奥様の方は、破水したために難産になりまして、裂けてしまわれたので、縫合しています。ですから、暫く時間が掛かると思います。」

「分かりました。どうも有り難うございます。」

医師の説明を受けてからたいした時間ではなっかたと思う。私はSICUで次女と初対面をした。

全身チアノーゼで青紫になっている。顔の大きさはミカンぐらいしかない。無事に生まれたといっても、保育器の中にいる小さな娘の身体には点滴が刺して有る。抱いてやることも出来なければ、SICUに入ることすら出来ない。この子は無事に育っていくのであろうか、私は心配でたまらなかった。

妻は程なく退院して通いママを始めた。とは言っても母乳を飲ませるためではない。親の顔を覚えせせるためなのか、点滴でしか栄養補給できない娘のために病院へ通った。

その後、恵美も退院しては来たが、風邪を引くだけでSICUに入院を繰り返す。私の恵美に対する心配は募っていった。妻と恵美のことを話し合おうとすると一言のもとに大丈夫よ。と、片付けられてしまう。妻が虚勢を張っているのかも知れないが、虚勢など張っている場合ではないと思った。恵美の将来のことを真剣に相談し、よりよい道を探して遣りたかった。

右目1・5、左目0・1以下。極小未熟児が抱えていかなければならないハンディー。普通の子より小さく生まれ、一学年早い学年に通わなくてはいけない。大変なことだと私は考えていた。

やはり、この時期から私達夫婦の気持ちは縺れていった。本来協力し合わなければいけない時に私は拒絶された。

何故だ。私に虚勢を張る必要などない筈じゃないか、どんなことだって協力し会える。それが夫婦じゃないか、しかし何も話し合えない。その後、最初の離婚の話が出てきた。が、横浜の叔父夫妻の説得と、気性の激しい妻が泣きながら、

 「ごめんなさい。私は……。自分の性格のおかしいことは分かっています……。・・・・・・悪い所は直します。・・・・・・だから……。やり直しさせて下さい……。」

 「きちんと話し合えるね。」

 「はい……。ちゃんと直します。……だから……、」

 「……わかった。」

私は妻の言葉を信じやりなおすことにした。最初のうちは本当に可愛い素敵な妻になっていってくれた。やり直して良かった。そう思い始めていたころに、ある事件が起こった。

 私の母は事業をしていたが、お人好しのため人に騙され料亭を営む羽目に陥った。その矢先に母は病で倒れた。店を見る人間がいなくなった。人手が足りなかった。妻は私が手伝いに行くと言ってくれた。とても有り難かった。が、これを機に妻はまた変わり始めた。店を手伝いに行くと店が終わってから若い人達と飲み歩く。面白かったのだろう。家に戻ってこようとしなかった。娘のこともほったらかし、私と話し合うことも止めた。

そして、この時から、仮面のおしどり夫婦が始まった。お互いの気持ちが歩み寄っていくことはなかった。今年の初めにあの事件が起こった。ある日、次女の恵美が私に質問をしてきた。

 「ネェ、欠陥商品て何……?」

 「欠陥商品?」

 「うん。欠陥商品。」

 「……うん、欠陥っていうのは、何かが欠けて足りないということ……。例えば、自動車の部品が足りなかったり、部品の質が悪くて、よく壊れてしまったりすれば、それは、欠陥自動車。つまり欠陥商品っていうことだね……。分かる?」

 「うん……。恵美は出来損ないの欠陥商品なんだって……。」

 「エッ!誰がそんなこと言ったの?」

 「お母さん……。」

 「……はっ……。そんな事ない。恵美は優しいし、良い子だよ。」

 「……。」

 「いろんな表彰状を沢山もらってるだろう。」

 「……。」

なんて馬鹿なを言う。言って良い事と悪い事の区別ぐらい出来る筈だ。それなのに決して言ってはいけない事を妻は口にしてしまった。

私に対しては強がりを言っていたが、やはり、恵美は妻にとってかなりの重荷になっていたのだろうが、自分がお腹を痛めて産んだ子供なのだから、何があろうと守ってやらなくてはいけないと私は思う。何故恵美を責める。恵美に責任はない。もし、誰かに責任が有るとすれば、それは妻自身ではないのか。自己管理が出来ず不注意な事をしたから早産した。そうだったんじゃないのか。

私は早産した事に対して責めた事は一度もない。ただ恵美の事を心配していただけだ。やはり、私達の性格は違いすぎている。離婚した方がお互いのために最善の方法ではないかと考え私は決心をしました。


 「アッウー……。」

ナースステーション前のソファーの所に、まだ生後半年も立っていないであろう赤ん坊がお母さんに抱かれている。一生懸命に何かを訴えている。可愛い。

男の子かな、私は男の子が欲しかった。でも私には娘しかいない。やはり男の子も欲しい。お母さんの膝の上で暴れている。可愛いその赤ちゃんは私の方を見て微笑んだ。私も思わず微笑み返した。ほんの一瞬かも知れないが私の心を和ませてくれた。

 「面会はまだか?」

 「……義母さん。」

義母は私に一声かけると、私と少し離れた場所に座った。

 「準備が整いましたので、お二人づつ順番にご面会下さい。」

二時の面会時間が訪れた。妻の許へ行き、何時ものように容態を確かめる。

 血圧。上88、下50、平均60、心拍102、普段から血圧が低い妻ではあるが、低すぎる。今朝と比べると呼吸が若干苦しそうに見える。気のせいだろうか、あっ。私は自分がなすべき事を忘れていた。妻のロッカーを確かめ洗濯物を持ち帰る。これが実際に私が自分の手で妻に唯一してやれること、忘れるわけには行かない。

 「美紗……。」

手を握ってみると温かい。普段の妻の手よりも入院してからはずっと温かいままではあるが、不思議だ。血圧と手の温かさは関係ないのだろうか。

 「……苦しいか、頑張るんだぞ、良いね……。」

私には、励ましの言葉を掛けて遣ることしか出来ない。無力間を感じながら妻の手を握り締める。何らかの方法で私が側にいると知らせたかった。

「そろそろ行くけど、夕方には、また来るから……。此処にはいられないけど、側にいるから……じゃ、後で……。」

私と義母 は、ICUを後にした。

 「おら、疲れたすけ。家まで送ってくれ。」

 「……はい。」

 「アァ、スーパーで買い物してから帰るが。」

 「分かりました。」

私と義母は、スーパーに向かった。

 「今日は、おらが夕食を作ってやるが。」

 「はい。」

地下にある食料品売場に行き買い物をする。義母は野菜しか買わない。

 「肉とか魚とか買わないんですか?」

 「おら、脂っこいもの食えねぇがて。」

私は義母とは別に、肉と牛乳、それから、昼食のために弁当を買った。家に戻り昼食を済ませた。

 「六時の面会。行きますよね。」

 「おら、疲れたから、いかねぇ。」

 「……そうですか。」

義母は面会に行かないと言い出した。

 家にいる必要がない。だったら何もできないまでも少しでも側にいて遣りたい。私は一人病院に引き返した。次の面会時間までは、まだ二時間以上有るので家族控え室には、人影はなかった。

 ソファーに腰を下ろし、ただ待つだけの時間がまた始まる。何も聞こえない静かな室内、私は一人思いを巡らせる。妻は私と本当に別れても良いと思っていたのだろうか、家事をしないでパートに励む妻、小遣いが欲しいからと言っていたが、娘達に聞けば、毎日六時過ぎまで帰宅しないと言う。三時に終わっている筈なのに何処で何をしている。妻に言わせれば、買い物をしていただけと言うが、毎日三時間も買い物をする事はない。やはり、妻は私と別れてこれから生きていくために何かをしていたのか、そう言えば大井って男、普通じゃない。もしかしたら妻と付き合っていたのか、不信感が強まる。

 私は焼き餅を焼いているのだろうか、イヤ、ただ面白くないだけだ。浮気をするならしたでいい。離婚する事は決まっているのだから、それなら、それでも良い。妻は第二の人生を探そうとしていたのだから、こんな状況でなければ……。私だってきっと焼き餅を焼き、妻のことを許せなく思うだろう。が、離婚しようとしていた以上、新しいパートナーを捜すことを責めることは出来ない。妻は妻なりに自分の将来を考えて行動していたのだろうから。ただ、現実に他の男の姿を見せられるのはたまらないものが……。見ないで済むなら見たくはない。もしも妻が倒れていなければ男の影は感じても、実際に会って話すなどということは無かったと思う。しかし、何故か妻のことを責める気にはなれない。それだけ私達夫婦は冷めていたのだと思う。だが大井の姿は出来れば二度と見たくはないと思った。

 このような状況下では見たくないモノを見るのも仕方がない事かも知れない。

 妻には妻の人生がある。そして、わたしにも……。

 私達は今の生活を続けるわけにはいかない。お互いのために……。妻と話しをして離婚をしなくてはいけない。私が離婚を決意したのは恵美の問題から、今までは、お互いに我慢していただけで離婚する切っ掛けが無かったに過ぎない。そう私は思いました。

 いつ話し合えばいいのでしょうか、娘達の前で話す問題ではない。

 ちょうど春休みには娘達が名古屋の義姉の家に遊びに行くので、その時が良い。私と妻は娘達が名古屋に行った後で、離婚問題を話し合う事にした。が、その矢先に妻は倒れました。私は性格上妻を見捨てることは出来ない。だからといってこのまま結婚生活を続けて行くことも出来ない。どうすればいい。

 「ふん……」

 まったく私は愚か者だ。こんな時にこんな事を考えて、止めどなく思い悩む。馬鹿としかいいようがない。

 今は、妻の病気を治すことが問題だ。後のことは、妻が良くなってから、それしかない。そうしなければいけない。

 「準備が整いましたので、お二人づつ順番にご面会下さい。」

 面会時間が訪れた。私は仕度を整えてICUへ入る。まずはロッカーに行き足りなくなったものをチェックし、続いて洗濯物を袋に入れる。此処までの作業は何も考えなくても自然に出来るようになってしまった。次は妻の容態を確かめる番だ。

 血圧。上80、下45、平均56、心拍99、少し下がってきている。先程でさえ低いと思っていたのに、さらに低い。妻が倒れて以来最高に低い血圧だ。医院長は、腫れは引き出したと言ったが、果たして本当に良くなってきているのだろうか、疑問に思えて仕方がない。

 「美紗……。」

妻は穏やかな顔をしている。痙攣をしていなければただ気持ちよさそうに寝ているように見える。気のせいか痙攣もさらに小さくなってきている。痙攣すら出来なくなってきているのか、ともかう、大きな動きはなくなった。

 良くなる前兆なのか、それとも悪くなってきているのか、私には分からない。ただ見守ることしかできない。

 「ネェ、聞こえる……?腫れ、引き出したんだから……。頑張れば治るよ。……ネッ。」

冷静に考えてみると、私は医師に、妻の意識はない。昏睡状態です。とは言われていない。ただ、私の呼びかけに反応をしていてくれた妻が、妻の手が、反応を示さなくなったにすぎない。体力が落ち手を自分の力で握ることすら出来ないだけかも知れない。意識がないと思っているのはあくまで私自身の判断なのだから。

 「美紗、ごめん、そろそろ時間だから……。明日の朝また来るから……。じゃ、行くね。」

私は病院をあとにした。

 帰宅すると珍しく義母が料理を作っているところだった。

 「ただいま。」

 「お帰り。」

 「何を作っているんですか?」

 「なすの味噌炒めと、蕗の薹の味噌味と、お漬け物に若布の味噌汁だて。」

 「僕が買ってきたお肉有ったんだから、使えば良かったのに。」

 「おら、肉はいらねぇこつっぉ。」

 「……そうですか。」

 「どうせおらの田舎ごっつぉは、口にあわねぇが。」

 「そんな事、無いですよ。」

義母は料理をテーブルに並べ始めた。肉や魚はない。野菜けだけでは身体が持たない。仕方なく私は自分で肉を料理した。

 「義母さん。宜しければ、これも食べて下さい。肉っけを取らないと身体が持ちませんよ。」

 「おら、いらねぇすけ。全部自分で食べてくれ。」

 「……おなす、美味しいですね。」

 「へぇ……。……しかし、おめぇも可哀相だなぁ。美紗みたいな嫁貰って、まぁ、不運だと思って、諦めてくれ。」

何を言い出すんだ義母は、私は返す言葉を失った。そのまま会話のない食事が終わる。

 気が付くとコーナーテーブルの所に何通かの手紙が置いてある。私は中を確かめた。請求書だ。私の知らない美紗名義のローンが組んである。他のはどうなんだろう。BANK、これは私のメインカードの請求書だ。今月は何を買ったのだろう。

 「エッ!こんなローン組んでないのに……?」

 「どうした?」

 「美紗が、僕のカードを使ってキャッシュローンを限度額いっぱいまで使っているんです。」

 「幾らだ。」

 「百万です。」

 「へぇ……。」

 「これは……?イーナクレジット?」

さすがに参った。他にもいろいろと私の知らないローンを組んでいた。何に使ったんだ。

 確かに私はお金持ちではない。しかし、妻子を養っていくくらいの収入は十分に有った筈だ。現に去年は少なくとも月に四・五十万ぐらいは渡していた。贅沢は出来ないかも知れないが、生活をやっていくことができない金額ではないと思う。いったい幾ら借金があるのだろうか。調べて払い込まなくてはならない。

 私は部屋の中を調べた。驚いたことに税金が払ってない。他には、生命保険が全部解約されている。私のも妻のも娘たちの学資保険まで、いったい何故。これで生保の入院給付金は当てに出来ない。そして沢山の支払いだけが。あー。またしても溜め息が漏れる。明日は朝の面会を終わらせてから支払いのために銀行を回って歩かなくてはいけない。

 「他にもあるが?」

 「はい……。」

 「美紗と結婚して、不運だったと思って、諦めてくれ。」

これが母親の言う台詞か、美紗の借金のことよりも義母が私にいった言葉に腹が立ってきた。まずい、私は直ぐに腹が立ってくる。私はこの一週間で身も心も疲れ果てていた。 誰かと話をした。でも話せる事ではない。

 「オイ、わりぃけど、先に風呂に入ってくるすけ。」

 「どうぞ、構いませんよ。」

義母はお風呂に入ったら一時間は出てこない。今日こそ早く寝ようと思ったが、やはり無理なようだ。

 私は病院で使っているメモ帳を整理した。血圧などは随時書いているが、私の気持ちの動きは書き切れていないものがある。昨日と今日分を忘れないうちに書き留めておかなくてはいけない。これだけ沢山のことを考え気持ちが動く経験は、そう起こりはしない。でも、頭がおかしくなりそうだ。今の私は絶えず何かを考えている。頭を休めている時間がない。精神的にかなりの鬱状態になってきていることだけは確かだった。

 私はメモの整理を終え、風呂に入り床についた。今日も興奮していて眠れそうにない。


  ピピピ、ピピピ・・・・・・


目覚まし時計が鳴っている。もう、そんな時間か、アァー。






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