「分類思考の世界」三中信宏 | ひいくんの読書日記

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ひいくんが、毎日の通勤電車の中で読んでいる本を紹介します。
通勤時間は30分ほどなので、軽い読物がほとんどです。

副題は、“なぜヒトは万物を「種」に分けるのか”。

そもそもなぜヒトはなぜ物事を分類するのか”という根源的な問いに迫る本です。

中でも著者の専門である生物学の分野に着目し、「種」は存在するのかという点に焦点がおかれています。

著者の前著『系統樹思考の世界』と対を成す本で、著者は”系統樹思考”をタテ思考、”分類思考”をヨコ思考と呼んでいます。


全14章(プロローグ、12章、エピローグ)で構成されています。


プロローグ 生まれしものは滅びゆく(二〇〇六年オアハカ、メキシコ)
第1章 「種」に交わればキリがない
 1 日本最低の山と日本最短の川
 2 リンネから三百年-分類学はいま
 3 分類するは人の常
 4 開かれた難問=「種」の問題
第2章 「種」よ、人の望みの喜びよ
 1 仲間はずれのカモノハシ君
 2 あるものはある、ないものもある
 3 問われない分類の存在論をあえて問う
 4 そして形而上学の聖なる泥沼へ沈んでいく
第3章 老狐幽霊非怪物,清風明月是真怪
 1 虚ろな空間が不安である理由
 2 共時的な多様性と継時的な可変性
 3 今日のワタシは昨日のワタシか
 4 「心は妖怪の母と申してよろしい」
第4章 真なるものはつねに秘匿されている
 1 秋深まる京都にてレトリックにめぐり合う
 2 引導をわたす哲学者:メタファーと類似性の関係
 3 秘匿されたメトニミーは何を見ているか
 4 ヒトは心理的本質主義者である
第5章 いたるところリヴァイアサンあり
 1 群として生きる
 2 群として進化する
 3 進化するものが「種」である
 4 リヴァイアサン、あるいは超個体としての群はあるか
第6章 プリンキピア・タクソノミカ
 1 ルーツとしての『プリンキピア・マテマティカ』
 2 「種カテゴリー」をめぐる問題
 3 「種タクソン」をめぐる問題
 4 来たる時代の『プリンキピア・タクソノミカ』
インテルメッツォ 実在是表象、表象是実在(二〇〇七年ニューオーリンズ、アメリカ)
第7章 一度目は喜劇、二度目は茶番
 1 過ぎ去った昔のことではなく
 2 ルイセンコ論争と種概念
 3 「種は現実に存在する単位である」
 4 隠れた水脈と隠された知脈を求めて
第8章 つながるつながるつながるなかで
 1 “見えざる手”に遠隔操作され
 2 万物流転とイデアによる救済
 3 種をめぐる「本質主義物語」
 4 「わたしはわたしを見つけ出す」
第9章 ナボコフの“ブルース”
 1 「種」は“システム”であってほしいか
 2 「本質主義」的方法論の終焉
 3 「蝶が私を選んだんだよ」
第10章 目覚めよ、すべての花よ
 1 上野の森のダーウィン生誕二百年祭
 2 グレの入り江に『種の起源』が流れ着く
 3 「神よ、御身は道を誤れり」
 4 “古い分類学”で何が悪い
第11章 時空ワームの断片として
 1 木を見て、森も見る
 2 系譜はかぎりなく変化する
 3 四次元空間の“時空ワーム”
 4 「生命の樹」の断片として生きる
第12章 「種」よ、安らかに眠りたまえ
 1 ゲッティンゲンの石畳を踏みしめて
 2 パウルとフランツィスカの物語
 3 ヒトは「種問題」とともに
 4 「記載の科学」から「分類の科学」へ
 5 コーダ-永遠なる「種」を慕って
エピローグ 滅びしものはよみがえる(二〇〇八年トゥクマン、アルゼンチン)


かなり専門的な内容なので、門外漢の私にとっては、早くも第1章で“カテゴリー”と“タクソン”の違いがよくわからず挫折しそうになりました(読み進むにつれておおよそわかってきましたが…)。

さらに、話はだんだん哲学的な色彩が濃くなり、形而上学の分野に入り込み、第4章では修辞学まで登場します。

ちなみに、私はここで再び、“メトニミー(換喩)”と“メタファー(隠喩)”の違いでまた躓きそうになりました。

この章の最後で、本書の主題とも言える“心理的本質主義”が登場します。

「事物には必ず本質がある」とみなす“心理的本質主義”により、ヒトはあらゆるものを分類せずにはいられないと著者は説きます。



その後、著者の専門である生物学の分野での分類について、すなわち「種」の概念について語られ、“「種」が実在するか”がテーマとなって話は展開します。

ギリシア哲学文学音楽の分野まで参照して、さまざまな視点からこのテーマを著者は論じており、途中から“「種」が存在しようが存在してなかろうがどっちでもいい”という気分にさえなってきます。

しかし、最後まで読むと、このことこそが著者が読者に悟らせたかったことのような気がして、著者の術中に落ちてしまったように感じます。


著者も“「種」は実在しない”という思いと、“分類するのは人間の「業」なので、「種」はなくならない”という相反する思いの間で揺れ動いているように思えます。


内容が専門的なだけに読みやすい本ではありませんでしたが、知的好奇心を十分満足させられる一冊でした。

前著『系統樹思考の世界』も読んで見たくなりました。



分類思考の世界 (講談社現代新書)/三中 信宏
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本書を読んで、一番印象に残った箇所は、第4章 真なるものはつねに秘匿されている・4 ヒトは心理的本質主義者であるの次の文章です。


生物学的には何の根拠もない「血液型人間学」が今なお世にはびこっているその理由は、ヒトの行動や心情を背後で支配しているのは不可視の「血液型」なる本質である、というわれわれの心理的本質主義に「血液型人間学」が訴えかけているからであろう。どんなに教育程度が高くても、心理的本質主義は容易には解毒されない。


[2009年12月18日読了]