87城目  No.97鹿児島城(2010年1月10日登城) | 城めぐりん

87城目  No.97鹿児島城(2010年1月10日登城)

 鹿児島城は、標高107mの城山の東麓に築かれた館城で、慶長7年(1602)に島津家久が築城に着手し、薩摩藩島津氏代々の居城となった。中世城館の伝統を踏襲し、本丸と二の丸が連郭式に並ぶシンプルな縄張りで、御楼門以外、天守や重層櫓はなかった。戦国時代以来、島津氏は領内の要衝に城砦を置き、本城防衛のための外城を設置したためといわれる。一国一城令後も外城が存続したことで、本城の要塞化を必要としなかった。

 北側の本丸には藩主の居館とその西側に藩政をつかさどる役所が置かれた。南側の二の丸には、世継、子女、側室などの居館や庭園、藩主の小息所、茶室が設けられていたという。

 元禄9年(1696)に大火により、本丸のすべてと二の丸の一部を焼失、再建・復旧は宝永4年(1707)までに至った。明治6年(1873)に再び本丸が焼失。4年後の西南戦争で二の丸も焼けて、旧態を失った。

 現在、本丸跡には鹿児島県歴史資料センター黎明館が、二の丸跡には県立図書館や市立美術館が建っている。


 泊まっていたホテルをチェックアウトし、市電に乗って朝日通で下車。そこから西へ歩いていくと、右手にある宝山ホールの敷地に小松帯刀像が建っている。


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 そのまま進むと、正面の鹿児島市立美術館の一角に建っているのが西郷隆盛銅像。昭和2年(1927)の西郷隆盛没後50年祭を機に建造計画が持ち上がり、昭和12年(1937)に完成したという。


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 そこから右に曲がり、歴史と文化の道と呼ばれる通りを歩いていく。街路のガス灯は、安政4年(1857)、島津斉彬が日本で最初にガス灯をともしたのを記念したものとのこと。


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 さらに進んでいくと、水堀と本丸跡の石垣が見えてくる。


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 御楼門橋を一旦通り過ぎ、そのまま北へ進む。本丸跡北東隅の石垣は、出隅を欠き、鬼門除けとしている。


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 道路を横断して北へ進んだ左側が私学校跡。征韓論に敗れて鹿児島に戻った西郷隆盛が設立した学校で、鹿児島城の御厩跡に建てられた。


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 私学校跡の石垣には、西南戦争のときの多数の銃弾痕が残っている。


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 私学校跡のところから御楼門橋のところへ戻る。


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 橋を渡って本丸跡の方へ向かう。


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 橋を渡ったところが御楼門跡。御楼門は鹿児島城の東に開いていた大手門。二層の入母屋造りの櫓門で、表御門とも呼ばれた。


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 御楼門跡の枡形を抜けて本丸跡へ入る。本丸跡には、鹿児島県歴史資料センター黎明館が建っている。


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 本丸の南東角にあった御角櫓跡。遺構の一部が柵で囲んで残されている。


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 麒麟の間跡。本丸の南端に位置した御殿で、江戸末期の絵図には、本瓦葺きの建物として描かれているという。現在は、礎石の跡につつじが植えられている。


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 本丸跡の中を歩いてから黎明館へ入場する。鹿児島の考古、歴史、民俗、美術工芸などが展示・紹介されており、非常に充実した内容で、じっくりと見学するには十分な時間が必要である。

 黎明館を見学してから、北側の土橋を渡って外へ出る。


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 橋を渡って左へ進むと薩摩義士の碑が建っている。宝暦3年(1753)、幕府から薩摩藩に木曽川の治水工事の命が下り、平田靭負らが難工事を竣工させた。この碑は、工事で犠牲となった藩士の遺徳をしのんで、大正20年(1920)に建てられたもの。


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 そこからさらに北へ歩き、JR鹿児島本線の線路を越えたところが西郷隆盛終焉の地。西南戦争の末期、明治10年(1877)9月24日官軍の総攻撃が始まり、城山洞窟を出た西郷は、別府晋介の介錯でこの地に果てた。


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 もう一度、薩摩義士碑のところまで戻り、城山自然遊歩道を登って、城山展望台を目指す。城山は、鹿児島城の背後にある標高107mの山。西南戦争の舞台としても、また大楠が茂る南九州特有の照葉樹林帯としても貴重なエリアだという。残念ながら、この日はあいにくの天候で、桜島の姿をはっきりととらえることはできなかった。


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 城山展望台から車道を歩いて山を下り、西郷洞窟へ行く。西南戦争で城山に籠城した西郷隆盛は、山中北側のこの洞窟で起居していたという。


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 西郷洞窟前から、周遊バス「カゴシマシティビューバス」に乗って南洲公園へ行く。南洲公園には西郷隆盛をはじめとして、西南戦争で敗れた薩軍の将兵が眠る南洲墓地と、西郷隆盛を祀る南洲神社、西郷南洲顕彰館などがある。


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 南洲公園入口のバス停へ戻る。このバス停後ろの石塀の場所が天璋院篤姫の生誕地。現在は、民家となっているので、内部は見学できない。


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 もう一度、カゴシマシティビューバスに乗って、仙巌園へ行く。仙巌園は、島津光久が、万治元年(1658)に別邸として建造したもので、磯山を背景に、錦江湾を池泉、桜島を築山に見立てて造られ、書院造りの御殿が建てられた。明治になって鹿児島城が廃された後、島津家の住まいとなった。


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 正門。明治28年(1895)、29代島津忠義が建てた門で、島津家の家紋である丸十紋と桐紋が彫り込まれている。


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 仙巌園の隣には尚古集成館が建つ。嘉永4年(1851)に薩摩藩主となった島津斉彬は、富国強兵・殖産興業政策を推進するため、集成館事業を興したと。この事業は、造船、造砲、製鉄、紡績、ガラス、印刷、電信、医療、福祉など、さまざまな分野に及んでいたという。


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 この後、またバスに乗り、鹿児島中央駅へ戻り、歩いて維新ふるさと館へ行く。



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